頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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私は他人の助けがなければコミュニケーションをまともに成立させられない

忖度という言葉があります。これは「相手の気持ちを推し量って配慮する」という意味だけれど。そういう意味でいうとインターネットでは他人に対する「負の忖度」みたいなのが溢れていると思う。忖度が「争いを避ける」ための行為であることからわかるように、当然それをひっくり返すと争いを呼び込みます。「勝手に他人の内心がこうであると決めつけるのは宣戦布告と同じ行為である」ということをよく理解しておきましょう。ケンカする覚悟がないなら、絶対に「負の忖度」はしてはいけない。

「書かれていないことを勝手に読み取って他人の内心を勝手に決めつける行為は厳禁」というのは大事なネット作法だと思う。
自分の感覚と違うからって「認知のゆがみ」とか「間違い」とか「ミソジニー認定」とか言ってくる人はいい加減にして欲しい - この夜が明けるまであと百万の祈り
ネットの文章は見た目が9割。 本心がどうとかどれだけ努力して書いてるとかそういうのは読み手にはどうでもいいです - この夜が明けるまであと百万の祈り

ネットでケンカをしたくなければ、「他人に要求しない」「他人の心に対して勝手に負の忖度をしない」この2点だけ守るだけで危険性はかなり減ります。


逆に、私は批判はしてもいいと思っています。ちゃんと根拠を持ってやるのであれば。
むしろ、その根拠をしっかり考えるのをサボって手抜きをしようとするときに「負の忖度」が発生します。
根拠を述べずに、雑に「キモい」とか「相手はどうせこんなやつだ」と決めつけられれば誰でも怒ります。
それをいちいち考えるのが面倒であれば、「詳しく言えないけど私はこれこれが嫌いだ」というだけにしましょう。


私は生まれたときからコミュニケーション弱者で、他人の助けがなければコミュニケーションをまともに成立させられなかった

私はASDなので、他人とコミュニケーションを「双方向的に」成立させるのに昔から苦労してきた。
相手の気遣いなしではコミュニケーションが「双方向的に」成立させられないことを良く知っている。

子供の頃は、一方的に変なやつと決めつけられて否定されることも多く。
私は自分が思ったことを喋ってはいけないんだと思っていた時期もある。

http://tyoshiki.hatenadiary.com/entry/2015/04/13/211739

苦悩は、相手側が「コミュニケーションを無理やり成立させようとする」ところに端を発しているといえる。
わからないならわからないでいいし、嫌いなら嫌いで良い。
ただ、無理やりわかろうとしないでくれ。
わからないのにわかったことにしないでくれ。
自分が発していない意見を勝手に自分が考えてることにしないでくれということが言いたいのだ。

だから、中学に入ってから私とコミュニケーションを取ろうとしてくれていた人がいて本当に嬉しかったし
私と会話しているときに、わからないところをわからないと言ってくれる人が本当に好きだ。
そして、「わからない(or同意できない)けど、きっと私になにか意見があるんだな」くらいに受け止めてくる人の存在には心から感謝している。

今までそういう人がいてくれたから、自分もあんまり手抜きはしないようにしようと思っている。
それでも、相手の助けを借りてちゃんとコミュニケーションが成立した時は本当に嬉しいです。



今はまぁその頃よりは発達して、頑張れば普通の人と普通に会話はできるようになってます。

ただ、まぁ。

「頑張れば」普通の人並みにできるというだけで、自然にはできず。話し終わった後はすごく疲れる。




そんなわけで、「基本的には」まずは一旦自分とは違っていても相手の話を受け止められる人間でありたいと思ってます。
いやほんとに、結構理解できなくてその度に悲しい気持ちになるんだけどね。

あなたがどれだけ自分のことを気遣ってくれているかがわかるまで、
人にはあなたが蓄えた知識の多寡などどうでもよいことだ (ロバート・L・ジョールズ)