タイトルは私の主張ではないので勘違いしないでください。
でも、多分そう遠くない将来に、この問題が出てくると思うので現状の自分の認識をメモしておきます。
とりあえずこの図だけ見ていってください。
https://www.nta.go.jp/shiraberu/ippanjoho/gakushu/hatten/page04.htm
「現在」の日本の医療環境は恵まれているというか恵まれすぎているかもしれない
父は去年、運動中に心不全で倒れ入院した。
本題ではないので詳細は省くが
いろいろ検査して手術もしてそれはうまくいって退院し
今は月1回の通院の他、半年に一回検査入院するだけで良い状態まで回復している。
この際、父は15日入院していたのだが
一切保険なしの状態だと請求額は130万円だったそうだ。
ところが、実際に払ったお金は7万円だった。
「高額療養費制度」というものを活用したからだ。
高額な医療費を支払ったとき | 健康保険ガイド | 全国健康保険協会
しかも、保険に加入していたので1日あたり( )円支給されるため
これも踏まえると、実質負担はマイナスだった。
前から聞いていたが、本当に入院したらむしろお金がもらえるという状況が発生するらしい。
本当に「現在の」日本の医療環境は恵まれているなと思う。
ただ、この弊害というか、これイツまで続くんだろうかってのはやっぱり悩みどころだよね。
そして、その時にタイトルのようなことを言い出すような人は多分出てくる。
その際にどういう風に考えていけばよいのだろうか。
すでに公共の医療機関では水際作戦のようなものは始まっているのかも
先週、体調が少し悪くなったということで、
不安だからかかりつけ医の紹介状を持って某病院を訪れたものの拒否されるという話があった。
正確には、脳の検査の依頼書を持って行ったのに、頸動脈の血流検査だけして帰らされた。
その際に、婉曲にではあるが
「最近は余り必要性が認められない検査を気軽に行う訳にはいかない」的なことを言われたそうだ。
父はその場ではちょっとムカッとしたらしいが気持ちはわかるという。
検査といっても医療費はとても高いのだ。
そして、その費用の大半は全年齢から集められている健康保険で賄われている。
保険料には当然限界がある。増やしたければ、さらに若い人の健康保険の負担を更に増やさなければいけない。
今までは医師も気軽に検査を進めるし、患者もとりあえず検査をしようとするのだが、
父は入院後にそのことに少し後ろめたさを感じてしまうようになってしまったらしい。
だから、今回のように「そこまでは必要ありません」と言われると引き下がらざるを得なかった
しかし、「不要な高額検査を気軽にやるべきではない」というのは簡単だけれどそれは誰が判断すればいいのだろうね。
一方で、民間病院はガンガン高単価の検査をするところが儲かって勢力を拡大してるんだよね……
私は今医療関係の業界で働いているのだけれど、本当に酷いなあと思う状況になってる。
総合病院で儲かってない病院があって、そこをスーツ姿の人達が買収して「透析」を中心とする体制に買えたところボロ儲けとかね。
デジタル化してからはその気になればいくらでも儲けられるようになってるからさらに動きが加速してるなあと思う。
大病院でなくても個人の病院ですらCTやMRIなどの5億円くらい軽くする検査装置がバンバン入ってる。導入の際にも補助金が出るし、借金してでも導入してしまえば儲かるからと導入して、やはり元を取るためにバンバン撮影するのだがその時もバンバン診療費報酬がつく。
よくニュースなんかでは○洲会系の病院が金にがめついとかで叩かれてた時期あったけど個人的には全然マシだと思ってて
むしろ最近勢力拡大してる病院のほうがはるかにエグいこといっぱいやってるなと思う。
こういう人たちがガバガバ金使って、そのツケで公共病院では儲からなくなってるとするとちょっとキツイよね。
どんどん高度化はしていくけど、安くならない医療システムは、保険の制度が変わったら庶民に手の届かないものになるんじゃないか?
こんな状況だから、家電業界などと違って、いつまでたっても撮影機器の価格が下がることはなく
むしろどんどん最先端化する方向ばかり突き進んでいって、どんどん高額化していく。
国が買い支えているもんだから市場のメカニズムが完全にぶっ壊れてる。
イカサマ不動産市場やマイナス金利でも買われる日本国債みたいなもんだ。すごくバブルな感じする。
バブルは数年もしないうちに崩壊するように思えてならないんだよなあ……。
今は国策もあってむしろ電子カルテや遠隔医療、在宅診療などの分野が伸びていっているけれど
はたしてこういう本当に必要とされるものが普及する前にバブルが崩壊してしまったらどうなるんかね。
ついに医療費も抑えきれなくなってきてる
以前に記事を書いた時はまだ医療費は抑えられている状況だったのだけれど。
http://tyoshiki.hatenadiary.com/entry/2015/01/16/001755
最近はついに抑えきれなくなっているように思います。
もともと上のような事情もあって医療業界ってのは機器にはすごい金かけるんだけれど
日本の医療は国策だよりの部分が大きく、極端に偏った補助金制度ありきでないと動かないし、
一人あたりの単価は下げられないが総人件費は抑制しなければならない事情によってブラック環境は当たり前。
現場マネジメントが死ぬほど非効率な職場が多く、人材流動も激しいという印象があります。
まぁ私は医者じゃないんでこれ以上知ったかしてもしょうがないんですが
とにかく現場の人たちがブラック環境に耐えることでなんとか維持してる環境が、
医療費をこれ以上押さえつけるの無理になってきた時に、どういう方向に転ぶのか。
私はそれが結構心配になりますね。
余談最近「日本死ね」が流行ってるけど……
今の日本ってこういう問題だらけなんだよね。
今まで七難を隠してきた「人口増加」「経済成長」というソリューションが失われるというのはそういうことなのだ。
政府の怠慢とかそういう話じゃない。不満だけを言ってればいつか解決する問題じゃない
これについてどう折り合いをつけるべきなのか考え始めないといけない。
で、最近話題の「日本死ね」なんだけど。こういう状況においてこういう言葉が出てくるのは必然だと思ってる。
ミクロの視点だと「私を助けて下さい」「見捨てられる人がでるのはつらい」と感じる人が出てくるのは当然だ。
切り捨てられる側としてはもう「日本死ね」となげやりかつ暴力的なものいいになってしまうのはやむを得ない。
これが間違いだとは思わない。
ただ、一方、マクロの視点だと「全てを救うことが出来ない」「なんとか少しでも多くの人を救うには……」という話になると思う。
その結果、切り捨てられたり、従来より得るものが少なくなる人が出てきてもやむを得ない、という考えになりがち。
もっと言えば、最近炎上した校長のように「もっと子供を生ませろ」と短絡的な発言をしてしまう人も出るかもしれない。
上を認めてしまうと、こういう物言いだって否定できなくなってしまう。
恵まれているからこっちだけ自重しろ、というのはアンフェアであると思うし私はそういう態度は嫌いだ。
大事なのは話の中身だというのであれば。
最初はどぎつい言葉を言ってもいいけれど、話題になった後、ちゃんとその話の中身について自分で説明すべきだ。
「分かってください」じゃなくて自分でちゃんとした言葉で伝えていかないといけない。
その役割を果たさないのに炎上したあとバズっただの話題を提供したとふんぞり返る「議論が深まっ太郎」にはなりたくない。
http://nyaaat.hatenablog.com/entry/2016/03/19/173813
nyaaatさんはちゃんと「日本死ね」の後に、ちゃんと詳しく説明をしているから立派だと思う。みなさんもこれを見習って「日本死ね!」というならそこまでの労力を負担することを覚悟した上で語って欲しいなと思ってる。
「長生き」=「豊かさ」なんですよ、わかっているんですか - シロクマの屑籠
似たようなことを考えたことがあったなぁと思ったので。