この作品の最近のエピソードはひどいと思うんだけれど、かといってこういう解釈は違うと思うんだよな。
「今時の若いやつってほんと立派だよな」がスタートラインだった作品が数年連載続いて「下の世代の使えないやつはほんと使えねえ!」になってるのを見た時にしか摂取出来ない栄養素があります 結局世代関係なく誰でも自分より下の世代の粗は目について仕方ないんだよ https://t.co/8KXGLl3EYh
— 芝村矜侍 (@kyouji0716) 2024年4月29日
この人本当にいつも適当なことを言ってるよね・・・この人を支持してる人ってひろゆき支持してる人と何が違うんだって思うけどな。
私は、本作品は、作品の方向性自体は特に変わっていないと思っている。
- 本作品は最初から「今時の若いやつってほんと立派だよな」というコンセプトではない
- この作者が描こうとしてるのは最初からあくまでも「若者がどんなに未熟でも失敗しても肯定してくれるイケオジ尊い」の方だと思うよ
- そういう「水戸黄門」や「ワンパンマン」の系譜に連なる構造は、途中まではうまくいってたのだけれど、最近バランスが著しく悪くなっている
- 誤解のないように言っておくと、私は本作品のことが結構好きだからね!
本作品は最初から「今時の若いやつってほんと立派だよな」というコンセプトではない
どういうことかというと、そもそも本作品は最初から「今時の若いやつってほんと立派だよな」というコンセプトではないということだ。
上のツイートは前提から間違っていると思うのだ。
ツイッターで「今時の若いやつってほんと立派だよな」ネタがバズって、実際それで連載を獲得出来たのは間違いないと思うけれど
連載開始時点から別に「今時の若いやつってほんと立派だよな」がスタートラインになってない。
もしそういう作品だと思っていたのであれば、ちゃんと見てないか、解釈を間違っていると思う。
じゃあどういうコンセプトかというと・・・
この作者が描こうとしてるのは最初からあくまでも「若者がどんなに未熟でも失敗しても肯定してくれるイケオジ尊い」の方だと思うよ
連載を最初だけでもちゃんと読んでたら、作者はずっと
「社会人なりたての若者は未熟な存在である。できないことはいっぱいある。ダメダメである」
「でも、それを否定せず守り、手助けしてくれるくれる上司がいれば、そんな未熟な若者でも一人前になることはできる」
ということを一貫して描き続けていることはわかるはずだ。
そのために、若者たちにすっごくわざとらしく「そうはならんやろ」という大きな失敗をさせて
上司に「これでもか」というくらいに大げさにかばってもらったり、励ましてもらったりする、というのをずっと描き続けてきた。
途中で尊敬できるイケオジ上司から離れて独り立ちするような展開もあるが、結局でかい失敗をした時はイケオジ上司が大事な所で助けてくれる。
本作品は読めば読むほど、「若者は立派だな」という感想ではなくなるはずだ。
「イケオジさんたち立派すぎ・・・こんなの勝てるわけがない」「今までダメだと思ってたおっさんたち格好良すぎだろ・・・」だとわかる。
つまり本作品における若者の最大の役割は「失敗した後で理想のイケオジ様にヨシヨシされること」だ。
若者は立派などではない。むしろダメダメだからこそヨシヨシされるべきなのだ。
とにかく若者は途中で大きな失敗をしなければいけない。
途中では「未熟でだめなやつだ」と描かれなくてはいけない。
途中では嫌なヤツから駄目だしされ、凹まされて、自分だけでは立ち直れないくらい疲弊しなくてはいけない。
そうして、ぼろぼろになったうえで、ワンパンマンのようにさっそうと登場したイケオジ上司から
「最近の若いやつは・・・失敗したけど頑張ってるよな。偉いよな」みたいな形でフォローされなくてはいけない。
最初からそういう作品なのだ。
作者が変わったと思ってる人は、最初から作品が読めてないだけだと思うよ。
そのため、途中では過剰なくらい嫌な展開が描かれる。
鼻に付くほど嫌なヤツが出てきたり、ツッコミどころ満載の失敗シーンが登場する。
後からスッキリすることを前提に、ストレスフルな、胸くそ展開を過剰演出でこれでもかと描くのだ。
そういう構造を頭に入れて読まなければいけない作品であり、
その構造を理解せずに読むと、冒頭の人みたいなツイートをしてしまうことになる。
そういう「水戸黄門」や「ワンパンマン」の系譜に連なる構造は、途中まではうまくいってたのだけれど、最近バランスが著しく悪くなっている
togetterのまとめにこういうコメントがあったのだが、多分そういうふうに感じてる人は結構多いと思う。
最初のあたり→『仕事の解像度低すぎて草、まあイケオジカッコイーだけの作品だろうし突っ込むだけ野暮か』
今→『仕事の解像度低いままメインをイケオジから仕事そのものに移してて草も生えない』
今現在話題になっている283話はどういう状況であるかを簡単に説明するとこんな感じだ。
「本作品ではもう主人公は入社5年目で、部下を持つようになってきた。
いろんな経験を積んで、普通の社員としては失敗しにくくなった。
もう主人公はすっかり自分は一人前になったとある意味慢心状態になっている。
じゃけん部下をもたせて、マネジメントに挑戦させてそこで大きな失敗をさせ、そこをイケオジ上司に助けさせましょうね~」
これが今のエピソードにおける作者の狙いだと思う。
今までと同じ路線であれば、こういう展開になる。
これ自体はとてもよく分かる。その過程でマネジメントについて主人公が失敗しながら学んでいく姿を見せてくれればよくて、それ以上はとくに求めてない。
ただ、今回のエピソードは力のベクトルがとてもまずい。
今までは、主人公は若者として、先輩や上司に食って掛かるけれど
向こうのほうが格上で、自分の思う通りにやったら失敗して(´・ω・`)ってなるという形だった。
全力でやっても、相手のほうが強いからよかった。
ところが、主人公が成長して上の立場になった時に
主人公が「とりあえず自分が思ったとおりに行動し、障害に体当りしていく」という行動が
自分より立場の弱い存在=自分より若い新人にぶつかることになった。
自分は叛逆者じゃなくて圧政をしく側になってしまった。
これではイケオジ上司も主人公をフォローしにくいだろう。
なんならイケオジ上司は主人公を叱って、主人公の部下をフォローすべき状況になってしまっている。
これは、今まで読者と作者との間で暗黙のうちに約束されていたものとは違う・・・
作者が自分でお約束を忘れてしまったのか
欲が出て「真っ当なお仕事マンガ」で勝負しようとしたのか、そのあたりは作者じゃないのでわからない。
ぶっちゃけ読者としてはいまさらリアリティを追求し始めされても困るのだが。
しかも、少なくとも中途半端にリアル路線に寄せていこうとしているせいで
本作において最も重要な「お約束=若者はイケオジによって守られるべき存在であるということ」が壊れつつある。
ここを壊してしまうともう別作品になってしまう。
そういう意味で、今のエピソードはさすがに本作品のお約束のフォーマットでは扱いきれないテーマに踏み込んでしまった感がして心配ではある。
誤解のないように言っておくと、私は本作品のことが結構好きだからね!
好きでなければ1話から今まで読んでませんから。
私はこういう「落として持ち上げる」というお約束が嫌いじゃない。
また、お仕事描写そのものにはリアリティがないと言ったが
お約束の中で語られるおしごとうんちくはそれはそれで面白い。
特に主人公が子会社に出向して不動産販売にチャレンジする当たりのエピソード(64話~80話あたり)は
パワハラ上司がでてきてわざとらしく胸くそ悪い展開になるという点を除いては読む価値がある話だと思っている。
ただ、そんな私ですら260話あたりからの展開は私も余り好きじゃないですと言うか、はっきりと苦手なのですよね。
なので、最近の話が批判されるのはむしろ当然だと思ってるくらいです。
だからといって、283話だけみてこの作品について知ったような感想を書いてる人のことはもっと嫌いです。
批判したいならちゃんと読むべし読むべし。