たまたまシンクロニシティみたいな現象が起きて面白かったのでメモしておきます。
昨日なんとなくみてたらけんすうさんが「推し」に対するツイートをされてました。
※けんすうさんは「推し」という言葉をあえて使っていなかったのが印象的でした。
推しに対する距離感についてのお話。
— よしき (@yoshiki_anime) 2023年6月14日
私は推しができちゃったら人生狂いそう(というか狂った)だから一定以上は好きにならないようにしてるけど、
推しがいる人はみんな楽しそうなので羨ましいと思う https://t.co/PTlSb4MxL4
「応援している人のすべてを応援する / 一部の行動が納得いかないから嫌いになる」というのは、基本的には「認知の偏りがでているかもしれない」と疑ってもいいかなあ、と。スプリッティングとか全か無か思考、といったりしますが、要は「黒か白かはっきりさせがちなこと」です。
たとえば、声優さんを応援してたとして、その人の何を応援してたのか?というと、おそらく「声優活動」なわけです。声優としての作品が素晴らしいとか、質が良いとか、仕事に対してのスタンスが好き、などであれば、そこを応援しているわけで、その人の全人格、全行動を肯定しているわけではないですよね。
で、たまたまこれを見かけた翌日にシロクマさんが「推し」に関する記事を書いてて面白いなと持った。
シロクマさん大好きな「鏡映自己対象」と「理想化自己対象」の話。
「推し」を推す時、私たちはなんらか心理的に充たされた気持ちになるし、そのとき承認や鏡映自己対象を欲しがる欲求はなりをひそめるが、それは理想化自己対象である「推し」をとおしてナルシシズムが充たされているからだ。
「推し」に入れ込み過ぎて自分の気持ちがコントロールできない人。そのアンコントローラブルな気持ちは金銭的なトラブルを生むかもしれないし、ファンコミュニティのメンバーにカルトな忠誠を強要するものかもしれないし、「推し」の言動が自分自身の理想から僅かでもズレているだけで文句を言う厄介ファンとなるかもしれない。ひどければ、推しを推しているようには傍目にはみえず、「推し」をストーキングしているとか、「推し」に加害行為を企てているようにしかみえない場合もある。
ついでにいうと昨日タイムラインに流れてきた「推させて!ティーチャー」というマンガが面白かった。 11円なので気軽に読んでみてほしい
内気な先生を生徒全員で激励する漫画 ① pic.twitter.com/GyddPjMzJ7
— 東385🧀おかしエルフ1巻発売中 (@a_385) 2023年6月13日
「推し」ってみんな気軽に使うけどどの程度の感情なのかがよくわからない
私は単に「好き」でいいのでは?って思うのでだれそれ推しってあんまり言わないようにしてるけれど
単に好きなだけじゃなくて、何かその対象のために貢献する行動をするとか、もっと極端にいえば金を貢ぐってのが推しになるのかな。
「グッズ買ったり投げ銭しなければ推しではない」みたいになるとお互いにしんどくなると思う。
私が初めて推し概念を知ったのはこの作品。「終の空」「素晴らしき日々」との関係性が気になるエピソードだが
この作品においては「推し」のプレッシャーに耐えきれなかった朝倉 美羽が大惨事を起こしてしまっている。
私はどうも「推し」についてこの作品の印象が強いのかもしれない。
中学時代心葉との「井上ミウ」の一件が引き金となり
心葉の目の前で中学校の屋上から飛び降りる事件を起こし、彼に大きなトラウマを植え付け自らの心も傷つけた
金銭面においても「サービス」に対する「対価」以上の部分が当たり前になるとだんだんアンバランスになってくる。
うまく均衡点を見つけないと悪循環が発生しかねない。
やっぱりそうやって貢ぐという行為だと、相手に応えてほしいってなるのはそりゃ人間心理上しょうがないと思うので
「好き」という部分と「応援する・貢献する」っていう二つは直結させずに独立したものとして考えておきたいです。
寿司を推しすぎた男の末路。
ラスボスとの会話も含めてめちゃくちゃ面白かったw