障害という言葉がよろしくないなら、こう言い換えよう。彼女らは本当に、救いようがないほどに、面倒くさくて可愛らしくないのだ。
- 作者: 鈴木大介
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2014/09/27
- メディア: 新書
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現実には薄幸の美少女など存在しない。あるのは無気力で、容姿も見難く、性格も(障害のため)可愛らしさがなく、「どうしようもない」ため打ち捨てられている存在である。たとえ本人の責任ではないにせよ、助けるためのハードルが極めて高く、かつ助けたいと思えるようなパーソナリティではない。またそもそも本人たちの困窮ぶりが可視化されず、むしろ事情をしらない人から見ると批判の対象になってしまう。それが「最貧困女子」。先に「最貧困女子」について触れたある記事に、はてなブックマークでは「同情の余地なし」「まず勤勉に働いている人を助けるべし」というブコメが多く並んでいたのは非常に印象的だった。
そういうすくいきれないものについて語っている本。
「それでも助けるべきか」「助けるために何ができるのか」「今すでにいろんな人が頑張っているがそれでもダメなのにこれ以上何ができるのか」「それは誰がやるのか」この本には、弱々しい提言は書かれているが、希望は書かれない。
貧乏(プア充)と貧困と最貧困の違い。
・貧乏は、所得が低いこと。
貧困女子と貧乏女子を比較すると、むしろ貧困女子のほうが所得だけなら多いこともある。そういう意味で数字だけで「貧困者」を可視化することは難しい。
・貧乏から「3つの縁」が失われたものが貧困。(家族の無縁、地域の無縁、制度の無縁)
・最貧困はさらに「3つの障害」に合わせ、身体がボロボロになっている(精神障害、発達障害、知的障害)
あらゆる局面で被害者であり、何も与えられず虐げ続けられた彼女たちは、ケアされるどころか、セックスワークの世界からすらも除外され、差別の対象となる。彼女たちの痛みや苦しみは、可視化されないどころか、理解できないとして糾弾の対象にすらなってしまう。
一般人の常識で考えると、最貧困女子は一見同情の余地がないようにみえるのだが、劣悪な発育環境と障害によって、どうしようもないのである。理屈では分かるのだが……
「貧困」の時点ですでにほとんど救いがない
◆たとえば家族の無縁は
・親からのネグレクト、虐待、家庭内不和、などがあっても、家族が在るならまだマシな方で
・家族が死んだり、命にかかわる虐待などによって養護施設育ちの人が多い。
・親がそもそも生活保護受給者、精神病であることが非常に多い。
私達が住んでた公営団地がもともとやばいんだよ。とにかく人がたくさん死ぬの。自殺とか火事とか。生活保護の人も多いから、同じ小学校でも団地から通ってる子は違う、みたいな目で見られるし、実際ぜんぜん違う。
西原理恵子の作品などで描かれるあの世界である。
◆こういった人間は家庭環境から逃れるために非行少女になることが多いが、非行少女は社会からも厄介者扱いされるだけで「制度の無縁」を招きやすく、実際に少女たちも大人や社会制度を敵視してしまうことが多い。 (救済への斥力)
◆この時点で「家族の無縁」「制度の無縁」が完成しており、最後に「地域の縁」を求めてどう行動するかでその人の人生が決まる。社会からのはみ出し者といっても、良い人達、真面目に働いて整形を立てているは当然いて、そういう人たちと連帯できれば救いは在る。「フルーツバスケット」なんかは悲惨ではあるがまだ救いのある話である。
しかし、家庭も制度も助けにならない以上、たいていの少女には「地元の不良少女グループ」くらいしか提供されない。ここで万引きや売春などの犯罪行為に手を出しているグループとつるんでしまうとこの時点でアウト。
地域の縁最後のセーフティネットである「地元の不良少女グループ」はすでに「組織化」されていることが多く、マンガであるような精神的な互助関係だけではとどまらない。実態はブラック企業的であることが多く、しかも外部からの援助なしに「足抜け」をすることが難しくなる。
だが、このブラック企業のような理不尽に支配されている状態でもまだ「最貧困」ではない。それどころかろくなものではないにせよ、まだ「地域の縁」(特にもっとも重要な住居)が残っているためギリギリ生存可能ラインである。
◆ここから更に底がある。この最後の地元コミュニティからも排斥されたり、自ら逃げ出して都市部の路上に飛び出してきた少女のうち、さらにあるパターンに嵌った人が最貧困になる。
・飛び出した先に、親族や、ネットでの知り合い、先に地元を出た先輩など受け入れ先がある場合は生存可能性大。
・都市部の援デリグループに「移籍」する場合。 短期的には生存可能性があるが転落の危険も大。
・全くアテがない状態で衝動的に飛び出しさざるを得なかった場合。=高確率で生存不可。
何一つ縁を持たずに都市に逃げてきた家出少女たちの状況
昔と違って、都市において家出少女が自力で生存する方法はほとんどが規制されて失われてしまっている。
家出少女にとって生存に必要な4(+1)要素として「宿泊場所」「現金」「仕事」「携帯電話」「隣にいてくれる誰か」があるが、家出をしている時点で公的なサポートが受けられず(受けるとまた地元に連れ戻される)。さらに「未成年徘徊取り締まり条例」や、05年「ネットカフェ深夜未成年禁止」、プリペイド携帯の未成年購入禁止など、路上で生き延びる手段のほとんどが公によってカットされてしまっている。
彼女たちは、職につくことが出来ないため
「その日を凌ぐための売春の繰り返し」
「水商売系の人間に拾われる」
「フル代行業者」
のどれかにひっかかる可能性が非常に高く、どれが来てもセックスワークに取り込まれることが不可避である。実際にこういう少女たちを狙って網を張っている業者がたくさんいて、ここで支配され、搾取されていくことになる。
だが、この奴隷のような状態でもまだ最貧困ではない。
セックスワークの世界に取り込まれても生存可能なルートは存在する。
・恋愛成就型(いい男を見つけるだけの容姿・コミュ力が必須)
・独立起業型(べつの女を売春させて経営できるだけの知恵が必要)
・夜職デビュー型(それが務まるだけの各種能力が必要。最近はガンガンハードル上がってる。頭も容姿も良くコミュ力に優れ余裕も意欲もある「プロ意識の強い」女性がライバルになる。)
ここからあぶれた存在が「最貧困」になる。
セックスワーク関係の人間ですら「デブでブサイクで生活の歪んだ少女」は初めから救済対象にしない。商品価値のない少女に対しては非常にドライである
セックスワークの世界に取り込まれたにもかかわらず、そこから這い上がる武器を何一つ持たず、それどころか、最後のセーフティネットと言われるせックスワークの網ですらすくわれない女性たちが「最貧困女子」となる。
責任を問うべき自己そのものがすでに破壊されてしまった女子たち
ここ(「最貧困」の状況)には自己責任論など絶対に差し挟む余地はない。なぜなら彼女らは、その自己というものがすでに壊れ、壊されてしまっているからだ。
「精神障害、発達障害、知的障害」+「身体がすでにボロボロ」。
この本ではそういう女性がどうやって生き延びて、どういう末路をたどっていくのか、が綴られている。正直、読んだ感想としては、ここまでいくとどうしようもない、としか言い様がない。生活保護さえ自力で申請することが出来ないし、その提案をしても本人が拒否せざるを得ないケースが多い、実際に申請してもおそらくダメだろうというケースも多い。
http://www.amazon.co.jp/review/R16DWPJHR0IOQH/ref=cm_cr_rdp_perm?ie=UTF8&ASIN=4344983610
身につまされる。ただ救済方法はない。社会人として立つ最低限のモラル、能力をあたえられないまま生きてきて、もう周囲がなにかしてやれるような存在じゃないのです。ちゃんと自分の足で立っていた人間が何かの不運、不幸でつまづいて倒れたのなら、立ち直るための手伝いをしてあげることは友人、知人であれ、行政であれ可能です。しかし本当にひどい子はもともと自分の足で立つ能力がありません。親が両足をもいで放り出したようなもので、助けるすべがないのです。
その証拠にこの著者もこの本を出版したものの自分の無力を嘆く以外には何もできないし、読者もまた同情的なレビューを書くこと以外には何一つできません。私も小銭をくれてやって効果のない説教をする以外なにひとつしていません。自分を苦境から救い出せるのは自分以外にはいないんですね。私も「三つの無縁」から身を起こした者なので胸が痛みますけど。「三つの障害」まで抱えちゃった人を救済する方法はないですね。
- 作者: 鈴木大介
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