優駿のたちの蹄跡の後半がボリューム的に物足りない感じだったのに比べて
ページ数もエピソードも多く満足度の高い一品になってます。
新・優駿たちの蹄跡~絆編~ 「新・優駿たちの蹄跡単行本」シリーズ (KCGコミックス)
- 作者:やまさき 拓味
- 発売日: 2012/12/22
- メディア: Kindle版
メイショウサムソン(2006年ダービー馬。ディープインパクトとウオッカの中間に活躍)
テイエムオペラオーと同じくオペラハウスの仔。
メイショウサムソンというより、日本馬主協会連合会会長である松本好男氏がいかに聖人であるかを語る回。
戦時中に大型戦艦「大和」を建造する際に使われた旋盤もこの会社による。
とにかく中小牧場を支援することで知られる馬主さん。
社員からも神様のような人と言われている。
ロックハンドスター(岩手競馬存続を賭けて南部杯で戦い散った馬)
父・マーベラスサンデーとコンティンジェンシーの間に生まれた仔。
・岩手では敵なしだったが、ジャパンダートダービーでは9着と敗北。黒潮杯でも5着。
・ここから覚醒。騎手菅原勲とともに岩手3冠を成し遂げ岩手競馬を盛り上げる。
しかし、ここで東日本大震災が起きる。
岩手競馬廃止への危機感から、少々無理をしてでもロックハンドスターに活躍させたいと考えた陣営により
・5月 10kg減の状態で北海道コスモバルク記念へ 5着
・6月 さらに8kg減 盛岡みちのく大賞典 5着
・9月 さらに2kg減 盛岡青藍賞 6着
この年は、復興支援のため盛岡南部杯を東京競馬場で行うことになった。
ロックハンドスターの体調は悪く、馬主、厩舎、騎手全員が反対したが地元の要請にこたえる形で出走。
菅原勲は騎乗を断り別の騎手で挑んだが途中で転倒。予後不良に……。
瀬戸厩舎では、今でもロックハンドスターのネームプレートはそのまま残っているという。
シンボリルドルフの泪
父パーソロン、母スイートルナ。
天皇賞秋、「あっと驚くギャロップダイナ」に敗北。
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ビゼンニシキの時に見せた「永遠の一馬身」はここでは決まらなかった。
敗れた後、厩舎内で暴れまわり涙を流したという。
勝つことを知らない馬も困るけれど、
まけることを知らない馬は、もっと困るわね……
クロフネ(ダートの鬼。カレンチャンの父)
調教助手渡辺勉視点でクロフネについて語る回。
・エリカ賞、毎日杯、NHKマイルと3連勝。しかしダービーでは5着(優勝はジャングルポケット)
・その後長い休養・調整を挟んで天皇賞秋を目指したが、それが裏目に出て天皇賞秋に出馬できず
・しかしダート馬として開花し武蔵野S、JCダートで圧倒的なレコードで勝利。
・次はドバイ挑戦が期待されたが、屈腱炎を発症。引退が決まった。
クロフネは種牡馬として超優秀。
インティライミ(ディープインパクトのダービーで2着)
G2で勝利、宝塚記念でも3着と善戦マンだったが昔と違ってこの実績では種牡馬入りできないのか……
種牡馬にはなれなかったが、ノーザンホースパーク→慶応大学馬術部で乗馬になる。
シンコウウィンディ(かみつきウィンデイ。ビコーペガサスに勝利)
厩務員歴50年のベテラン・富岡靖二からみたシンコウウインディ。
かみつき癖が有名ではあるのだけれど
富岡さんからみたウィンディは膝が弱い馬だった。
めちゃくちゃ丁寧に世話をすることで絶望視されていたフェブラリーSに参加。そして優勝。
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ダイユウサク(有馬記念で絶対王者マックイーンを下した馬)
やはり調教助手の平田修さん視点から見たダイユウサクの話になっている。
・とにかく体質が弱い馬。調子がいいと思ったらすぐソエを起こす。
・平田は調教師に隠れて時々ユウサクを休ませ、プールとDウッドで調教を重ねる。
・馬主に掛け合ってレース間隔をあけてもらうようになると勝てるようになってきた。
・ようやく翌年になってようやくG3で初勝利。
・京都大賞典で初めてマックイーンと戦った時はまるで勝負にならず。
・有馬記念の日、内藤調教師が「ダイユウサクが勝つ夢を見た」話は有名。
結局有馬記念優勝の実績のおかげで種牡馬入りすることができ、
さらにその後は、うらかわ優駿ビレッジAERUで余生を過ごすことができた。
サクラエイコウオー(優駿の門・アルフィーの半兄)
父マルゼンスキー、母サクラハツユキ。父SSで母サクラハツユキなのはサクラケイザンオー。
G1馬ではないが功労馬としてのんびりとした余生を過ごす。