割りとどうでもいい話なのですが。
ttp://honeysuckle.hatenablog.jp/entry/2015/07/11/171542
について出てきた「好きの反対は無関心」という言葉についてちょっと語ります。以下記事を書いた人には本題を外した部分にツッコミを入れるクソリプになってしまいますが自覚ありますのでご了承ください。
「好きの反対は無関心」は物事の一つの側面に過ぎなくて、常に成立する話じゃないという話
あるいは「好きの反対は無関心」が真であっても「好きの反対は嫌い」もまた真でありうる、でもいいです。
とにかく、私はこの「好きの反対は無関心」って言葉によって「好きの反対は嫌い」を否定しようとする人が嫌いなんですよ。正確には「好きの反対は無関心」を持ちだして、そんなに関心があるってことはお前相手のこと好きなんだろって言いたがる人ね。
確かにね、「好き」と「嫌い」は関心があるなしよりも「近い」関係なのは間違いない。でも、近いからと言って同じじゃない。「嫌い」は「好き」のれっきとした反対です。
私の言ってることがわからないならちゃんと図示してくれてる記事あるから読んでください。
コラム FF2400.jp ゲームの紹介とレビュー
・好きと嫌いは反対である
・関心がある状態と無関心も反対である
・好きと嫌いの感情には関心がある。したがって見方を変え、言葉を省略して言えば「好きと嫌いの反対は無関心」と言うことも出来る
・ただし「好きと無関心」、「嫌いと無関心」に直接の関係はない。あくまでも関心がある状態を通じてのみの関係である
図にすれば明確ですよね。ある視点をとれば、ある補助線を引けば確かに「好きの反対は無関心」という命題は成立する。でもそれは捉え方の問題であって、絶対のルールじゃないんですよ。物事の一つの側面に過ぎない。この言葉は法則でもなんでも無く、あくまで一つの視点であり意思表示なので、<どういう文脈でこの「好きの反対は無関心」が使われたのか。そして今論じてる話題において「好きの反対は無関心」という視点や切り取り方をするのは正しいのか>はその都度考える必要がある。
……これ分かる人には説明するまでもないほんとに当たり前の話なんだけど、これ分からない人には絶対わからないんですよね。
わからない人は「好きの反対は無関心」って言葉をマンガとか本とかで読んで、深く考えずにそれがいつでもどこでも通用する真実だと思って疑わなかったりします。絶対に正しいと思ってるから、いつでもどこでも、それをまわりに向けて振り回したりします。注意しても、「そんな細かいところでgdgd言わないでよ」ってまともに取り合ってくれない。
まぁ確かに細かい話かもしれないけど、私はそういうのすごく嫌なんですよ。思考停止してる感じする。この話題に関心ないんだなー、そういう人がいっちょ噛みで記事書いてるんだなーって思うと関心を失います。あ、この場合は「嫌い」と「無関心」がつながってますね。
金槌の法則
クリスマスプレゼントに金槌をもらった子どもは、何でも叩きたがる。
余談ですが、上の記事の本題部分については前提そのものがプア過ぎて真面目に応答する価値を感じないクソ記事だと思っています。あえていえば「炎上狙いの記事」と「道端のうんこ」を同じ扱いするそのセンスが嫌いです。以上