できることとできないことの基準は人によって違う。同じことでも出来ることとできないことはある。だから誰にとっても一概には同じことは言えない。
でも、自分ではどうにもならないことに責任を感じることも、自分でどうにかなるしすべき(からほかの人は何もしてくれないこと)であるのに他のせいにし続けるのもどっちもしんどいから、せめて自分の中ではちゃんと「これはできること」「これはできないこと」ってのを意識したほうが楽になれるのは確かじゃないかなぁ。
自分にはどうやったって出来ないこと、その気にならないことについて、他者と比較してあーだこーだを言い過ぎてるのを見ると、そういう人はあんまり気持ちよくない。自分も出来ないことだらけだから似たような気持ちになるし、気持ちがわかるからこそ、私はそうしたくないと思う。
その中の一つとして、昔ならともかく今になっても「私はオタクだから気持ち悪がられるんだ」みたいな言い方をする人は、私はすきじゃないです。
質問:私は前期試験で「憧れている人」か「尊敬している人」をきかれたら、「銀魂というマンガの主人公、坂田銀時です!」と答えようとしていました。聞かれませんでしたが。これってアリだと思いますか?「二次元オタクきめえww」って思われますかね?そもそも二次元オタクってきもいいですか?
答え:君がやろうとしていたことは例えるなら「おにぎりの具で何が好き?」「具志堅用高」って答えてるようなもんです。きめぇでしょ。自分が具志堅の話がしたいばかりに人の話を聞いてない、会話が成立していないんです。 オタクがきめぇんじゃない、コミュニケーション下手なオタクは自己が肥大化して他人の話をきくより自分が何を話すかばかり考える人が多い。そして会話に不具合が起こる。それがきめぇんです。
面接はいかに自己表現できるか試す場でありますがあくまで会話の中でです。まずは面接官の話をちゃんとききましょう。「君の好きなアフロの具は?」「具志堅用高」なら解りますよ。 でも面接官は「おにぎりの具」を聞いているわけでしょ。「二次元の尊敬する人」ではなく「現実で尊敬している人」を質問してきてるワケでしょ。じゃあ君が答えるべきは一つでしょ。
具志堅用高です
この問で、理屈がわかった上で具志堅用高って答えてる人は「自分がオタクだからキモいって言われるんだ」とは絶対に言わないと思う。これ大事。相手がどうであれ、自分の感情がコントロールできるなら構わない。
「ゲイだから仲間はずれにされたんじゃない。僕が、嫌な奴だったから」 - この夜が明けるまであと百万の祈り
この記事におけるゲイの人も、自分で選んだ道であることを受け入れることで安定することができるようになる。大事なのはそういう話で、つまりどうにもならないこととか、自分でこうすると決めたこと向き合えるかどうかなんだと思う。
一方相手を批判するときにその属性を持って批判する人がいます。こっちはよく問題にされます。でも同時に、自分が批判された時になぜか「自分が批判されたのに」己が保持する属性や所属する集団を巻き込もうとする奴がいます。こっちは前者と比べるとあまり問題と思ってない人がいます。でも私はどっちも嫌いです。前者だけじゃなくて後者も嫌いです。後者も嫌いです。
というか、「オタクだからキモいと言われる」と思っていて「それが嫌なら」オタクやめるか(「電車男」の時に話題になった脱オタという方法)、オタクだとしてもキモいと言われないように対策するしか無いじゃん。けど、実際にこういうこという人って、自分がキモいと言われることをオタクのせいにしているケースが多いからタチ悪いと思う。
オタクがそんなに特殊でもなんでもなくなった今となっては「オタクが気持ち悪い」って言ってる人はむしろこういう人の方が多いと思う。言い訳するためにオタクをみずから貶めようとするのホントやめてほしい。お前の気持ち悪さに他のオタクを巻き込まないで。
問題点はコミュニケーションをちゃんと取ろうとしないですぐにオタク独特のコミュニケーションをオタク以外の人にもやらかすこととか、批判されたらすぐにふざけた態度で茶化したりとか、ミソジニー的なことを言い出したり、僕はこじらせだーとかいって開き直ったりしてコミュニケーションを拒否るからダメなんじゃん。そういう反省すべき点を全部「オタクだから批判されるんです」って言葉にぶん投げて何一つ改善しようとしないのはだめでしょ *1
*1:当然、この文章についても、もしブクマやら増田で気持ち悪いと言われたら、それは私が気持ち悪いことを言ってるからであって、オタクだからではありませんし、文句を言われるのは自分ではどうしようもないのである程度はスルーします