頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

最近のこのブログのお気に入りは「アークナイツ」です
アークナイツ
kindleセールの紹介
新NISA解説ブログ
発達障害

「タナトスの子供たち 過剰適応の生態学」 

こののち世界はますますその過剰適応の方向に走り、様々な過剰適応の型を否応なく生み出すことになると思います。


もしかしたら、もっとも恐るべき猟奇殺人でさえ、当人にとってはただ単に「自分のおかれた環境に対する異様な適応の形」に過ぎないかもしれない、ということは考えておく必要があります。ということは、「それほどまでにこの世界は異常なのだ」ということです。異常なものに対するには異常になるしかありませんし、正気のまま正常のまま異常な事態に対応するには、非常な勇気や叡智や機知や理性や体力が必要になってくると思います。


一番恐ろしいのは、「この世界はこれでいいのだ」と思い込むことです。それは様々な異常な過剰適応の形で「これで本当にいいのか」「これでいいはずがない」「これは間違っている」「そっちへいくのは間違いだ」と社会に向かって叫び続けている、そういう「正常のまま異常な事態に対応する勇気や叡智や体力を持っていない弱者」の存在をまともに無視することになります。


そもそも世界などというものは、これでいいことなど決してあり得ない、というのが真実なのです。私たちの社会は上に輝くゴールデンプライズを用意して、それに向かって私たちを競争させることで「満足できないのは、その勝利にたどり着けないお前自身の責任だ」と思いこませようとしています。だが、「そうでない適応の仕方」だって絶対あるはずなのです。その可能性は今ほとんど無視されています。だからこそ、私は、「いまこそそれが主張されるべきだ」と考えるのです。

故・栗本薫は「コミュニケーション不全症候群」で「おたく・摂食障害やおい」について、当たりはずれはあるもののえぐるような考察を描いた。


栗本薫がこの3つのテーマを気に入っていたのは、この3つが初期は「社会不適応の発露」であり「社会にとっての毒性が強かった」からだ。当時は「社会の免疫機能」で中和されきっておらず、「不適応」を通じて現代を映し出すテーマととらえたからである。この3つのテーマを通じて栗本薫「私たちは今、社会からどういう圧力を受けているのか」「私たちはこれでいいのだろうか」ということを問う道具とした。


はっきりいってこの作者はほら吹きがお仕事なので、大げさに書いているところもあったけれど、私も社会に適応できているとは言い難く、不安を抱えていたから当時はこの本がグサリと刺さった。


そのあとさらに栗本は「やおい」について掘り下げるためにこの本を書いた。*1


で、最近「レズ風○レポ」を読んだ。

ぼっち地獄からの再生「さびしすぎてレズ風○に行きましたレポ」感想 - この夜が明けるまであと百万の祈り

で、なんかめっちゃ聞いたことある話だなと思ったら、20年以上前の本なのに、この過剰適応の話が久々に思い出された。「おたく・摂食障害やおい」すべて含むし、母親に対する愛着障害も含む。性的なものについて過剰に抑圧的であり、リストカットもする。

これはあくまで個人の話だ。栗本薫のように、主語をでっかくして社会を語るような本ではない。だが、そういう個人は以前変わらず存在するということを「レズ風○レポ」ははっきりと主張していた。

そうやって、家庭や社会において「適応できず、適応できないがゆえに過剰適応して」壊れる人は今でもいるのだな、と。多分昔からいて、今もいて、これからも繰り返すんだろうなと思った。


今はこういう「不適応」については「発達障害」や「SAD」などいろんな形で認知されてきていると思う。 適応できないやつらが悪いだけではなく、社会側が変わらなければならないという認識もちょっとずつ出てきてる。そういう人たちを支援する会社LITALICOが上場するまでになってきてる。だけど、まだまだ当事者ですら、自分の状態をどうとらえればよいのかわからず、悩んでる人すごく多いんだと思う。


と、いうわけで、自分にとっては原点的なところもあるし、だいぶ忘れてるので、この本の朗読でもして、一か月後くらいにまた感想でも書こうかなと思います。



ちなみに、冒頭で引用した読んでどう思いました?

栗本薫はSF作家や大河ファンタジー作家が本業であるためか、社会を語るときも超超超上から目線で社会を語ります。こういう芸風が嫌いな人は嫌いかもしれませんが、私はこういう語り結構好きなんです。ただし、はてなブログの雑な主語でかいやつ、てめーらは駄目だカスだ。

この高さの目線で語る人はそれなりのレベルが要求されるよね、と思う。

*1:私は「過剰適応」という言葉を知ったのはこの本経由だし、ぶっちゃけBL関係は結局この人の作品以外読んでないので、今でも私はやおいやBLに関してはかなり偏った見方をしてると思う