ベイマックスにかぎらずディズニーアニメは
出来が良いけど語ること無いなーっていう人がいるかもしれないけれど
個人的には語ることたくさんあるな、と感じました。
とはいえ、これはあくまで私が初めてディズニー(ピクサー)アニメを見たからそう思うだけであって周回遅れかも。
①この作品で描かれていないもの(開始早々から切り捨てられているもの)について
②人間的なテーマを万人に受け入れられるように語るためには、
つまり「kawaii」を語るために、非人間的な存在を必要としているように感じられること
③「人間的なものを語る」ために「非人間」を必要とするという構造は、
愛や社会的正義を語るために二次元の存在を必要とする人たちと通じたオタクに通じるところがあり
この方向を突き詰めていくことは、物語から人間が消えていくのではないか
④ベイマックスと過去の萌えキャラとの比較
とか。
とにかく映像すげええええええって思った。
ディズニーアニメとかマーヴェル系の映画観てないのですげえボケたこと言ってるかもしれないですが、結構日常的に日本のアニメ見てるものとしては、FF6の世界から、いきなりFF7に飛んだ時くらい衝撃でした。今ってこんなにレベル高いんだ。シドニアとかアルペジオもすげーって思ってたけど、そういうのを除いては本当に「次元が変わった」というくらいすごかった。(敵が出てきた時、バイオハザード0でボスがヒルを操るシーン思い出して帰宅途中にそのムービーとか見なおしたりしてたけど、やっぱり全然レベル違う。。。)
映画で「トランスフォーマー」とか「オール・ユー・ニード・イズ・キル」は観てたので、CG技術とかがすごいってのはわかってたつもりだけど、人間もみんなアニメーションにしてこんなに違和感なく動いてるのすごい。もしかしたらアナ雪の時点ですでにこのレベルだったのかもしれないけど、私は最近のディズニー・アニメみるの初めてだからすごく驚いた。
というわけで、映像見てるだけでめっちゃ楽しかったです。もう「ドラゴンボール」はディズニーが作ってくれないかな。
英語字幕版で見たほうがいいと思います。
肝心な台詞が日本語の字幕だと微妙になってる、と感じる箇所が数カ所ありました。「そこの台詞は絶対に揃えなきゃイカンだろ」ってところが揃ってなかったりして、製作者の意図がつかめなかったり、情報量が減っちゃったりするような気がして怖い。私はろくに英語ができないのですが、その私がアレ?と感じたくらいなので、英語出来る人からしたら他にも細かいところで色々変なのでは。
そういうの抜きにしても、ベイマックスの言葉はいろいろと味があるので英語で聞いたほうが良いです。
というか、なんでこんなに吹き替え版ばっかりで字幕版少ないんでしょうか。アナ雪の時も、見るつもりはあったけど字幕版なかったので結局映画館では観なかったんですが、ディズニー映画はいつもこんな感じで吹き替え版ばっかりなんでしょうか。
サマーウォーズの時点でつらいとか思ってる人は絶対見に行かないほうがいいと思います。
ハイパーリア充アニメです。ビバリーヒルズ青春白書よりさらにハイパーです。「東のエデン」で、ニートはいくら集めても世の中変えられないという厳しい現実がつきつけられますが天才なら少人数でもなんとかなっちゃうという現実をつきつけられてショックをうける危険があります。とはいえ、サマーウォーズはそもそもあんまりおもしろくない(個人の印象です)っていう大問題がありましたがベイマックスは文句なしに面白いです。 面白ければそんなことを気にしなくても楽しめるのではないでしょうか
ベイマックスは美少女・美男子よりも使い勝手がいい萌えキャラ
もはや萌え=美少女or美男子という発想は古い、これからはロボットの時代よ~!
というわけで、ベイマックスは「萌え」についてめちゃ研究されてるなと思います。この作品ではベイマックスに何重の意味が与えられているのかわからんくらい多重な意味を持ちます。この何重にも「萌え」られるところがベイマックスの最大の特徴です。
個人的には「萌え」の一番根っこの部分はまさにこの無機質さと一方通行性にあると思ってます。人間の形をしたものから、人間性を徹底的に抜いていき、いったん空っぽの人形をつくることによって、そこに自らのフェティシズム要素(造形・性格)を最大限詰め込める依代のような物ができる。そういう意味での「萌え」がこの作品ではすごく発揮されてる。
①ベイマックスは最後までプログラムにしたがって動きます。人間性を獲得することはありません。ベイマックスを作成した兄の人間性がプログラムの方向性に強い影響を与えていますが、基本的に、ベイマックスは決してあくまで製作者のプログラムを逸脱しない。(最後の行動をどう解釈するか次第だとは思いますが)しかし、だからこそ、主人公は失った兄のメッセージをベイマックスを通じて混じりっけなしで受け取ることができる。また、ベイマックスには人間性がないからこそ、その行動は力強く安定しており、人は勝手に「人間よりも人間らしい」と感じ、感動することが出来ます。
②この、人間性を持たないのだが人間らしさを感じさせる、という土台を元にした上で、さらにベイマックスはロボットであり、しかも性別を感じさせる要素を徹底的に取り除いているというところが重要です。着せ替えたり改造したりという主人公の欲望にすべて応えることができます。とにかく「中性であること」を徹底しているため、「美少女」よりも使い勝手が良いです。
③しかも、たち悪いことに自らの「可愛さ」「癒やし効果」に対して自覚的です。小悪魔です
「愛らしい姿が台無しです」
という台詞を発してみたりします。「ヘルスケアロボット」であるという設定のおかげで人を癒やすという目的のもと、自覚的に「愛らしい」外見を取り、愛らしい言動をとる。そして、プログラムに従って愛情表現をためらわず行う。このように主人公に尽くし、主人公を守りつつも、恋愛どころか友情すらも成立しない。あくまでも、可能な関係はお互いに一方向です。つまり「萌え」るしかありません。
なにこれすげえ。「萌え」のレベルめっちゃたけえ。こういうロボットが存在してもおかしくない、という設定を考えた人天才やし、こういうロボットが動いてても違和感なく楽しめる世界観を納得させるだけの映像作れる組織力半端無いし、今後は「ロボット」とか「人外」萌えの時代くるで(マジか)
「美少女」は一部の人間に強くアピールしますが、その代わり別のユーザーを弾いてしまいますしポリティカルコレクトネスガーみたいなところで面倒が生じます。しかし、「かわいい」「萌え」と言ったら美少女という考え方がもう古いんだ!(な、なんだって~!) これからはニュートラルなロボットに萌えればいい、シドニアのイザナに萌えればいい。めんどくさいものはすべてベイマックス全部任せてしまえばよいじゃない。というわけで、ベイマックスのせいで日本の映画がやばいとは思わんけど日本の萌えアニメやばい、ということにしておきましょう。(わかってると思いますが、冗談ですよ?)
ベイマックスはドラえもん同様、機能も方向性も限定的で、1台限りの存在だからこそかけがえがない
将来的に量産可能だったかもしれないけれど、あくまで一台だからこそかけがえがない。
一方、主人公が作ったマシンは「個のない無数のマイクロロボットの集まり」です。これは、ベイマックスなどよりよほど汎用性が高い上に高性能です。にも関わらず敵のものに渡ったから、というのもありますが味気がなくおぞましい印象があります。ベイマックスは好ましいが、マイクロロボットは好ましくないものとして、結局最後までその地位を回復すること無く葬り去られてしまいます。ターミネーター2の金属生命体がダメで、シュワちゃんはOKだったのとかと似たような感じがありますね。
本当はベイマックスにも人間性なんて無いんですけどね。なぜか、マイクロロボットは冷たい印象を与え、ベイマックスは暖かみがある。
しかし、このベイマックスが、「ハーモニー」の医療ロボットになったらダメなんですよね。
このあたりのさじ加減がほんと絶妙。人間に受け入れられる、愛すべきロボット。これほんとすげえ。
でも、あたりまえだけど、この作品、放っておいたら未来には「マイクロロボット」の反乱や「ハーモニー」があるように思いますがそのあたりは作品の主要テーマではないからあんまり考えないほうがいいのかな。
ベイマックスと、ギャルゲー的な萌えとの比較
とかやりだすとキリがないのでやめておこう。
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とりあえず、映画はみたので、あとは原作気になる所。