「ゲーム機を壊すことの良否は結構、でもそれだけで彼女の人格をとやかく言うことは間違ってます。もし彼女の人間性に何か言いたいのなら、まず彼女の音楽を聴いてからにしなさい。あんなに純粋で美しい音色を奏でられる人に悪い人がいるわけがないから」
について、音楽の音色の美しさと人間性は関係ねえだろ、とツッコんだ人は多かった。みんなそこは切り離して考えられるわけだ。では、「女性を見下している上司」、つまり人間性としては難がある人が「素晴らしいマネジメント」をすることだってありえるのではないかと私は思う。
以下は語りたいことが多すぎて支離滅裂になってしまったけど言いたいことの根幹としてはタイトルのとおりです。「内心の善良さ」を求めすぎて「良い結果」を犠牲にしたり、「仲間になりうる人」を潰すみたいなことをネットでしょっちゅう見かけるけど、こういうのなんとかならんの?
https://note.mu/katagiri/n/n76dbb770b0a0
読んだ。うんうん、こういうの表で書いちゃう人ってゲスいなーとは思う。なんでこんなことを表で書いちゃうかなーって思う。
ただね。
この記事読んで思ったのは「大事なのは実際この職場がうまく行ってるのかどうかだよね」ということだ。
私は、この人の考え方には全然賛成しないのだけれど、実際にこういう考え方の持ち主がマネジメントをやってそれで今まで女性たちはプレッシャーを感じず、見下されているとも感じず、のびのびと仕事ができ、会社としても女性社員が活躍してくれて期待通りのパフォーマンスを挙げているのであれば私はたとえ上司がこういう持ち主だからといって全然悪くないと思う。
ベストが得られない状態の時、「ベター」としてどちらを選ぶか
ベストなのは、心から女性に対してリスペクトを示してくれているであろう経営層が女性にとって働きがいのあるマネジメントを実行してくれることであろう。できるならこういう職場で働きたいだろう。でも多分こういう職場は希少だと思う。
そして、ワーストは女性を見下してる経営層が、マネジメントも最悪、というパターンだ。こういう職場には女性はいつかなくなるだろう。私が前にいた会社の関西支社は女性がいなかった。話を聞いてみると、支店長が変わってから4年かけて女性社員が次々と辞めていき、ついにゼロになったらしい。こういうのはもう話にならない。
この2つはわかりやすい。ここまでは議論するまでもない話だ。だが次の二択だったらどうだろう。
①経営層は女性についてやや見下しがちである。ただし、そういう変な考えを持っているが故に、マネジメントは良くできている。
②経営層は女性についてちゃんとしたリスペクトを示す。ただし、マネジメント能力に欠け、結果として女性が苦しむ職場になっている。
これは人によって悩ましいところだと思う。もちろんベストが欲しいのだけれど、全てを得られない時はどっちを選ぶかってのはちゃんと考えておいたほうがいいなと思う。
これはちょっと違うけどね。
ちなみに私なら①を選ぶ。その人の内心なんかどうでもいい。そのあたりは「パンプキン・シザーズ」の1巻が見事に描いている。
俺たち平民は、貴族様のあなたに共感してほしんじゃないんです。
「助けて欲しい」それだけです。
まず大事なのは結果ですよね。言葉でいくら「女性の味方」とか言ってても役に立たない人よりはたとえ女性のことをそれほど好きでなくても職場環境を改善してくれる人の方が良い。あくまで「マネジメントとしては」だけどね。
つまり、「それでうまくいくなら内心で見下されててもいい」という考え方はアリか?という問いに対してあくまで「私なら」アリだと言う。というより、内心なんか鈍い私はどうせ分からないしどうでもいい。むしろそういうものを求めたり「善意でやってるからいいだろう」と思う人達よりよほどまともだと思う。
「マネジメント」における期待値の調整について
男性と女性って、どっちも結構お互いのことわかってない割に、というかむしろわかってないからこそ過剰に幻滅したり、過剰に期待値が高かったりすることがあると思う。で、この期待値のズレって結構問題を起こしやすい。
私は恋愛相手だったら嫌だろうけれど、マネジメントだったら人格面では「女性に対する期待値の低く」て、能力面では「助成に対する期待が高い」みたいな上司が意外と一番うまく行ったりするんじゃないかと思ってたりする。このケースがどうかはしらんけどね。
これ「レアジョブ」の社長さんの「LGBT」に関する記事が炎上した時にも思ったんだよね。
良い行いは良い人間性から発露するとは限らない。正しい事実認識さえあれば良いと思うのに、なんかしらんけど、やたらと「良い人間性」を求めすぎるのってどうなんだろね。
短期的には「内心がどうであろうが」上手く行く関係を築けているのであれば、それはそれで良いと思うが、「長期的」には絶対にダメ
ただ、ここまでの話はあくまで「短期的視点」で語ってる。長期的視点では絶対にダメだろう。長期的に見れば、女性を見下している経営者がその考えを改めないままだったら、どこかでいろいろ歪は出てくるとは思う。
ただそういうのって一朝一夕でどうこうなるものじゃないと思うんだよね。
でもそれってお互い様なところあってさ。女性は女性で、経営陣からより高い信頼得たいなら、あるいは上の人の認識を解きたいなら、そういう振る舞いをする必要があるよね。
そして、もし経営層がたとえ見下しながらでも短期的に「良い環境」を提供してくれたなら、その環境の中で、経営陣の認識をかえるべく行動してれば、そのうち本当に良い関係性が築けるようになったりすることも有るんじゃないかと思う。
そのあたり、いきなり短期で全部をベストの状態に持って行こうとするとしんどいよね。少しの瑕疵も許さない「ゼロ・トレランス」の概念は私大嫌いなんだよね。
ワーストは論外としても、ベターな環境が得られるならば、そこから先に双方に関係改善のために歩み寄る余地って出てくると思う。
福沢諭吉は「学問ノススメ」において「レシプロシティ(相互対等関係)」という言葉を提唱している。 福沢はこの言葉によって片方がクレクレ言うだけの関係だと圧政につながるから、両者がお互いに貢献しあう関係を築こうと主張した。そういうところを考えるのも大事なんじゃないかな。
まぁいろいろ書いたけど、このnote書いた人は多分ダメだろうな……
本当に上手く行ってるならさすがに女性が何人も泣いたり、セクハラで無記名告発とかはないと思うので……
*1:ところですごく前の話で申し訳ないんですが思い出したので書いておくと、未だにid:halcanaが私について書いた「良かれと思って」という記事は見当はずれも甚だしいので今からでもいいから訂正して欲しい。「良かれと思って」なんて話は当時からしても私から一番遠い発想だ。 それをよくわからんくせに途中でいきなりしゃしゃり出てきてわけわからん記事を書いて、しかもわざわざtwitterで会話したのに全然そのことを理解せず勝手に分かったつもりになってさらに的はずれな記事を書いて勝手に自分だけ満足して去っていった通り魔的行為をして恥じない彼こそ「良かれと思って」の典型じゃないの?と今でも思ってる。何をどうしてそう思ったのか今からでも説明してほしいわほんとに。悪意であの記事書いたんじゃなければ、もしかして人格的には良い人かもしれないけど私は彼のような自己満足オナニー大好きタイプの人間が一番苦手だ