長谷川豊さんの話題に関して、彼の主張している話を「功利主義」であると誤解している人が多いのではないかと感じます。
「功利主義」という言葉は誤解されやすいのですが、むしろ長谷川豊さんの意見に真正面から反論する意見であると理解すべきなんですよね本当は。
長谷川豊さんも、ブラマヨ吉田さんも、おそらく聞きかじりで「トロッコ問題」やこういった問題に対して
「みんなのために、一部の人間を切り捨てることが論理的に正しい」という認識を持っているのだと思われます。
そうじゃないんやで。それ「功利主義」の観点からみたら完全にアウトやで、と。
誤解されやすい功利主義
5人を救うために1人を殺すという回答は功利主義のテストに落第する。現実の世界はトロッコ問題のようには動かない。現実の世界では、例えば90%の人口が10%の人口を奴隷にするような方法では(これも反功利主義的な仮説の典型的なものだ)、「功利」は最大化されないのだ。
さて、ある人物Xが、より大きな善だとXが思う物事のためにX自身を犠牲にすることには問題がない。しかし、より大きな善だとXが思う物事のために別の人物Yを犠牲にすることは、全くもって大問題だ。それは地獄へと続く道だし、私たちはあまりにも多くの社会がこの道を通ってしまったことを知っている。
だから、現実の世界に生きる本物の功利主義者は、他の人にとって善であると思われる物事のために人々が搾取されることを防ぐために、不可侵の人権という種類の概念を取り入れる。
長谷川豊さんの記事に関して、本質的に最も重要な反論ポイントはどぎつい言葉を使ったことではなく「人権侵害」をあおっていたことです。
これは、功利主義的な観点で見たら、アウトなんですね。 功利主義は、長谷川豊さんの意見を肯定するものではない。これ大事ね。
社会運営上それは倫理的のみならず、功利主義的にも不正解。
つまり、全く擁護すべきポイントがない。ただの一部の人間の感情を慰撫するだけの感情論でしかありません。そもそも論理的な正当性はないんです。
「気持ちはわかるが」はまぁ認めるにしても、「主張には一理ある」という必要すらないわけです。
そもそもとして「透析患者」がターゲットであること自体意味不明です。 削るにしても一番駄目なところ指定してるわけで全く論としておかしい。
長谷川豊さんやブラマヨ吉田さんは、
今でも「一部発言に問題があったし、たとえが下手だったことは認めるが、主張は妥当である。少なくとも議論のきっかけにはなっている」と思っていそうですが
そもそも彼の主張は理屈として全く理がないため議論の余地すらありません。
序盤は、そういう内容面でのツッコミがいろんな人からなされてましたよね。
それを無視し続けるどころか、挑発し返す有様だったから
①表現に問題がある
→②倫理的にもんだいがある
→③論理的にも間違いがある
→④能力的にも問題がある
→⑤間違った発言をしたときに訂正も謝罪もできないためリスク管理にも問題がある
といろんなものが積み重なった結果としての今の現実があります。
この点だんだんあいまいになってきてるようなので確認のため。