アウシュビッツの悲惨さも、ゾンダーコマンドの扱いや強いられていた作業の数々も背景ではしっかり描かれている。
実際にかなり描写は細かい。
・石炭採掘場の仕事のほかガス室清掃・ガス室送り・遺品の回収・遺体の焼却・灰の廃棄までの光景はすべて描かれている。
・「焼却炉」がいっぱいの時は直接「穴」に連れていかれて殺されたという描写も
・ゾンダーコマンドが番号で呼ばれて管理されていたことや、いわゆる「処理」についてナチスがどのように指示を出していたかということも。
・さらにゾンダーコマンドの中にも強烈な縄張り意識があったり、カポ長などの階級があったことなども。
・ゾンダーコマンドの数人が筆記用具やカメラなどを手に入れて記録を残している様子も描かれている。
・また後半で描かれる「反乱」のために、遺体から少しずつ財産を掠め取り、武器を購入していたことも。
・ちなみに映画中では生きている女性は、「遺品の仕分け作業」の場面でしか出てこない。
しかしこれらのアウシュビッツのち密な描写はメインではなく、あくまでも極限状況下を生きていたサウルという一人の人間の、死を前にした最後のあがき(SwanSong)を描く物語。
ゾンダーコマンドの絶望
冒頭に「ゾンダーコマンド」の説明が出てくる。
あくまで数か月後延命できるだけで、まもなく殺されることは確定している。夢も希望もない。
だからこの主人公サウルは途中まで完全に無表情である。
収容所に送られてきたユダヤ人の服を脱がせ、ガス室送りにするときも
これからの運命を察して抵抗する女性をむりやり部屋に押し込むときも
実際にガスが散布され扉の向こうから助けを求める声が聞こえたときも。
徹底的に何も感じていないように表情はぴくりとも動かない。
無表情なだけではなく、視界もほとんどがぼやけていて何も見えない。
「作業」をするときに必要な情報以外は、サウルにとっては何も意味を成すものとして映っていない。
聲の形の描写にあった「×」マークがすべてにおいてついている状態だ。
衣服や財産を回収しているときも
ガス室を掃除しているときも
ガス散布後の〇〇を「部品」として「処理場」にはこぶときも
すべてモザイクがかかっているかのようにぼんやりとした像しか見えていない。
(カメラアングル的には、それでもできる限り視界に映さないようにしているのは感じる。
時々モザイクがかかるのが遅れているのも主人公の意識を反映しているのだろう)
周りでは嘆いたりため息を漏らす声が流れているが、サウルはそれを気にしない。
そんなことを気にしても何の意味もないからだ。
〇〇がただの荷物のように無造作に運ばれている姿は見てて恐ろしい。
冒頭の10分ほどはひたすらこういうサウルの日常が映されていて憂鬱になる。
また、ほかの「ゾンダーコマンド」たちはなにやら企てらしきものをしているが
サウルには何も見えていないし聞こえてもいない。
なにもかもどうでもいい。ただ死ぬまで同じことを繰り返すだけなのだから。
(演出なのかどうかわからないけど、かなりの音声に字幕がついてない。
少なくとも1時間24分以降は全部字幕を付けてほしかったと思う)
サウルは、一人の少年(の遺体)のために、最後の時間を使おうと決意する
ところが、あることをきっかけに、
サウルはたった一つの少年についてだけ強い興味を持つようになる。
その少年はすぐに死んでしまうが、遺体になってもその少年だけははっきりとサウルの目に映る。
主人公は、この少年の魂だけでも救ってあげたいと思うようになる。
そのために、収容所内からラビを探し、正式な形で葬儀を行い埋葬してあげたいと考える。
今まで全く誰とも能動的にかかわろうとしてなかったサウルがその少年に関しては積極的になる。
ほかの人間は〇〇から金目の物を集めることに必死で、
〇〇の名前や経歴などの情報には全く興味がないというシーンでも
一人だけ、その少年について手掛かりを得ようと必死に情報をあさろうとする。
残念ながら求めている情報を手に入れることはできなかったが。
すべてを諦めているときはただ気怠さしか感じない雰囲気だったが、
看守たちの目を盗みつつ一つのことをやろうとしだした瞬間に、映像に緊迫感が漂ってくる。
また、そうこうしているうちに、「そろそろ自分たちが殺される番だ」というタイムリミットも迫ってくる。
自分が生き残ることよりも最後まで自分の決めた目的に向かって行動するサウル
周りの人間は、どうせ殺されるなら、と反乱を企てているが、
サウルは自分が助かったり逃げ出すことには関心がなく、
ただ少年のためにラビを探し、少年の死体を焼却から守ることに必死である。
自分の目的のために周りの人間に協力を求め、自分も彼らに見返りとして協力をしたりしてかかわりは持っているが
サウルは最後まで自分の目的のために行動し続ける。
サウルが自分の目的に盲目的に行動したせいで、反乱計画は一番大事なピース(爆薬)を失ってしまう。
https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/killing-center-revolts
いろんな意味でひたすらに空回りを続けている。
結論から言うと、彼の行動はすべて無駄に終わる。
最初の目的から、途中の行動から、そもそもサウル自身がとうに狂っていたのだから仕方がない。
しかし、その結果だけをもって彼を笑うことはだれにもできないだろう。彼だって自分の行為に明確な意味など求めてなかったと思う。あくまでも意地だったのだろう。理不尽な状況において、あえて自分の生命を捨ててでも自分の意思を貫き通すこと、ただなすすべなく殺されることを拒否することが第一だったのではないかと思う。
私はこれを思い出した。
togetter.com
あくまでも極限状況を生きた一人の人間を描いたフィクションとして観るべきなんだろうなと思う
この作品はフィクションではあり、サウルという存在もこの少年の存在も、「ありえたかもしれないが事実ではない」。
フィクションと見ても、主人公の扱いは「ストーリーありきで」、明らかに不自然だと感じるところは多い(私が理解できてないだけかもしれないけど、こんなに大事な役目を任されたりいろんなところにすんなり入れたりはしないだろうし、終盤のみんなが命がけのシーンであえて彼がかまわれる理由もないし、まして主人公ともう一人だけが逃げられるなんて都合の良い展開はないだろう)
なので、この作品をもってアウシュビッツを語ることは避けたい。あくまでアウシュビッツとゾンダーコマンドという設定をベースにした
一人の人間のストーリーとしては見るならば、とても力強い物語だと思う。
「サウルの息子」には救いなどないが、こちらの作品は一矢報いる展開が描かれるのかな?
screenonline.jp