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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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加害者というスティグマ

いじめや差別という問題を考える際に知っておくといい言葉として「スティグマ」という社会心理学用語があります

スティグマとは、語源的にはギリシア語で肉体上の徴(しるし)を意味する。「穢れたもの・避けられるべきものである」ということを、他者に知らせることを目的として、奴隷・犯罪者等の身体上に押された烙印のことを指す。個人が持っていて、それがその人の社会的受容に深刻な否定的影響を与える、いわゆる汚点・欠点・ハンディキャップなどのこと。具体的には、様々な肉体的・精神的障害・精神病歴・犯罪歴などがある。

スティグマについて気を付けるべき点

スティグマとは何?ハンデキャップなどを指す社会心理現象!克服はどうしたらいいの?解決策はある?|WELQ [ウェルク]

①「弱者」には優しいが「嫌いなものに厳しい」というリベラルに典型な態度はあまり好まれない

重要なことは、スティグマの発生根拠が「正常から逸脱した」「欠点」「ハンディキャップ」とみなす社会の側、あるいは「蔑視」し「不信感」を抱くスティグマを持たない常人の行為や感情にあることなのです。

この視点で見ると聾者をいじめた石田たちと、加害者をいつまでたっても許そうとしない人たちは同等になります。
あくまでも「常人たちが、それを許さない」というところに焦点を当てるからです。

いじめ反対や差別反対をする人たちのうち、一部のラディカルな人たちの言動が嫌われるのは、いじめや差別に反対しながらも、原理として他人にスティグマを指摘しようとしたりする態度が、いじめっ子のそれによく類似しているからです。

この手の過激な人たちは「自分たちが立場が弱いマイノリティである」という前提を強固に持っているため、「私は正常である」「お前は異常である」という構図で人を攻撃するとしても、それは弱者から強者への反撃だから問題ない、と考えているように見えます。

そのために、どれだけ数が増えても読者と書き手の関係はあくまで1対1の関係であるネットにおいては、その言動は途端にアンフェアに見えてくるわけです。書き手がどれだけ1対Nに見えていてもそれは読者には関係ない。ネットにおいて「マイノリティ・マジョリティ」を指摘するのはとても難しいと思いますね。

差別的発言やヘイトスピーチについてのチラ裏 - この夜が明けるまであと百万の祈り






②理解といいうかリスペクトが足りないと「傲慢」の罪を犯すことになる

いずれのスティグマもその人の置かれた状況に対する理解を深めて、差別や偏見を払拭し、弱者に対する同情心や「気の毒な人」という概念を持たずに対等な人間関係の構築する必要があります。

「ハンディキャップがある人をよりよい状態にしてあげる」「あの人たちのためにあるのが福祉だ」

という発想がありますが、この発想をする時に、安易に「してあげる」側に立ってしまいがちです。考えるべき、感じるべき事はすべて基本的に「あの人たち」のためにと考えてしまっています。これには、福祉教育に関わって「外面的福祉」の世論造成が抱える問題があります。

これはすごく難しくて、短期と長期で取り組みが変わってくるため、そのバランスをとる必要が出てきます。

私は基本的に他者を自分より下に置いて話すというのが嫌いです。しかしそのせいか、自己イメージが「マイノリティ」とか「弱者」という日人たちと非常に相性が悪いみたいです。向こうには私のことが傲慢に見えてしまうらしいし、自分もついつい向こう態度が「あえて下に降りることで権利を主張している」ように見えてイライラしてしまう。 
でも、これは明らかに私にも問題があるところだと思っています。




スティグマという視点から見た、いじめや差別との向き合い方

https://www.socius.jp/lec/20.html

○○を一般化してはならないということ、○○の多様性を発見することがたいせつだということだ。○○に対する偏見やステレオタイプに気づき、積極的○○像の可能性をさぐり、社会全体が○○の積極的意味を認識するようにしなければならない。そうなってはじめて、老いはスティグマでなくなるのである。

いじめられた経験がある人間の一サンプルとして「絶対に許さない」人たちばかりではないということは主張したい

いじめられていた人間が自分をいじめた人間に望むこと - この夜が明けるまであと百万の祈り

「いじめられた人間」の救いは、「いじめられた自分が自分の価値を肯定できるようになること」および「自分をいじめるような世界や社会を信頼できるようになること」にあると私は考えている。上でも書いたけど「心のウイルス」に負けないようになりたいということだ。

「いじめられた人間」が「いじめた人間」を許すべきかどうかについて、いじめていた時の人間からまったく別の人間になってください、としか言い様がない。反省してくれる事自体はとても良いことだと思う。開き直るよりずっといい。個人的な感情としては「反省しても許さない」といいたい気持ちもないわけじゃない。だけど、そうしちゃうと「開き直って自己正当化し成長しない人」ばかりになってしまう。①でも書いたけど「いじめ」が不可避の環境ってあると私は思っている。そこで、たまたまいじめられたのが私というだけで、状況が変われば貴方がいじめれていたことも十分ありえたと思ってる。環境の負荷にたいしてみんなあまりに未熟すぎたことが原因だ。だから、貴方が成長して、人をいじめるのは良くないとわかってくれるというのは望ましいことだ。「なぜ私の時に気づいて止めてくなったんだ」なんて今更蒸し返しても意味が無い。幼稚だったから仕方ないっていうしかない。

だから「いじめた人がいじめられた人に謝って、償いが終わり」とは絶対にならない。「いじめた人間が、いじめられた人間」にしでかしたことは、もう取り返しがつかない。なかったコトになどならない。それでももし償いたいと本気で思っているのなら、謝罪なんて要らないから、他の人がいじめられていたらそれを止めて、救ってあげて欲しい。最低「いじめはよくない」って自分の家族や周りの人に伝えてほしいです。罪を憎んで人を憎まずとういう言葉があるけどほんとそれで、自己嫌悪になったり、自分自身をさばかなくていい。ただ自分がかつてやった「いじめ」という行為はちゃんと否定してほしい。それで「自分はもういじめなんてしない」ってなってくれたなら、もうあなたは私をいじめていた時と同じあなたではない。

あくまでこれは私の意見であって、ほかの人とは違うと思いますけどね。





※以下、最初はポリコレの人たち嫌い、という話を書いていましたが、ブコメの指摘を受けてその通りだと思ったので訂正しました。私もスティグマを振り回す愚に陥っていたようです。


私もいじめられていたことがあるので、「いじめ」や「許し」についてはたくさん考えて記事書いてます。いまだに納得いく答えは出てません。

いじめ カテゴリーの記事一覧 - この夜が明けるまであと百万の祈り
被害者意識との向き合い方 カテゴリーの記事一覧 - この夜が明けるまであと百万の祈り


そういう立場の人間からして、「聾の形」に群がってるポリコレさんたちの態度には強い反発を感じてしまう。正直話を聞くのも嫌になってしまうのだけれど、ここで彼らを否定せずに話し合っていくのはかなり困難だと感じる。でも、ここで終わったら、途中で飛び降りた硝子と同じになってしまうだろうか。

そこで硝子が諦めずに殴り合いになりながらも、植野にしがみついたのは、ベストな選択肢ではなくとも、私よりはるかに立派かもしれない。彼女は決して魂のない、ストーリーにとって都合のいい人形とは言えないように私は思います。



「聾の形」に満足できなかった人は、「マギ」のマギノシュタット編を読んでみてほしい

自分をいじめていた人たちを虐殺して回ってる人たちの姿が描かれてるから。

で、自分でそういう人たちの姿を見てどう思うのかを語ってほしい。


自分たちの被害ばかり見ていて、自分たちが加害者になる可能性をみじんも考慮してない人は、それによって最低限の社会的節度も守れなくなっては会話ができなくなってしまう。