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姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』東京大学ブックトークイベントで批判されるべきだったのは企画・運営した人でしょというお話

note.mu

togetter.com

これひとことで言って「運営がクソ」で終わりの案件だと思うんですが。

作者も東大生も、運営の人が言わんとすることも単体を取ってみればどれもアリだと思うけど、組み合わせが悪すぎて食あたり起こすやつでしょこれ。


作品自体は別にいいのですが、それでもこういうイベントには絶対に使ったらだめなやつでしょう。

私は一応言及する作品はちゃんと読んでからにすべきというのを基本路線にしてるのですが、この作品は挫折してしまいました。なので全部をきちんと読んだとは言えませんが、そうした序盤の印象と要約や書評を何点か確認しただけでもこの作品をドキュメンタリー的なものとして扱うには適していないのはまちがいないと思います。



批判的な記事だけを読んだわけではなく、桃山商事さんなどのかかれた肯定的な感想もよみましたが、それでも印象は変わりません。

https://twitter.com/momoyama_radio/status/1029625390698967043
集団強制わいせつ事件の加害者と同じ価値観が、私たちのなかにもある - wezzy|ウェジー

・加害者たちが優越感を満たすための道具にした女性にもいままで生きてきた歴史があって、みずから築いてきた人間関係があって、普通に生きている人間なんだぞ……という、著者である姫野カオルコさんの怒りが、そうした細部にまで染み渡っていて、すごい迫力だと感じました

・高橋:何度かは姫野カオルコさんと傍聴しましたし、いくつかの現場をご案内しました。

・美咲が主体的にやった行為じゃなくて、背景にはホモソーシャルからの圧力が強く働いていた。こういった笑いの強要──僕の友人はこれを“ワラハラ”と呼んでいましたが、かつては男性同士のあいだで強く働いていたものだったのが、最近では女性にまで波及している

やりたいことはわかる。女性被害者を心無い誹謗中傷や風説の流布徹底的に擁護したい。モノ扱いされた被害者を一人の人間だったんだと熱く語りたい。その思いは尊いと思う。全く取材をしてないわけではなくちゃんと裁判の傍聴もしている。

その結果、歪んだ報道から来る歪んだ理解をただし、事件における人間関係について本質に近いところを描くのに一定レベル成功している。これは批判をしてる人ですら認めていることだ。


しかし、あまりにも演出がひどい。「わざわざ事実を調べたのにあえて演出のために捻じ曲げて描く」というのが許されるのはあくまで枝葉末節部分であり、本質部分においてそれをやってしまったら憶測で被害者を攻撃してる人と同じレベルかそれ以上にEvilな行為だと感じます。方向性さえ良ければいいというものじゃないでしょう。姫野さんだって普段それがわからないくらい馬鹿ではないはずです。怒りでおかしくなったとしかおもえない。

加害者側の描写についてだけではなく、被害者に対する描写も「事実をもとにした」というのであれば明らかに被害者に対してやっちゃいけないことが含まれてると思う。

平凡な女子大生である美咲と、東大生であるつばさが出会った夜、ふたりのあいだには恋のようなものが芽生えていた。が、そこから1年経たずしてして彼らは性犯罪の加害者と被害者になる。

ここまで行くと、事件の語り直しを誠実に行ったものとは言えない。新しい誤解を作り上げていると思う。はっきり言って、この改変と「幸色のワンルーム」の何が違うのか私には全然わかりません。むしろこちらの方がはっきりと元の事件を参考にしたと明言している分明確なセカンドレイプちゃうの?最終的に男性を攻撃していればこういう改変は許されるん?私にはよくわかりません。

結局、手法として村上春樹のアンダーグラウンドみたいな地道な調査やインタビュー手法を取るのではなく自分の創作世界に両者を引きずり込んで、自分の妄想世界の中で救済をする形になっている。「ピギー・スニードを救う話」にしかなってない。それが悪いといってるわけではないけれど、そういう作品を現実へフィードバックするなどとんでもない話であり、完全にフィクションとして扱わなければならない。フィクションであって現実の問題として安易にフィードバックしてはいけないという点においては、この作品も「ドラゴン桜」やら「海猿」やら「幸色のワンルーム」も同じ。「扱ってよいか、よくないか」の閾値を超えてないものはすべて同じだ。


そういう性質を持つ作品である以上、よほど運営が気を使って前提を決めたり前もって仕切りをしてないと混乱が生じるにきまってますよね。でもレポートを見る限り、あまりそのあたりを考えて準備とかしてないように見えました。作品の細かいところまでケチをつけていたとされる瀬地山さんの態度が悪かったのは事実であるとしても、瀬戸山さんの指摘自体は避けられないものだし、むしろそこすっ飛ばして議論してたら目も当てられない、何の価値もない道徳話に堕していたと思いますよ。



少なくとも東大生がこの作品に文句を言うのは当たり前だと思う。実話”にもどつくと銘打っておきながら改変や演出まみれでは主題までもフェイクと言われても仕方ない

私は上のnote以外に、ブコメで紹介されていた記事を読みました。

現実そのままでは気持ちのいいフィクションにならないので、そうやって少しずつ、現実は読者の理想に近づけられていく。作中において東大生は悪役でなければならないので、東大生の描写は非常に歪んでいる。

・東大という実在する大学の名前を出した以上は東大を東大らしく描き切ったほうが潔いと思う。

解釈違いの二次創作同人誌。これが、本を通しての感想です。同じ材料を使ってお話を作るのなら、自分は決して、被害者女性をこういう形で持ち上げることができないし、松本の残虐さを人の心への無知のせいにしない。

・キャラの薄さのせいで何が起こるかといえば、本を通して読んだ後に残る印象が、東大生一般に適用されてしまうという熱い風評被害です。 あくまで小説だから創作が多分に含まれている、という観点をまるっと喪失している読者はそこまで多くはなかったのですが、フィクション中の東大生の描写は、現実の東大生一般の心理を反映したものである、という見方をする人は多く見受けられました

http://ideal.hatenablog.com/entry/2018/08/23/050248

姫野カオルコによる作品の脚色はもはや二次創作レベルであるというお話。そして、東大に対するルサンチマンやらミサンドリこじらせてる人が嬉々としてこの駄作に乗っかかってる人が実際いたのだとすれば、ラノベ表紙とかよりよほど悪影響があるんじゃないですか? 

例えばこの記事の清田さん、作中の加害者の話と、東大生一般をやや混同しがちな発言が見受けられます。本当にちゃんと区別できてるんだろうか少し怪しく感じます。
(2ページ目)ホモソーシャルに生きる男性たちが、いとも簡単に「ヤバくなる」瞬間 - wezzy|ウェジー

彼らはbeingの感情を徹底的に意識の外に追いやろうとする。そんなものに囚われていたら受験戦争で負けてしまうから。子どものころからそうしてきたがゆえに東大生というポジションを獲得したわけですよね

姫野さんの東大生に対する思い込みがそのまんま描かれて、そのまんま読者を感化しちゃってる感じなんでしょうか。こういう反応が実際に生じている状態なのだから、それに対して東大生なんだから黙って受け入れろといってるのはアホだと思う。

作者の姫野カオルコさんが、被害女性を持ち上げようとするあまり、「東大生全体を貶めるように」脚色してしまった点について、みくささんが書く内容も注目に値します

この「優等生的な発言」にスポットが当たっているという時点で、「この集まりについて考えてもあまり益はなさそうだな」という気がしてきます。もし本当に、ある小説をヒントにして「絶対に加害者を出さない」ための話し合いができると考えているとしたら、そういう人はただのアホウです。

https://dimofsoul.mitona.org/entry/tippokenaNegai

姫野氏の小説は、単に「東大」というラベルをおもしろおかしく利用しただけのファンタジーでしかなく、その点のリアリティに欠ける小説を、当の東大生が「く○つまらん」と思うのは当たり前すぎることでしょう。姫野氏の執筆意図がなんであれ、東大生をファンタジーとしてしか描けなかった点の力量不足について批判されることはいたしかたのないことと思われます

というあたりから、本作品が作者さんの推測や、こうあってほしいという願望に基づいて描かれているずさんな作品であることはそれなりに支持された見方であると思います。つまり本当に「現実の事件に着想を得た」だけであって「現実の事件や東大」についてちゃんと描いた作品とは言えない。つまり、「名前を売るため」以外には東大という名前を出す意味すら全くない作品ってことです。その程度のぬるい内容ならセラムン見たいに「偏差値90の元東京大学」くらいぶっちゃけた設定でやってろよって思う。


そういう作品をもって東大について語ろうっていうのであれば、そりゃもう「フェイクニュース」をもとに語る人とレベルが変わらないですよね。東大生はバカじゃないので、「この作品の内容を実際の東大の問題を論じる道具にしよう」というのでなければフィクションと現実の違いをちゃんとつけて、この作者が描きたかったことをちゃんと読み取れたと思います。むしろちゃんと「フィクションと現実の違い」をちゃんとつけているからこそ、作品に対してというよりは、この作品をもとに東大生の現実について語ろうとした運営に対して、怒ったと思う


さらに言うと、別作品だがこういう指摘もある。
世の中の仕組みと人生のデザイン l 橘 玲 | DPM(ダイヤモンド・プレミアム・メールマガジン)

実話”を謳う映画が演出ばかりでは主題までもフェイクと言われかねない

娯楽作品にするためには、ドラマは裁判外の出来事でつくるしかないのだ。誤解のないようにいっておくと、私は「実話に基づいた映画」が演出を加えてはならないといっているのではない。だがやはり気になるのは、『否定と肯定』がフェイクをテーマにしているからだ。

ここで東大生の作品に対する態度を批判してる人はどこまで考えて批判してんの?って言いたいかな

「東大生のステロタイプ」はよくて「女性をステロタイプを描くのはダメ」みたいに言ってる人はちゃんと筋を通さないと耳を貸してもらえなくなると思うよ

むしろ普段オタク作品にたいして「ステロタイプ描写が」とか「内容じゃなくて表象の時点で問題がー」みたいなのを批判してた人はこの件同意しないと筋が通らんでしょ。


こういうときちゃんと筋が通ってる人とそうでない人の差が出るなと思う。わたしはWinterMuteさんは主義が違うのだけれど、この人はブレがなくて信頼できるとは思う。

yasudayasu 誰がやっても犯罪は悪い、ではなく東大生な点にフォーカスしてるのだからそこを詰められてない--数人に取材すれば入手可能な程度もない--のは致命的では。それこそステレオタイプの東大生を記号に使っただけになる

WinterMute うーん、東大生が「東大生をステロタイプに描くな」と抗議するのは妥当だと思うし、お前らの挫折は挫折じゃないと(実質)否定しておいて「『強い東大』だけでなく、『弱い東大がある』」はあんまりな言い草に思える

kokorosha 「女は恋愛のことばかり考えている」と「東大生はエリート意識があって人を見下しがち」の違いがわからない。

NOV1975 「東大生なんとかしる」「いやそんな現実の東大生とかけ離れた像を元にそう言われても…」という話かな?舞台がリアリティに欠ける小説を元にしたからおかしいのであって、事件そのものを題材にすべきだったのでは?

こういう時に「東大生は強いんだからそのくらい雑に扱われても文句言うな」みたいな態度とってる人がいるなら
「なんだ、お前が普段言ってるのは正しいか正しくないかを考えたうえでの発言じゃなくてただの下から目線かよだっさいなお前」くらいは思うよ私は。


それでも別にこういう作品が存在してもよい、運営が言いたいこともすごく良いと思う。ただ「組み合わせ」を間違ったことが不幸だっただけなので、ぜひ別の形で頑張ってほしいと思います

ちなみに私はこういう作品があっても別にいいと思います。

ただこの作品は「幸色のワンルーム」と同じ程度の評価に格下げされるべきじゃないか?って思うだけで。東大事件というネームバリューをフルに活用してるくせにわざわざ東大の名前を使って書いたものについて自分が書いたもの責任を取らない、なんて文章書きとして見たときにちょっと受け入れられないレベルだな、と思うだけなだけで。

まじめに取り扱うべき作品だとは思わなかった。

私自身は「幸色のワンルーム」も「ドラゴン桜」も「インベスターZ」もクソだとは思ってるけど別にアリじゃね?と思っている人間なので、この作品も当然アリです。作品自体も全否定しているわけではなく、このあたりの表現などたぶん鋭い描写もあるのだろうと思います。

さながら徒弟制のごとく、親方はマニュアルを渡して教えてくれず、丁稚は親方のやるのを見て感じて肌で得ねばならない

とにかく、ただただ「こういうお題のイベントの材料として使うには適していなかった」という話につきると思います。


また、運営がイベントにおいて言わんとしていたと思われることそれ自体はとても良いと思います。

東大という記号から逃れられないのであれば、誰がその記号を押し付けて、利用して、得しているのかを考えることが重要。それは、すごくマスキュリンな東大だと思うし、日本社会にそれは地続きにつながっている

こういう方向性の研究は手段はともかく志としてはとても応援したいところです。ですが、このブログで何回も書いてるけど「言いたいことは正しいけど事実をないがしろにしてる」みたいな話は一番危険なクソなので本当にやめてほしい。

今回のようなうかつな企画・運営にならない様に、議論する題材をそろえて今後しっかり議論してほしい。私は何度も言うけど、ジェンダー論は必要だと思っているしフェミニズム自体にはとても期待しています。「素人の道徳論」や「結論ありき」にならずしっかり議論が進めばきっと男性にとっても価値があると思う。

作者さんはこういうテーマのイベントになることを当日になるまで知らなかったということらしく、その点は本当に気の毒だと思う。というわけで、ちゃんと運営は批判されるべきだし、反省して、次回はちゃんとしとした取り組みをしてほしいです。


余談 「彼女は頭が悪いから」の描写は「ミステリと言う勿れ」以下、というのが結論になると思います

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