やくみつるさんは相撲に関して2011年の朝昇竜だけでなく、2017年になっても日馬富士や白鳳にも品格が、品格が、と言い続けているそうだ。(リンクははらないけどちゃんと確認した上で書いてます)
はっきりいうと、やくみつるさんの言葉の使い方では、もはや品格という言葉にはそれほど意味がない。具体性はないし、やくみつるさんの内面の問題でしかない。ただ愚痴をいってガス抜きしているだけだ。こういう言葉の使い方でよちのなら、猿でも品格という言葉さえ知っていれば何でも言えてしまう。
本人にはいろいろ考えや提言があったのかもしれないが、それでも一度この言葉を使ってしまったらもう何を言ってもやくみつるは品格という言葉の人でしかない。品格という言葉は、具体的な何かを批判するために使うには強すぎて、そして曖昧すぎるのだ。
自分の問題を自分で考えるならそれもよかろう。また、会社組織や日本人全体について話すくらいの規模感ないいだろう。しかし人によって意味が変わりすぎる言葉を他人に対して向けるということ自体、言葉のセンスに問題があると言える。
しかもたちがわるいことに、そういう発言を求めている客層がいて、テレビはそれで視聴率が取れるから同じことを繰り返すし、本人もそれとわかっていて道化役を引き受けているのだろう。
ラノベ表紙問題でキズナアイ問題で、公共という言葉を使いたがる人が結構いた。
後半になればなるほど、最初に上げていた個別の論点に反論されればされるほど、段々とこの言葉を使うようになる人を見かけた。
本来これはこれで個別に検討すべきだろうが、おそらく
素朴にキズナアイは公共にふさわしくないというところからなんとなく批判を始め、最初はその結論に合わせていろんな論点を出したのだろうが、結局もとの地点に戻ったということだろう。
ではあなたのいう公共という言葉はどういうことなのかと言われてもそれにまともに答える人はいない。そういう人は、やくみつるがいうところの品格と同じ程度のニュアンスで喋っているのだろうな、と理解している。
そういう素朴な感情が悪いというわけじゃないけど、まあその程度でしかないなら、個人の感想であるというこをわきまえた上で、慎みを持って発言してほしいなあと思う。
それこそその人の「品格」が疑われる、なんて批判も可能になってしまうから。
不毛すぎる。