この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです

最近はてなの竹中平蔵叩きとかネトウヨ叩きとかして喜んでる人の振る舞いがひどすぎてついていけない

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今週日曜日からこういう話はすっぱりやめて「漫画の感想」と「発達障害関連の話」を中心にする方向性に戻りたいと思っています。

ヘイトに対抗すると称して別のヘイト発言をする人なんか信用できるわけがない

私は高プロについては反対の立場です。このブログ記事でも何度かそれについて書いています。ただ、一方で私はトーンポリシングについても肯定的な立場です。「日本死ね」の頃はありかなと思ってたけど、今はこういうのはやはり感情としてはともかく手続きとしてはやはり認めるべきではないという考えかたをしています。

なので、高プロ反対の立場の人間としても、こういうのは好きじゃないです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blogos.com/article/305938/
批判したくなる気持ちはわかるけど、竹中個人へのヘイトで群れるって現実に何の力を持ちうるの?


あとこれも。「レイシズム批判」はわかるけど「ネトウヨ追放」って何。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.mu/kinotoshiki/n/n88679bcab255
これ混同してる人多いよね。 「右翼であることそれ自体が悪い」とか「左翼であることそれ自体が悪い」って思ってる人は、それこそ左と右が違うだけでどっちも糞だと思うんだけど。

ネトウヨがこんなにひどい発言してるから、このくらい言ってもいいだろ」とか言ってるやつ、根本的に自分の中に倫理の判断基準が無いということだよね。もちろん「相手次第」というのは有るけれど、そのもととなる原則として自分の判断基準がない人ってどうなの?

「敵か味方かでしか思考できない。敵なら何やってもいい」という二元論的思考は倫理でいうと前慣習レベルで幼稚だと思う

1.前慣習的レベル
第一段階=罰と服従への志向
罰の回避と力への絶対的服従がそれだけで価値あるものとなり、罰せられるか褒められるかという行為の結果のみが、その行為の善悪を決定する。
第二段階=道具主義相対主義への志向
正しい行為は、自分自身の、また場合によっては自己と他者相互の欲求や利益を満たすものとして捉えられる。具体的な物・行為の交換に際して、「公正」であることが問題とされはするが、それは単に物理的な相互の有用性という点から考えられてのことである。


2.慣習的レベル
第三段階=対人的同調あるいは「よい子」への志向
善い行為とは、他者を喜ばせたり助けたりするものであって、他者に善いと認められる行為である。多数意見や「自然なふつうの」行為について紋切り型のイメージに従うことが多い。行為はしばしばその動機によって判断され、初めて「善意」が重要となる。
第四段階=「法と秩序」の維持への志向
正しい行為とは、社会的権威や定められた規則を尊重しそれに従うこと、すでにある社会秩序を秩序そのもののために維持することである。


3.脱慣習的レベル
第五段階=社会契約的遵法への志向
ここでは、規則は、固定的なものでも権威によって押し付けられるものでもなく、そもそも自分たちのためにある、変更可能なものとして理解される。正しいことは、社会にはさまざまな価値観や見解が存在することを認めたうえで、社会契約的合意にしたがって行為するということである。

第六段階=普遍的な倫理的原理への志向
正しい行為とは、「良心」にのっとった行為である。良心は、論理的包括性、普遍性ある立場の互換性といった視点から構成される「倫理的原理」にしたがって、何が正しいかを判断する。ここでは、この原理にのっとって、法を超えて行為することができる。

別にこの理論がどれほど妥当なものかというと反論はあると思いますが、
少なくとも「相手がー相手がー」って言えば自分はどんなにゲスい言葉を使っても平気って人は私は苦手です。


書きたいなら書いてもいいけど、そういうコメントした時点で、発言の内容も発言者の信頼性も地に堕ちる覚悟くらいはしてほしい

この件で前に勘違いして絡んできた人が言うので一応注釈しておきますと暴言を吐くなとは言ってません。私ははてブでそれなりに汚いコメントを書いてます。

ただし、そういう口調でなされた発言は、本来の意図を察してもらうことを期待されるべきではないし、発言者も「暴言を吐く人間」として処理されるべきだという立場です。本来伝えたかった意図を99%ディスカウントされたり、逆の意味で捉えられたとしても文句をいうべきではない。

そうしないと「具体的な行動は何もしないが暴言を吐いてスッキリするだけの人」ばかりが増えると考えているからです。実際、ブログを書く人が減った影響もありますが、昔より今のほうがずっとそういう人の割合が増えてきましたね。言いっぱなしで、自分の発言について責任が全くあると考えてない人。



こういう人たちが、そういう口調で語る自分の発言はただのゴミであると認識しているのならまだいいのですが。(とはいえ、権利を放棄したらヘイト発言をしても許されるということではないが)

ないと思いますけど、「こういういいかたをしたほうが怒りが伝わる」とか「こういうやり方のほうが世の中を変えられる」と思っている人いませんよね? 自分の発言が、正当化できると思ってませんよね? まして「正義の行為」とか勘違いしてる人いませんよね?

当たり前ですが、それはないからね。