そう言って泣いた、母のような父でした。あたしは白けました。
でも、多分いいのです。別に。
あたしは父が大好きでしたから。
一度きちんと恨み言をぶつけてやりたいと思っていて、
でも、叩きのめしてやりたいとまでは思わなかったのです。
すごく「Papa told me」っぽい。「海街diary」といい、こういう作品読むとしんみりしていいなぁ。直情的な、自分のことで精一杯な子供らしい子供もいいけれど、どうしてもおっさんになってくると、この作品に出てくるようないろいろ考えていて、でもそれを表現しきれないで、あるいは考えても心がついてこなくてやきもきしてる子たちに感情移入してしまう。
- 作者:志村貴子
- 発売日: 2015/03/19
- メディア: Kindle版
7話の女の子なんかはそのまんま、Papa told meに出てくるロボットになりたい哲学少女を思い出す。
傷ついた子供の心のケアしなきゃいけないの。正直つらい。
だって、あたしもまだ子供なんだもん。
あたしだって、もっと本当のちゃんとした大人になりたい。
小さな子にやつあたりをすることのない大人に。
できることがあるとしたらおめでとうということだけ。
それが正しい大人なんでしょう?あたし、知ってるんです。本当は知ってるんです。
気が利く子で、他人に気を遣いすぎてしまうから、自分の感情を抑えこんでしまって自家中毒を起こしそうになってる女の子とか見ると胸が苦しくなりますよね。こういう子が抱え込まないために家の外に居場所を持ってるのを見るとすごく安心します。
一方でこの作品は「高校生くらいの親」も描いてるんだよね。8話の「燃えろいい女」は詐欺師症候群みたいな状態に陥ってる母親が描かれていてグッときました。
自信の無さが、チャンスを逃す。自己評価が異常に低い心理状態「詐欺師症候群」に陥らないために - U-NOTE[ユーノート] - 仕事を楽しく、毎日をかっこ良く。 -
私がいい人に見えたのは、すべてわたしの処世術なのよ。
いいひとぶって、誰にでも優しい素振り。
好かれたくて嫌われたくなくってでもそれを気取られたくなくってなんでもないって顔をして。
見ぬかれていたのは礼子にだけね。
なにしろ親の前ですら外さなかった欺瞞の仮面だもの。
外山くん、わたしいい人なんかじゃないのよ。
狡猾で嫉妬深くて、今じゃそれすら丸出しの嫌なおばさんなのよ……。昔はうまくやれていたの。近頃美味く行かなくなったの。
仮面をつけたままでもいいからやさしいお母さんが言いわよね。
でも、もうそれ疲れちゃったの。「ここ」でならさらけ出せるのよ。
昔は自分の性格に疲れてたけれど、今はだいぶ楽よ。
この作品に出てくる登場人物はPapa told meほど上品な世界ではないけれど、あの「ちせちゃん」ほど達観した人間ではないけれど、だからこそ、普通の人たちもやはりあれこれと考えて工夫しながら生きてるんだよってそういうのを味わえるこういう作品って時々見返したく成るな、と。
もう子供が被害者ぶって一方的に親を攻撃する作品は古いのかなぁ
ここから余談です。
もう10年位前に読んだと思うけれど「花やしきの住人たち」という作品がある。この作品はどうしようもないクズ親に虐待されて心が歪んでしまった姉弟と、同じく放蕩者の親に苦労させられ続けた主人公が交流するという話だった。この作品では、主人公側には親と対話する機会が与えられるが姉弟にはそれがない。姉弟にとってはどこまでも親というものは残酷でクズで救いようがなく、一切関係が断たれた存在なのだ。
この作品に限らず「どうしようもないクズ親に傷つけられ取り返しの付かない状態で歪んでいる状態」を抱えている子供たちがメインのお話は他にもいろいろ読んだ気がする。エヴァあたりから続いてると言われるアダルト・チルドレンものですね。このあたりの作品では、親というのは災厄のようなものであり、理解する必要がない絶対悪であった。子どもたちは絶対的な被害者だった。「もうどうしようもない」というところからスタートするしかなかった。
極端な言い方をすると単にその痛々しい傷を見せびらかすだけの作品である。いかにその人物たちが深刻なトラウマを抱えていて、徹底的に壊れてて、痛々しい姿を見せられるか。そういうものを競ってるんじゃあるまいかと思うような「トラウマ自慢」みたいなのをよく見かけた。ほんとにどの子もどの子もみんな傷を抱えてて、その傷を大事に抱え混んでて、その傷を舐めあえる友達や癒やしてくれる奇跡的な存在を求めてた。
……ような気がするのだけれどどうだろ。今作品として思い出せるのがergばっかりで、アニメやラノベは違ったのかもしれない。私はとにかく2007年位まではergとマンガばかりだったのでそういう印象が強いのかな?
でも、そういうのはもう古いのかもしれない。
いつからかもう覚えてないけど「親のことを理解し、和解する」作品が増えてきた。特に象徴的だなと思ったのはラノベでいえば「とらドラ!」で、マンガでいえばもうちょっと遡って「彼氏彼女の事情」かな。このあたりから後生大事に傷を抱えて子供だけの閉じられた狭い世界で生きる、というのではなく、ちゃんと物語に親が対話可能な存在として登場するようになる。親との関係性を考えるようになる。「親だって苦しんでたんだ」「今なら理想通りの親子ではないけれど自分たちなりの適度な距離感で付き合える」みたいなことをちゃんと描き始める作品をちらほらみかけたり。
最近読んだ「やさしいセカイのつくりかた」や「娘の家出」という作品の場合はさらに一歩進んでて、最初から親と子が両方登場している。「すでに終わってる状態」でもなく「理想の関係」でもない。親子ともに問題を抱えていて、両者の関係はリアルタイムで小競り合いしながら関係を作っている。
いやいや、そんなん当たり前のことじゃん、ってなるけどマンガでこれ描くのってけっこう大変だ。だから今までは親はあえて描かないで子供が自分からの視点で一方的に断罪したりする形でわかりやすくしてた。親を描かず、同じ年代の子供達と一緒にいるシーンだけ描くことで、子供に徹底的に子供らしい振る舞いをさせることができていた。あるいは親子関係を描くときは問題のない理想的な優しい家庭、みたいになっていた。
でも「娘の家出」なんかは親子の関係において、お互いがままならず苦しんでる様子を描きつつ、それでも面白いな、って思える作品になってるのが良いです。
そのかわり、子どもたちが今までの作品と比べて大人びている。いろいろと我慢したり気を使いすぎていて、悲しい気持ちになる。