前の記事の続きとして。
自分で面白いと思ったから書いたものが伝わらなかったとしても、「最初から面白いことなんて書こうと思ってないし」と言い訳したり「どうせつまらないものしか書けないんだ」といきなり諦めてしまう必要はない。「理解しない読者が悪い」と逆ギレするのは論外(※それが必要になるときもあるけど、いきなりこの手段を選んではいけない)
失敗から学ぶためには、まず「何に」失敗したかを明確に理解しなくてはいけない。漠然と結果だけを見ていても何も学べない。そして、明確に何に失敗したかを理解するためには、「どういう点が失敗になりうるか」を知識として持っていた方がいい。知識をもっておくことで「できるだけ限定的に、そして具体的に」失敗することができる。そうすることで、ダメージの量を減らし、ダメージを受ける部分を限定し、学ぶための余力を作るのだ。学ぶためには、ダメージコントロールが非常に重要になる。
ダメージ・コントロールが出来ないと、学びのための力が得られない。
・失敗したら失敗したまんま。ただツライだけ。どんどん臆病になっていく。
・失敗したらそれは誰かのせい。自分は悪くない。どんどん傲慢になっていく。
・失敗したら学習するけどあさっての方向に学習。どんどんズレていく。
そうなってはダメ。大事なのは失敗を学びに結びつけること。
そのために「限定的に、そして具体的に」失敗することが大事になる。
という話なんだけど、以下偉そうに書いてますけど自分全然できてないから(涙)
あくまでそういうのできてる人のことを知ってるだけだから(涙)
一番わかり易いと思うので受験勉強の話をします。
ダメージ・コントロールの上手な人は学習機会が多く確保できる
出来る人はこのダメージ・コントロールが非常に上手だと思う。「なんとなくわからない」「なんとなくダメだった」という状態を作らない。一歩ずつ着実に理解して、理解できないところがあったら「この部分が、どういう風にわからない」と説明できるんですよね。つまり「どこまでは理解できている」「ここまでは身についている」ということをちゃんと把握して、自信を持っている。
こういう人は、間違ったとしてもそれほどダメージを受けず、しかも間違ったところをちゃんと受け止めて正しく学習できる。だから間違いを恐れずどんどん問題にチャレンジしていくことができ、どんどん成長していく。
逆に、出来ない人は、本当にこのダメージコントロールが下手くそです。私も苦手意識分野になればなるほど、このDCが下手になります。今やっている車の運転や英語の勉強などは、どちらもコツがつかめないせい、できないことが多すぎて何から手を付けたらいいのかわからない。そのせいか、精神的に大ダメージを受けやすく、非常にツライです。失敗するごとに臆病になってしまい、おそるおそるやっては失敗し、しかもなぜ失敗したかがわからず、「全人格が否定されたかのような」ダメージを受けてしまって、落ち込み、ますます下手くそになっていきます。悪循環ツラい。
ダメージ・コントロールがうまく言ってる時は失敗した時のロスも少ない
また、こういう「出来る人」は、失敗した際のロス、つまり「どうすればいいかわからなくて悩んでるだけで止まっている状態」であったり「答えを見たり教えてもらってもわからないで前に戻る手間」がとても少ないです。言い換えると「一度に取り組むべき、わからないところ」をできるだけ少なく保つ努力をしている。ストレスを抑えつつ、ロスも少ないのでたくさんの問題を解くことができるわけです。トヨタ式なんで学んでないはずなのに、、勉強の「無駄、無理、ムラ」を押さえる知恵が実践されてるというわけです。
これはもう強調してもしたりないのですが、勉強に限って言えば頭の善し悪しより「量」が重要ですほんとに。勉強がデキる子は、例外はあれど、やはり勉強が出来ない子の何倍も勉強「量」が多いです。そして、勉強「時間」と勉強「量」は全く別物です。勉強できる子は、短時間でもすごい効率で勉強量をこなしています。
勉強が出来ない子。これはもう顕著。恐ろしく無駄が多い。同じ時間を勉強に費やしているはずなのに、1学期トータルで見たら勉強できる子の10分の1も勉強していないなんてザラです。不真面目で勉強そのものをしない子はそれほど多くないですが、真面目なのに効率が悪いばっかりに勉強量がとても少ない子のほうが多い。もうこれは本当に悲しくなってくるものがありました。
ダメージ・コントロールがヘタで、かつ効率も悪かったら「嫌いになるしか無いじゃない!」
どっちも下手だったら、心が折れるんですよね。そして、大体の場合、コツがわからないからどっちも下手になる。
そして、日本は学校教育でも企業の教育でも、教えるのがめちゃくちゃ下手くそです。めちゃくちゃ下手くそです。めちゃくちゃくちゃくちゃ下手くそです。教える気あるんか、ないやろ、ないといえ!って感じで下手くそです。ちゃんと訓練を受けた人が教育を担当しているケースなんて殆ど無いですよね。そしてそういう人からしか教育を受けたことがない人がまた教育を担当するから負の連鎖です。そもそも教育なんてそんなものだと思ってる人ばっかりですよね。だから、偶然近くにものすごく出来る人、学習力が高い人をみつけて、その人について学ぶことができなければ身につかない。進学校以外でそういう幸運に巡り会える確率は低い。
あげく、学校や組織で教育しようとすると、その効率の悪さを補うために根性論が幅を利かせることになってしまうわけです。しょうがないじゃない。到達しなければいけないノルマが決まってて、それに到達させるための方法ができてないんだからあとは時間を大量に投入するしか無い。誰も「効率よく勉強する方法」を教えてくれない。それが当たり前になってないどころか、そういう勉強の仕方をバカにする人の方が多い。
そんなんで、勉強できるわけないし楽しいわけがない。みんな勉強嫌いになるしか無いじゃない!
良いサイクルが回るところまで考えて努力できれば…
本当に勉強出来る人って、勉強嫌いじゃないし、本当にそんなに努力してる感覚ないんですよね…。本当にしんどくないし、できるから楽しいの良いサイクルができてると思うんです。自分たちだって今やってることがシンドイつらい逃げ出したいと思っているなら、それをなんとか良いサイクルに出来ないか考えないといけないですね。
勉強に限らず、だれでも得意分野だとそうなってると思います。だから、一つでもれっきとした得意分野(好きな分野ではなく、他の人より明らかに高いパフォーマンスを出せている分野のことです)がある人は、他にも応用できればきっとうまくいくはずなんだ…。
私、なにか得意分野なんかあったっけ…