「一体……いつからこうなることを予測して動いてたの?」
「ハイ?いやいや、そんな能力、ボクにはありませんよ!
こうなったのはたまたまです!」
「おねがい……!知りたいの……!
悔しいけど…完敗だから……!!」
ハンターハンターって自分にとってはこの「完敗」がキーワードかもしれない。
知らず知らず勝負に引き込まれて負ける感覚がクセになる
普段マンガ作品を読むときにいちいち作者との勝負なんて考えたりしない。
でも、ハンターハンターだけは毎回毎回ある地点で
「そうだったのか!」「してやられた!」って感覚になる。
私はこの作品をリアルタイムで読んでるときに「面白い」という感覚まで到達することが難しい。この作品独自の設定や世界観を理解するのも大変だし、複数の登場人物が同時並行で行き来してるし、自分の常識を越えた行動ややりとりが行われることも少ない。「なんかすごい」とは思ってもちゃんと理解できてないから「面白い」まで行かない。むしろある地点まで「なにやってんだこいつら……」ってジリジリイライラさせられる時が多い。すごく情報量多いし丁寧に説明されてるのに、なだかとても不親切に感じる。
でも、その過剰なまでの情報提供や、これ見よがしに出てくる「障害」の数々は、考えてみると「これどうやってクリアするかお前らも考えてみろ」って言われてるような気がする。あるいは「これは絶対無理だろ」って言わせようと挑発されてるかも。
人間、一定以上の情報を与えられると、勝手にあれこれ考え出してしまうものなのかもしれない。私はハンターハンターを読んでるときはただ読んでるだけじゃなくて、無意識にあれこれ考える。
そして考えたあげくに、自分の意図を外され、思惑を超えた展開を見せつけられる。今回も「やられた!」って思わされてしまう。 もちろん不快ではなくて、それが楽しいのだけれど。
※余談だけどどのケースにおいても「敵に対する信頼」のようなものが強調されるのがすごい好き。
ゴンヤキルアが旅団につかまった時も、ボマーとの最終局面も、キメラアント編の結末も。倒すべき敵だろうが、人と蟻の壁があろうが、どこかしら通じ合う部分があって、そこが困難な状況を通過させるためのわずかな可能性になっている。そういうつくりになってるのがとても刺激的だ。
いたずらを仕掛ける側の人間はなにを考えているんだろう
そんなわけで、読者としてはいたずら好きの作者にいつも自然とゲームに引き込まれて「してやられる」「完敗」させられる感覚を楽しませてもらってるわけだけれど、そんないたずらを仕掛ける側はいつも相手を楽しませてばかりで満足なのかな、と。
パリストンへの期待ががぜん高まる
そんなわけで、最近だとパリストンってキャラがすごい好きです。
僕はね、会長になりたくて副会長を引き受けたんじゃない。
会長の邪魔がしたかっただけ。
ネテロさんはね、ボクが面白い茶々を入れると、本当にうれしそうに困ってた。
もっと会長と、遊びたかったなぁ……
こいつ他人にちょっかいを出してなおかつそれを上回られるのが楽しそうな生き物ですよね。これって作者としては「読者に勝ち続けなければいけない」けれど同時に「敗北を知りたい」って気持ちが形になってたりして、なんて勝手に妄想して楽しんでます。
選挙戦の時、ジンはパリストンをこう評価してます。
アイツは勝とうと思ってない。負けようとも思ってない。だから強いんだ。
これって作者にとっての理想なんじゃないかなって。読者にアッと言わせられなくてもいい、そういう制約がない状態で、一番自分が面白いと思うやり方で遊んでみたい。そういう狙いがあるんだとしたら、面白いことになりそうだって。
縛りがないって結構大事ですよね。だって、キメラアントの王メルエムは、その地位ゆえに相容れる余地がなかった。でも、メルエムの魂がもし転生して、もっと弱い別の蟻の個体に移ったら通じ合う展開も可能だったと思う。 でもその選択肢は物語的に存在しなかったよね。
それに比べると、パリストンは新章において、ビヨンドやツェリードニヒほど重要ではない。極論、途中で死んでも物語の大勢にはおそらく関与しない。ジンもまた、非常に重要な存在だけれど、必須ではない。メタ的にそういう関係だからこそ、本当に好き勝手ができると思う。勝つこともできるし、負けることもできる。そういう状況で、こいつが何をしでかしてくれるのかがすごく楽しみ。
まぁ、この視点でいうとパリストンの前にヒソカというジョーカーキャラがいるんだけどこのキャラはやはり「戦闘狂」という縛りがあるからね。バリストンはヒソカよりもなお自由度があるキャラだと思う。だから、このキャラを使って作者が何をしてくれるのかとても楽しみなのです。
……連載ちゃんと終わりまでやってくれるよね? 信じてるよ!!