ミニマリストではないのにミニマリストの理想を最も的確に表現出来ているのは「孤独のグルメ」のこの言葉だと思います。
モノを食べる時はね、誰にも邪魔されず 自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ 独りで静かで豊かで・・・
「ミニマリスト=より良い人間」ではないというお話 | ライフハッカー[日本版]
ミニマリスト生活がもたらす5つの弊害 - 無教養なミニマリストのブログ
まず金銭問題をクリアしてから、次に身の回りの整理、そして最後に心身のメンテナンスと順を追って挑戦してください。お金にも、物にも振り回されない人生こそミニマリストの真骨頂です。
貧乏臭いという印象を与えてる時点でなんかもう失敗してるように思います。
しがらみのおおい村社会的人間関係をみせている時点でもう失敗してると思います。
それぞれが自立して、独りで、静かで、豊かで、なんというか救われている感じをみせてくれるよう頑張ってください。
定義と目的
ザ・ミニマリスツは、『minimalism 〜30歳からはじめるミニマル・ライフ』の中で、ミニマリズムを再定義する。
「ミニマリズムとは、幸せと満足感と自由を見つけ出す目的で、人生において本当に大切なものだけにフォーカスするために、不必要な過剰物を取り除くためのツールである」
本当に意味のある人生」とは、「本当の幸福に生きる人生」だけ :: Alter ego(アルテール・エゴ)|yaplog!(ヤプログ!)byGMO
「本当に意味のある人生」とは、「本当の幸福に生きる人生」だけです。
とにかく「幸福」を追求する生き方であり、そのために「本質を突き詰めること」「不要なものを捨てる」という考え方のようです。
リアルミニマリストとシンプルライフの違いは全ての持ち物を持ち運べるかどうか - はぴらき合理化幻想
現在の2008年リーマン・ショック後から一気に伸びてきた考え
http://archipelago.mayuhama.com/entry/2014/11/11/230623
新しいミニマリストという言葉は、2009年頃から海外のサイトで使われ出したようだ。2008年がリーマンショックだから、2009年には、僕も強制的にミニマリストにさせられていた。リーマンショック後、お金とのズブズブ関係を見直したことに関係がありそうだ
「Less Is More」という思想が様々な分野へ波及している
http://archipelago.mayuhama.com/entry/2015/07/07/201118
ビジネス志向やファッション傾向を強めるミニマリストがいる一方で、仏教への傾倒を深めるミニマリストがいるることでした。ミニマリストにもダイバーシティ(多様性)が現れているようです。
「Less Is More」という思想が共通していて、そこから
「エッセンシャル思考」「禅的思考」「ファッション・住居での自己主張」などに変わっているようです。
日本におけるミニマリストの特徴
「断捨離」「心がときめく片付けの魔法」だけはベースとして共通しているものの、それ以外はみんなばらばらというイメージです。
会社からの自由をことさらに強調する「ノマド」や「フランス人は服を10着しか持たない」「エッセンシャル思考」などのような形で、まとまった形ではなく断片的に取り入れられ、それを各自がバラバラに取り入れ、さらにそれぞれが「わたしがかんがえたさいきょうのミニマリズム」を独自に実践しているようなイメージです。
はてなでよく見かけるミニマリスト
最も大事なことは、幸福のために「己にとって最も大事なこと=本質を突き詰める」という作業であるかと思います。まずこの部分をつきつめて考えられている方が少ないように思います。20ブログほどチェックさせていただきましたが「己が幸せを感じる瞬間」や、「自分が望むライフスタイル」のようなものへの考察記事をあまり見かけませんでした。(上ではぴらきさんのブログを取り上げたように、ガチの人も何人か見かけました)
また、それを実現するための「断捨離」などは、個人の空間ではともかく大勢の人がいる空間ではなかなか難しい。一歩ずつ地道に進めていかなければいけない。理想は理想として、現実にはある程度ゆるく、そして気長にやっていく必要があると思います。
断捨離に非協力的な夫にはこう対処した~ミニマリストへの道(33)
ミニマリストってハードル高くないか? - Yukibou's Hideout on Hatena
それに、周囲の理解も必要だろう。自分の理解が間違っていなければ、交友関係も限られてくるのだから、周囲の人間がそれを許容する必要がある。そうでなければ社会から浮いてしまうからだ。
しかし、その点をおざなりにして
・「己の幸福」「己の周り」を追求すること
・己の幸せのために周りを自分の思った通りに動かすこと
・己にとって「不要なもの」は切り捨てること
を正当化するためのツールとして間違った使い方をしている人がおおいように思われます。また、はてなブロガーの方々には、己の正義を過信するせいか、いろんなものへの敵意を露わにされている方が散見されます。
たとえば
・「スマホ」や「車」への敵意をむき出しにしている方、
・「都会暮らし」「会社勤め」への蔑視をむき出しにしている方
おそらくですが、こういった何かに対する「敵意」こそ、真っ先に捨てたらいいものだと思いますが違うんでしょうか。まさか、そういう敵意を常時むき出しにして、争いから自由でいられると思っているなら自分に都合の良いことしか考えないバカですよ。また、こういったものへの反感そのものは正しいとしても、それは「己が求める生活」へのヒントにされるべきところではないでしょうか。
思考が幼稚な人は「ミニマリスト」という主義が正しいかどうか以前にただ迷惑です
何かの主義があったとして、
・その集団に属しただけで何か偉くなったように感じたり
・自分自身は変わろうとせず、自分の教義にあわないものを攻撃するだけで満足する
そういう使い方しかできないのであれば、その「主義」が企業の正社員であれ、マルチであれネトウヨであれノマドブロガーであれオタクであれであれ、全て等しくダメでしょう。それはその主義そのもののがいいかどうか以前の話しです。主義の評価をする以前の問題としてその人がダメなだけです。
「ミニマリスト」は幼稚な行為をしたときの免罪符になるようなものじゃないですよ。
「こじらせ」や「厨二病」は理不尽なコミュニケーションコストを相手に押し付けてよい正当な理由にならない - この夜明けまでに