水木しげる先生の「 幸福の7か条 」です。
水木先生、有り難うございました。 pic.twitter.com/D1F2a29H49
— 世界文庫 (@sekaibunko) 2015, 11月 30
これ読んで「怠け者になれ」くらいだったらできるよ、なんてスルーしてたんですがこんなツイートが。
水木先生亡くなられて、いわゆる「幸福の七か条」がTLによく見られますけど、第六条の『怠け者になりなさい』の意味するところはこういうことですよ
https://t.co/ctdCO7Bo8R pic.twitter.com/h30AyXxi8D
— しゃも (@syamojii16) 2015, 11月 30
せっかくならきちっと理解しておきたいなと思ったので早速ポチって読んでみました。
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的にことを行ってはいけない=全身全霊コミットメントのススメ
これには「気にするな」と行ってるわけじゃない。水木さんの幼少時代(ベビイ)の頃の教育は「成功者こそ幸せ」だった。出世すること、有名に成ること、栄誉を得て勝利者になれ。戦争の影響で世の中が勇ましかったから余計にそうなったのかもしれない。そう世間の風潮に納得出来ないなら従わなくても良い、その代わり自分で考えなさいって言ってる。
不幸な顔をした人たちは、「成功しなかったら人生はおしまい」と決め込んでいるのかもしれません。成功しなくてもいいのです。全身全霊で打ち込めることを探しましょう
水木さんがマンガで食えるようになったのは40歳を越えてからだった。それまでは「命の次に大事な眠りすら削り、うんと頭を絞って、マンガにかじりついてきました」と語られている。
普通の人にとっては世の中の動きに合わせたほうが楽かもしれない。それでも納得出来ないなら、自分にとって大事なことがあるならば、世間から理解されなくても、しんどくても、かじりついてでも全身全霊でそのことに打ち込もう、と。
サラリーマンのおっさんにちょっと自分のやりたいことを否定されたくらいで頭に血がのぼるようではダメだと思いますよ。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい=初心忘ルルベカラズのススメ
これは一条とかぶっているように見えますが、二条で言ってるのは「打ち込めることを探すコツ」についてです。それは幸福の原点を探すこと。初心に戻ってみることが大事だと水木さんは言っています。「自分が今まで生きていて一番幸福だった時のこと」「今自分の中で好奇心が沸き起こること」を考えてみよう、と。
これについてもやはり、何も考えず、世の中そういうもんだと諦めたほうが楽だと思います。それでも考え続けることをやめずにいられるか、という覚悟が問われているのではないかと。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし=奇人変人のススメ
世間の常識から外れたことをすると、つらい目にあったり、恥ずかしい思いをすることも有るでしょう。それは甘んじて受ける。忍耐もする。あなたは好きなことをやっているのですから。それが楽しければ、世間との食い違いが起きても慌てず騒がず、ひたすら自分の道を進めばよいのです。他人の思惑などに振り回されず、自分のやりたいように生きる。
「自分のやりたいように生きる」ことをミズキさんは「虫の世界観」と言っています。あるいは「あなたも奇人変人になりましょう」と呼びかけています。「自分のやりたいように生きる」のだから、世間とは衝突して、つらい目にあうこともある。それでも自分の好きにやってるから幸せだ、と言える。そういうものを見つけてそれを追求する覚悟を持て、と言ってるわけです。
中島義道じゃないですが「社会に復讐しながら、なおかつ社会に賞賛されたい」という望みを抱く人がいます。ブロガーはそういう人がどうも多いような気がします。しかも、そういう人に限って7箇条のお題目だけ読んで、自分の都合の良いように捻じ曲げて水木さんの言葉を使おうとしたりするような気がする。他人の言葉を自分の都合の良いように捻じ曲げるのは理解ではありません。ただの利用です。理解しましょう。
「ブロガーは批判されて一人前」じゃないですよ。「批判されてもなお自分は好きなことをやってるから幸せだ」と本心から思えるところまで突き抜けることを目指しましょう。
第四条 好きの力を信じる =自己投資・継続的努力・生涯現役のススメ
同業者はほとんど消えていきました。多分「好き」のパワーが弱かったのです。水木さんが幸福と言われるのは、長生きして、勲章をもらって、エラクなったからなのかな?違います。好きな道で60年以上も奮闘して、ついに食いきったからです。ノーベル賞をもらうより、そんことのほうが幸せと言えましょう。
ここで語られる「好き」は苛烈なものです。
たとえ貧しくても一切言い訳なんてせず、食べ物代を削ってでも話作りや妖怪の作画のための資料を買い込み、ずっと努力し続ける。でもそのことを苦だとは思わない。なぜならそのくらい「好き」だから。
水木さんは消えていった同業者をこう描写しています。
同業者の家に行くと、本なんか1冊もない人達も少なくありませんでした。面白おかしく、楽しみながら好きな漫画を描いて、楽して暮らしたいと言う人達です。
この人達だってマンガが好きだし、マンガを描くことも一般的な意味では好きだと思います。でもこういう好きじゃダメだと言ってるわけです。普通の人の「努力」の上を行く努力。それを苦もなく生涯続けられる力。それが「好き」だと言っている。
自分がやってることがこのレベルで「好き」だと信じられるか?あるいは自分の「好き」をこのレベルまで育てられるか?そうじゃないなら世間のルールに従ったほうが良いかもしれないですネ。
第五条 才能と収入は別。努力は人を裏切ると心得よ =「過程を楽しむ」のススメ
これは努力するな、という意味ではありません。逆です。「努力は報われる」という考え方からの解放を説いている部分です。
結果の善し悪しは運に作用されるから、努力がすぐに報われなくてもくよくよせず、もっと努力しろ、努力を楽しめというやつです。
努力に見合う見返りはなかなか得られないのです。だからといって、絶望したり悲観したり、愚痴をこぼしてはいけません。ただただ努力するのです。そうです、好きな道なのですから。栄光や評価など求めず、大好きなことに熱中する。それ自体が喜びであり、幸せなのです
一歩間違えればブラック企業のポエムです。というか、実際向いてない人がやれば間違いなく水木さんの漫画家業はブラック企業そのものでしょう。それでも自分がやりたいことを思い切りやっているからこそ続けられる。そのくらい「好き」を大事にしろって言ってます。
閑話休題
そろそろわかってきたと思いますが、第一条から第五条まで同じことを、ちょっと違った切り口で繰り返し語ってますね。
第六条 怠け者になりなさい =オンオフのメリハリのススメ
現実は厳しい。努力しなくちゃ食えん、それに努力しても結果はなかなか思い通りにならない。だからたまに怠けないとやっていけないのが人間です。ただし、若い時は怠けてはダメなのです!何度もいいますが、好きな道なのですから。でも、中年を過ぎたら、愉快に怠けるクセをつけるべきなのです。
言ってみればふつうのコトです。ただ、実際「オフ」の部分を必要なことと認めず怠けだ、悪だとする姿勢が強い世の中で、この言葉はとても力強いですね。
その上で水木さんは怠け方にもこだわりがあるわけです。「愉快に」「楽しく」「わくわくすること」をしろと言ってます。そうやって仕事ばかりやってたら得られない体験やエネルギーを吸収してまたそれを好きなことに活かせと言ってるわけです。
とんでもないワーカホリックだぜ!
第七条 目に見えない世界を信じる =幸運の引キ寄セのススメ
なんでも合理的にしてしまうと、人間は満たされません。世間に流布する認識能力や価値観では捕まえきれない、様々な事柄が解明されれば、必ずや人類の幸福に貢献するはずです。
水木さんは、戦時中の過酷で腕を失いますが、それでも自らはあまたの幸福に助けられて生き延びることができたといいます。
たとえ人の観点だけで考えると目に見えないものがいると思うことにより、心が落ち着き、気持ちが和み、元気に幸せになる。そういう不思議な力を信じる。 現実には不条理だったり不合理なことが多いと認めつつ、だからこそ逆の不条理、不合理、つまり人を幸福にしようとする見えない力もまた存在すると信じる。そしてそれを引き寄せるために意識を払う。
いろんな「負の」不条理や不合理を嘆いたり否定しようとするのではなく、「正」もあると考え一緒くたにしてそれと付き合う。人間の世界だけで考えるとぶち当たってしまう限界を越えてもっと自由に考える。そういう考え方をすれば、少なくとも行き詰まりを感じることはないでしょう。 どこまでも希望は残る。希望なんてあると逆にしんどいと思うかもしれないけれど、それを信じ続けることも大事でしょう。
「幸福に生きよ!」
というわけで自分なりに読んで考えてみた。水木先生はゲーテが大好きらしく、それに影響を受けているそうですが、私はウィトゲンシュタインを思い出しました。
http://ameblo.jp/woodbee/entry-11891150629.html
ウィトゲンシュタインは語りえない世界の存在を否定したわけではなく、ちゃんとその存在をわきまえていて、たとえば
「哲学は、語りうるものを明晰に描写することによって、語りえぬものを指し示そうとするだろう」と言っています。
とかね。
私はヴィトゲンシュタインは論理哲学論考しか読んだことはなくて、しかも最初何いってんのかわからず挫折したんですが「素晴らしき日々」という作品がヴィトゲンシュタインが人生に希望的なメッセージを発する存在として登場するのを読んでえらく驚いた記憶があります。(もっともこの辺りは後期ヴィトゲンシュタイン問題というらしいですヨ)
http://boobeemagic.jugem.jp/?eid=3
http://d.hatena.ne.jp/skezy/20120505/1336229857
http://gahkun.blog95.fc2.com/blog-entry-1133.html
善き意志、あるいは悪しき意志が世界を変化させるとき、変え得るのはただ世界の限界であり、言語によって表現され得るような事実ではない。つまり、この場合世界は全体として別の世界になるのでなければならない。世界はいわば全体として縮小もしくは増大せねばならない。幸福な人の世界は不幸な人の世界とは別の世界である。
水木さんは要するに自らの意志によって世界を変えよ、「幸福な人の世界」に生きよと言ってるように感じました。
おまけで私の「素晴らしき日々」の感想ものせときます
http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=12591&uid=cafe_artful
「水木さんの幸福論」はブロガーさんなら一読の価値ありだと思う
読んでみると
・「幸福の7箇条」の説明
・水木さんの「私の履歴書」
・水木さんの兄弟から見た水木さんの話(子供時代~軍人時代)
・鬼太郎第一話
という構成になっている。
履歴書の方は硬い文体で語られていて身が引き締まる感じだけれど「幸福の7箇条」は語り口調が柔らかくて親しみが有る。
マンガ家として成功する前に、その都度読み捨てられてしまうような一時の娯楽を提供する「紙芝居」を描いて食いつないでいた「紙芝居屋」時代や、そこからどのような転機があったのか、という話などは今の「ブロガー」も参考になるのではないかと思う。
左腕を失い、社会のメインから逸れたところで生きるために必死に努力しながら、自分なりの幸福を求め続け、考え続け、それを発信し続けた水木さんが、死してなおファンから愛されてるというのは非常によくわかる気がする。社会への復讐だとかサラリーマン否定みたいなことをやってるブロガーさんの話を読むのもいいけれど、どうせなら水木さんの話を読んでみたほうが楽しいかもしれないですね。