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自分の文章を読んでネガティブな感情を持った人に合わせるべきか、ポジティブな感情を持った人に合わせるべきか → 答えは「どっちも気にすんな」かもしれない

note.com

他人には自分に関心を持たない自由がある。
 その前提を認めることで、その反転として「だから私も他人の関心(評価)を気にする必要はない」という価値観を確かなものにできる。
 他人のウケも美的センスも気にせず、自分が価値があると信じるロリータのことだけを考えてそれを発露し続ければ、自然とそれに関心のない人間は近寄ってこなくなると思う。
 他人の評価軸から脱するというのは、こういうことだと自分は思うけどな。

読んだ。


それで、数日前に「自分の文章を読んでネガティブな感情を持った人に合わせるべきか、ポジティブな感情を持った人に合わせるべきか」というお題で記事を書いてボツにしたことを思い出した。

ボツ記事を一部復元する。



この時は、「ネガティブな人は無視してポジティブな人を意識しよう」っていう結論にしていたのだが・・・

私は優先すべきは前者(ポジティブな感情を持った人人)だと思っている。というか後者に合わせようとしてはいけないのではないか
なぜかというと、後者の人はどうせちゃんと読んでくれないからだ。
いろんなところで引っかかって、自分が言いたいことをちゃんと汲んでくれないのだ。
読み手である自分の気持を優先して、
「読んでいて自分が傷ついた」という事実を優先する余り
平気でこちらの意図を捻じ曲げることがしょっちゅうあるからだ。
もっというと経験則上傷ついたみたいなコメントをして繊細アピールする人は
繊細なのではなくて「忍耐力がない」ためか「判断が早い」だけ、ということが多かった。
自分で自分のことを繊細だと思っている人ほど、実際は「雑」なことが多い。
気長にこちらが書いた記事を何記事か読んで判断してくれているわけじゃなくて
たまたま目に入った記事を何個かみてその数記事のサンプルを持ってこちらのことを決めつけてきたりする。
そして気軽にコメントを投げてくる。
そういう人はいずれにせよ長期的な読者になってくれない。むしろなられると困る。
私は10年以上ほぼ毎日のように記事を書いてきているが
今でもずっとついてきてくれている人は、ほとんどが前者(ちょうどよいと思ってくれている人)だ。
「記事を読んでてしんどい」という感想を途中で述べる人はほぼ例外なく脱落しその後はもう私の記事を読まなくなってしまった。
結局のところ、人間はメリットのほうがデメリットより倍くらい多くないと、デメリットのほうを過大評価して見なくなってしまうのだ。
そう、私が読者に合わせたところで
読者は私の記事をずっと読んでくるわけじゃないのだ。
私より自分にあった書き手がいればそっちの方にいって戻ってこない。
そういう人たちに気に入られようと頑張っても向こうはそれほど自分のことが好きではない。
自分は一記事一記事精魂込めて書いているつもりだが
読者にとって私の記事っていうのはその程度の価値しか無いのだ。
読者のことをどれだけ思って書いても、
読者はその何割かしか受け取ってくれない。
これは別に嘆くべき話ではない。
実際に10年間やってきた経験で理解したただの事実にすぎない。
最初の頃は嘆くこともあったが、今はそういうものだと受け止めている。
むしろ、読者にとってはその程度のものでしかないからこそ
私は自由に、自分が思ったとおりに書いていいのだと思っている。
読み手は私に何も保証してくれない。
読者にとって私の代わりはいくらでもいる。
その代わり、良いと思ったときだけは褒めてくれる。その程度の薄い関係だ。
だからこそ、私も読者に縛られずに自由に書いて良い。

うさるさんの記事を読んで、「そもそもどっちも気にすんな」のほうが正しいというふうに感じるようになった。



もともと私は読者のことなんかあまり考えているわけではなく
自分が書きたいことを延々と書き続けてきていたし
そうでなければこんなアホみたいに記事を書かないでしょという話なのだが



最近はなんのために記事を書いてるのかよくわからなくなっていた。



最近、リアルで接している人と会話している中で
自分が言いたいことが全然伝わらないというフラストレーションを感じることが多かった。



「こういうことが伝えたかったのに。伝わらなかった。
 どういうふうに伝えればよかったんだろう。こういう感じだったら伝わったのかな」



みたいな感じで、なんとかして伝わるように、伝わるように・・・って感じで他者を意識して書きすぎていた気がする。




いままではあまり伝わらなくても自分が好きなこと書いてるだけだから気になってなかった。
伝えたいにしても「まぁ伝わる人に伝わればいいや」くらいのつもりだったから伝わらない人がいなくても気にならなかった。




でも「◯◯さんに伝わってほしい」と思って書いてるのにそれが全く伝わらないと、それはちょっと辛い。
さらに、その人に根本的なところで誤読されてしまったら、もう心が折れてしまう。
「いくら努力しても何にも伝わらない」と感じながら伝える努力をするのはしんどい。



・・・とか。



まぁほんと余計なことを気にしすぎてたわけですね。




自分の精神衛生に良くないから、もう余計なことを考えないようにしたい。


https://www.nicovideo.jp/watch/sm27886057


・「読みたきゃ読めばいいでしょ。読者の感想など知るか。勝手に読んでるくせに文句いってくるようなカスのことなど知るか。私になにか意見いいたいなら金払え」が90%で

・「課金してくれている人とか参考になるコメントくれる人は読んでくれてありがとね」で10%

くらいの路線に戻したいなと思いまする。






そもそも私は、読者に合わせて文章を書くという器用なことが全く出来ない。

私はただ好き勝手に記事を書いてるだけで、そのためのその訓練を全然してないからだ。

出来ないことをやろうとしてたから苦しかっただけだ。

今の自分にはそれが出来ない。どうしてもやりたいならそのための努力をするところから始めなければいけないと認めるだけでいいのだと思う。





余談 文章で飯を食っている人がどんな努力をしているかという話。

書く仕事をするために、どういうスキルが必要で、どういう努力が求められるかは下の本に詳しい。

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