頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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何かが好きなら、せめてそれを、何かを殴るための道具にしない程度の誇りを持ちたい




好きなものがあると、なんとかしてその好きなものの価値を証明したくなる。


好きなものがあると、なんとかしてその価値を守りたくなる。


そういう時に、手っ取り早く「比較」したがるのはしょうがないと思う。


そういう気持ちになっても、あえてそれをやらない人を格好いいと思う。かくありたい。



自分を好きでいたいがために、自分が好きな守るために、何かを「バカにする」ことを続けてきた私が言えることではないけれど。



でも、そういうのに憧れる気持ちは私にもあるんやで。



ネットで「好き」を発信できることはそれだけですごい

みんなさ、ちゃんとその人なりにその作品のことを味わってるし考えてると思ってます。

ただ、それを語るときにどうしても臆病になっちゃっうだけなんじゃないかな。

自分の好きをさらけ出すのって結構勇気がいる。

それで、つい過去の作品を引き合いに出したり、他の作品と比較したりして、足場を固めようとする。

そういうのが純粋じゃないって思う気持ちはわかるんだけれども。

それでも、そういう補助の助けを借りてでも、その人なりにその作品のこと好きだってみんなに言おうと頑張ってると思う。

少なくとも私はそう。

リアルの友達とか極限られた少数相手ならもうちょっと饒舌になれるけど、

ネットに向けて「好き」とか「ほかならぬ自分はこう感じたんだ!」を発信するのは結構大変だ。

わたしはそれすらもなかなかうまくいかないことがあるから、それだけでも十分すごいと思う。

そのこと自体に自信持っていいと思う。



だから後は「最低限やっちゃいけないこと」に気をつけよう。

自分の好きを信じるなら、他人の好きを安易な気持ちで傷つけないようにしなきゃ。

どうしてもそれがぶつかるなら、それ相応の覚悟をもたなきゃ。




好きを諦めますか? それとも・・・

がうがう。