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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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発達障害

アウティングの件

私はネットにはびこる本音至上主義が嫌いだ。自分の本当の気持ちだったらどんなことでもいうべきだとか、本当の気持ちを言わずに建前をいうのは偽善だとかいう人間はバカだと思ってる。

 

そういう人間に対しては

「いってもいいけど、お前自身にとってどうかはともかく他人にとってお前のいってることが本音かどうかにはなんの価値もないですよね。あなた他人が本音でいってたらどんなことでも受け入れるんですか?本音だろうがなんだろうが、言ってることがダメならダメって言われてるだけですよ。あなたが批判されてるのは、本音とか建前の問題ではないでしょう。何話題を逸らそうとしてるんですか。あえていうと、あなたのその本音が他人から見てダメだということだし、そのことから目をそらしてる時点であなたのいってることは二重にダメですよ。そういう感じでまず自分のダメさを、棚に上げて社会とかネットみたいな大きなものに責任転嫁しようとする思考はイケハヤメソッドといって、そういうこと言う人とは付き合いたくないですね。悪いことは言わないから本音そのものに価値が認められるような社会などと言う、自分自身ですら本当は望んでないものを求めるのはおやめなさい。あなたは単に自分の考えが尊重されないという事実が気に入らないだけです。自分の立場からしか物事を考えられないガキです。本音そのものや、その伝え方を磨いたり、誰かにとって、自分の考えを自然と尊重される立場になることを目指しなさい」とでも答えるでしょう。

 

ポイントは、どんな考えを持つかは自由であるが、それをどういう形で誰に伝えるかを考えなさいということです。北条かやさんのように、誰からも嫌われたくない、誰からも好かれたい、何をいっても肯定されたいみたいなのはダメです。そういう考えだから本音至上主義みたいなアホな話に飛びついてしまうわけです。

 

 

そういう立場なのですが、それでもまあなんというか。アウティングに関する話はなんかつまらないなと思います。それは本音が尊重されないからではなく、なんかみんな最初から自分ごととして考えてなさそうな意見が主だと思うから。「ただしくあること」が優先して、自分ごととして考えてなさそうなコメントが並んでると、あ、この人たちこの問題にあんまり興味ないな、と思ってしまいます。

 

 

あくまであくまで私の個人的な感覚ですが、例の事件についてまず思うのは2つ。

報道されてる情報だけではよくわからないから意見が言えない、ということ。もう1つは、自分が言われる側の立場だったら嫌だろうなというものです。

 

 

私は発達障害当事者でありますし、ネットではそれを公表してますがリアルの人間関係ではほとんどの人にはいいません。

 

理由は2つあります。

1つ目は、それで特別扱いされるのが嫌だからです。少なくとも私は「だからそれに配慮しろ」とは全く思わないし、そういう押し付けになってはいけないと思ってます。発達障害自体はそんなに珍しいわけではなく、そもそも私は重度ではないのでただのハンデの1つ程度だと思ってるからです。他の人より苦手なことがある、程度です。発達障害を言い訳にして何か特別扱いをしてほしいとは思ってません。そのくらいは自分の努力でなんとかカバーできると思ってます。というか、そう思わないとどこまでもやる気が失われていくのです。どうせ私は発達障害だし、という思考になった瞬間、自分のモラルや意欲がボキッと折れてしまうのが怖い。だからリアルでは言わない。

とはいえしんどいのはしんどいので、ネットで愚痴ってるわけですが。

 

 

もう1つは、無差別にこの話をして相手に余計な気を使わせるのが嫌だからです。これは他人のためではありません。自分のためです。

普通の人は、発達障害というと気を遣います。いい人が多いのです。でもどう接していいのかがよくわからないから、気遣いだけさせた挙句にぎこちなくなってしまいます。あまり無理をさせると、聲の形みたいなことになってしまうかもしれません。(余談ですが、あれは、たとえいい人たちでも過大にストレスや負担をかけると、自分たちの生存や既存の価値観とのすり合わせでいじめに発展しうるという話だと私は思ってます。システムや人間の未熟さという話が先にあって、その上でやってはいけないことをやってしまった人がどう罪を償うかとか、壊れたコミュを復元するかという話だと思うのです)

 

私は、今の時点では健常者と発達障害者が通じ合うのはとてもコストがかかると思っています。なので「自分が面倒臭い」のでやりたくありません。それより黙ってる方が楽だし安全だと思ってるからいいません。

 

差別だとかなんだとか、社会的に是正されるべきだという話はわかりますがそれは社会の話であって、私個人がそれを背負うのは御免です。そういう理想論を背負うために自分が骨を折るつもりはありません。なので、受け手にもその負担を押し付ける権利がないと思ってます。

 

そんなもんだから、カミングアウトやアウティングに関してはかなり慎重であるべきだと思います。まあ私はLGBTQの話はよくわかりませんのでそういう意味でも慶応の件には深く言及できません。

 

 

長々と話をしましたが、私がいいたいのは発達障害にまつわる全体的な話と、個人レベルの問題は、もちろん無関係ではないが、やはり分けて考えるべきだということです。

 

 

さて、私の立場は説明しました。こういう立場から見た例のアウティング問題に関する私の意見ですが。

 

この若者に問題があったなら、その個人の問題として論じるべきだということです。個人の問題として解決した上で、今回の件をきっかけに意識された社会的問題は別途考えてほしい。若者に社会的な問題全てを背負わせるべきではないということです。

 

私は、社会レベルでは、発達障害の人たちが、そのことを意識せずに壁を感じずに過ごせればいいと思いますよ。でも、だからと言って発達障害について偏見を持ってる人や理解できずに戸惑ってしまったり対応を間違ってしまう個々の人に対して全ての責任を背負えとも思わない。なによりそれを求めるなら私もその問題の解決に貢献するためにリアルでもみんなに発達障害であることを語り、健常者との壁を埋めるために最大限の努力しなければ悪みたいなことになりかねない。冗談じゃないです。

 

だから、今回の件においても、社会的な罪まで若者にかぶせるべきではない。アウティングした人に最善な振る舞いをしなかったからと言ってその一点を持って彼の側からの言い分を全て排除し、杓子定規に断罪して良いとも思わない。そして個別の事案としてみる時に、今の情報だけでははんだゆできないとなります。

 

 

 

 

 

私にももちろん、こういうポリコレハンマーぶん回して殴りたい奴はいますよ。例えば●る●さんという人がいて、この人は私が発達障害であることを表明してるのは同情を得るためだと解釈し、喧嘩した時にそのことを私を罵る道具にしてきました。

その幼児じみた振る舞いをみて、アホらしいとは思いつつも、やっぱりこういう感じに自分の大事にしていたところを安易に踏みにじってくるくる性根の腐った人間に対しては、「発達障害に対して差別的な本音をぶちまけたぞー」と晒してボコボコにしたいという気持ちにもなります。まあでも、これについてもこの●る●さんと私の個人的な人間関係の方が大事ですよね。そこですぐ社会レベルの問題として扱うのは違うと思うわけです。どうしても我慢できなくなったらやりますが、このカード乱発する人とは会話できないかなあと思います。

 

 

私はとにかくイケハヤメソッドが嫌いです。個人の問題をすぐに社会の問題まで広げるような漠然とした話はあんまり興味ありません。それってどこまでも他人事だし、事実なんてどうでもよくなってすぐイデオロギーの話になってしまうからです。イデオロギーの話と個別具体的な話の区別ができない人とは話をしても無駄です。

 

 

ま、なんかさも思慮深い人間のようなこと書いてますが、はてブには無責任なコメントばっかり書いてます。基本的には私は他人のことなどどうでもいいし、自分ごととして考えるなんて無理ですね。

 

日常的にはそれでいいと思ってますが、大事だなと思ったことは、ちゃんと自分ごととして考えるようにしたいなと思いましたまる