まず初めに。
私は山月記のネットにおける「使われ方」があんまり好きじゃない。山月記を象徴する言葉といえば「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」であり、これが人が虎になった原因であるといわれます。いや、わかるんだけどさ。これってそこそこ才能がある人や芸術家の葛藤でしょ。いくらなんでも、人を揶揄するときに山月記を使いすぎだろうと。たかがネットの「プロブロガー(笑)」やらワナビーどもを揶揄するためにこの話持ち出すのはいくらなんでも李徴に失礼だと思う。蛸壺屋のけいおん同人の方でいいだろと。*1
人間が虎に変化する物語には二つの類型がある。一つは、人間の身心に内発する何らかの変化が虎への変身を惹き起こす、内発的な動機による変態を狂気型。もう一つは、当人の意識とかかわりなく、忽然と変身が人の身、ついでに心に生起してしまう、外発的な動機による変態を憑依型とする。この分類によると、「李徴」は、狂気型に属する
李徴は、官職を辞めた後は、唐代に多く見られた、名声や学問、詩文の才能を元手に地方の高官の有力者に生活の糧を求めて放浪する知識人の一人であり、(李白、杜甫も同様の行為を行っている)、当時としては決して特別な存在ではなかった。
私は、この李徴のエピソードについては、狂気型としても憑依型としてもとらえられるあいまいさが残ってるところがすごく好きです。
http://frkoten.jp/2016/03/29/post-1101/
「人虎伝」は高校のとき課題で現代語訳やらされた人多いと思いますが、まとめあったので載せておきますね。
人虎伝の李徴は、自ら仕事を辞めずに任期満了まで勤めているし、隴西にいたころは嫌われていたが呉楚においては結構ちやほやされてた
隴西の李徴は皇族の子孫であった。虢略に住んでいた。李徴は若いときから博学で、巧みに詩文を作った。天宝十五年の春、(科挙の)進士に及第した。その後数年、江南地方の県の下級官吏に選任された。李徴は性格が気ままで人と親しまず、自身の才能を自負して傲慢であった。下級の役人の地位に甘んじることができなかった。いつも鬱々としていて楽しまなかった。同じ役所の会合をするたびに宴もたけなわになると、見まわして同僚の役人たちに向かって言うことには、「私ほどの人間が君らなどと仲間になれようか。(いや、なれない。)」と。彼の同僚たちはみな彼を憎んで見た。完了の任期が満了すると、官職を退いて世俗との交わりを断って静かにくらし、人と交際しないことが一年余りにもなった。後に生活に困窮し、そこで東の呉楚のあたりを旅して、地方の上級官吏に援助を求めた。李徴が呉楚に滞在して、一年余りになろうとし、(別れの際に)もらった贈り物はとても多かった。(今度は)西へ向かい虢略へ帰ろうとして、まだ着いてはいなかった。汝墳の宿屋に泊まったときに、突然病気になって発狂した。いくもしないうちに夜中に狂って走り出し、どこに行ったのか分からなくなった。
これについて、原作である『宣室記』ではこのように描写されています。
江南では名声があったために歓迎されて、宴会が開かれ、立ち去る時は手厚い贈り物をうけた。1年経つ頃にはおびただしい財を手にいれ、虢略の家に帰る途中で旅館に泊まる。
人虎伝では李徴と袁傪は、山月記における両者よりもずっと親友であったと感じさせる
翌年になって、陳郡の袁傪が監察御史として、詔をうけて嶺南へ使いをした。(宿場ごとに用意されている役人用の)馬車に乗って商於の境界まで来て、早朝に出発しようとした。
そこの宿場の役人が申し上げることには、「道中には虎がいて、荒っぽくて人を食うことがあります。なのでここを通る者は、昼でなければ通ろうとしません。今はまだ早いです。どうかしばらく車を止めてください。決して進んではいけません。」と。
傪は結局馬車を命じて出発した。出発してまだ一里も行かないうちに、やはり虎がいて、草の中から飛び出してきた。傪はとても驚いた。
急に虎は身を草の中に匿し、人の声で言うことには、「なんということだ。もう少しで我が旧友を傷けるところであった。」と。
傪がその声を聞いたところ、李徴に似ていた。傪は昔、徴と同じ時期に進士に及第し、付き合いはとても深かった。別れて何年もたっていた。突然その言葉を聞いて、驚いたうえに不思議に思って、理解できなかった。そのまま(傪は)尋ねて、「あなたは誰であるのか。なんと旧友の隴西出身の人ではないか。」と言った。
虎はうなり声を数回あげ、すすり泣く状態であった。やがて傪に向かって言うことには、「私は李徴である。」と。
そこで傪は馬から下りて、「君はどういうわけでここにいるのか。」と言った。
虎が言うことには、「私があなたと別れてから、遠く離れていて会えないことが長かった。幸いなことに無事であったのかい。役人として出世することは滞りなかったかい。今日はまたどこへ行くのか。」と。傪が言うことには、「最近幸いにも御史の一員になることができた。今は使者として嶺南に行く命を受けたところだ。」と。虎が言うことには、「君は文学で身を立て、位は朝廷の高官に登っている。立派であるというべきだ。心より旧友がこの地位にいることをうれしく思う。とてもめでたいことだ。」と。
傪が言うことには、「以前は私とあなたとは年を同じくして名声を得た。交際の深密さは、普通の友人とは異なる。遠く離れてから、時間が過ぎるのは流れるかのようだった。(あなたの)立派な姿を遠く思いやって、心と目が断たれるかのようだった。思いもしなかったよ、今日君が昔を懐かしむ言葉を得られるとは。それなのにあなたはどうして私に会おうとせず、自ら草木の中に匿れるのか。昔なじみの仲であって、どうしてこのようであるはずがあろうか。(いや、こんなよそよそしくあるはずはない。)」
虎は、「私は今や人間ではない。どうして君に会うことが出来ようか。(いや、出来ない。)」と言った。
人虎伝における「虎」は、山月記とちがって「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」によるものではない
傪は、「どうかその事について詳しく話してはくれないか。」と言った。
虎が言うことには、「私は以前呉や楚で旅をしている者であった。去年家に帰ろうとして、道中で汝墳に宿泊したところ、突然病気になって発狂した。 夜に外で私の名前を呼ぶ者があるのを聞いて、そのままその声に応じて外に出て、山や谷の間を走り回った。訳も分からず、左右の手で地面をつかんで歩いていた。この時から心はますます残忍になり、力もますます強くなるのを感じた。自分のひじやももを見ると、毛が生えていた。心の中で非常に不思議に思った。谷川に面したところまで来て自分の姿を照らすと、すでに虎となっていた。しばらくの間、悲しんで声をあげて泣いた。しかし、やはり生き物を捕まえて食べるのは、(まだ人として)耐えられないことだった。しばらくして腹が減って我慢できなくなり、そのまま山の中にいるシカやイノシシ、ノロジカ、ウサギなどの野獣を捕まえて食べた。またしばらくすると、獣たちは皆私を遠ざけるようになり、捕まえられる獣がいなくなり、飢えはますますひどくなった。ある日夫人が、山のふもとを通りかかった。その時ちょうど飢えが限界まで来て、しばしば歩き回って(我慢しようとしたが)、自分を抑えることができず、そのまま捕まえて食べてしまった。特別おいしく感じた。今でもその夫人の髪飾りは、岩の下にある。これ以来、冠をつけて乗り物で行く者(=貴人)、歩いて行く者(=旅人)、荷物を背負って走って行く者(=行商人)、翼があって空を飛ぶもの、毛があって地面を駆けるもの、力の及ぶ限り、すべて捕まえて動きを封じて、すぐに食べ尽くしてしまうのが、ほぼいつものことになっている。妻子や友人のことを思わないわけではない。ただ(自分の)行いが天地の神にそむいたことで、一旦異獣となってしまったからには、人に対して恥ずかしいばかりだ。だから獣の分際として会うことはできない。」と。そこで、叫び声をあげ、ため息をついて嘆き、我慢できなくなって、そのまま泣いた。
傪はさらに尋ねて、「君は今すでに獣となっている。どうしてまだ人間の言葉を使えるのか。」と言った。
虎が言うことには、「私は今姿は変わっているが、心ははっきりとしている。ここにいるようになってから、どのくらいの歳月が経過したのか分からない。ただ、草や木が生い茂っては枯れるのを見てただけである。近ごろは旅人の通行も絶えて、長い間飢えていて耐え難かった。不幸にも旧友に不意につきあたってしまった。恥じて恐れるばかりだ。」と。
傪は、「君は長い間飢えている。食物を入れる竹のかごの中に羊の肉が数斤ある。これを君に贈ろうと思うが、どうだろうか。」と言った。
人虎伝の李徴は、妻子のことを心から気にかけており、自分の詩のことよりもまず子の世話を頼んでいる。
(虎は、)「私はちょうど今、旧友と昔話をしているので、食う暇がない。君が去るときにそれを置いていってくれ。」と言った。(虎が)さらに言うことには、「私と君とは本当に外形にとらわれず心で結ばれた友である。そして私は君に頼みたい事がある。よいだろうか。」と。
傪は言った、「以前からの旧友だ、どうして断ることがあろうか。残念なことには、(君が頼みたい事というのが)まだ何の事か分からない。どうか全部それを教えてくれ。」と。
虎が言うことには、「君が引き受けてくれなければ、私はどうして無理に言うことができようか。(いや、できまい。) 君が今引き受けてくれるならば、どうして隠すことがあろうか。(いや、隠さず話そう。)私の妻子はまだ虢略にいるだろう。どうして私が獣になっってしまったことなど知っているだろうか。(いや、知るまい。) 君が南方から帰ったならば、手紙を持って行って、私の妻子を訪ねてくれ。私はもう死んでしまったとだけ言って、今日のことは言わないでくれ。そのことは決して忘れてくれるなよ。」と。さらに言うことには、「私は人間の世界にいた時、財産がなかった。子供がいるけれどもまだ幼く、言うまでもなく自分の力で生活するのは難しい。君は高官の地位にあり、普段から立派なふるまいをしている。昔からの仲で、どうして(君よりも)他の人間がまされることがあろうか。(いや、君の右に出る人間はいない。)是非ともその父親のいない幼子を心にかけてほしい。時にはこの困窮している子を憐れんで救い、道端に飢えて死ぬことがないようにしてくれたならば、これもまた大きな恩義のだ。」と。言い終わると、(虎は)また悲しそうに泣いた。
傪もまた泣いて言うことには、「私と君とは喜びも悲しみも共にする仲だ。それならば君の子はまた私の子でもある。きっと努力して君のねんごろな依頼にそうようにしよう。この上どうして私がいいかげんにすることを心配することがあろうか。(いや、心配はない。)」と。
人虎伝での李徴は己の詩歌が世間に認められたいと思っているというよりは、子供に伝えたかった。そしてその詩はよいものだった(本当に才能があったし、そもそも詩の才能は人虎伝の主題ではない)
虎が言うことには、「私には以前に作った詩文が数十編ある。まだ世間で読まれていない。残っている原稿はあったとしても、きっとすべてばらばらに散っているはずだ。君が私のために記録してくれ。実を言うと文人たちのうわさにならないとしても、それでも子孫に伝わることを重んじているのである。」と。
傪はすぐに従僕を呼んで記録を命じて、虎の言うとおりに書き取らせた。ニ十編近くあった。文章はとても格調高く、内容も非常に深いものだった。読んで感嘆することが、何度もあった。
虎が言うことには、「これは私が人間であったころに行い・仕事である。どうして(その仕事を)途中でやめて(子孫に)伝えないでいられようか。(いや、いられない。)」と。
人虎伝では李徴が即興で詩を作ったのは、自分が人の心を失っていないこと、現状への憤りを示すためだった
やがてまた虎が言うことには、「私は詩を一編作ろうと思う。思うに、私の外見は人間とは異なるけれども、しかし中身は異なってはいないことを示したい。またそこで私の思いを言って、私の憤りを述べたいと思うのである。」と。
傪はまた役人に命じて、筆で書かせた。
その詩に言うことには「たまたま病気で発狂して異類のものとなってしまった。災難が互いに重なって逃れられなかった。今ではこの爪や牙に誰があえて挑んでこよう。あのころ(私と君は)名声と経歴がお互いに高かった。(しかし、)私は獣となって草むらの中にいる。君はすでに(高官となって)馬車に乗り、その勢いは盛んである。今夜はこの山谷の中で、名月に向かい、声を長く引いて歌うこともできずに、ただ吠えるだけである」と。
人虎伝では李徴が自虐したのではなく、傪が李徴をとがめる形をとっている
傪はこれ(=李徴の詩)を見て、驚いて言うことには、「君の才知と品行について、私はよく知っている。しかし君がこんなことになったのは、君が普段から自分自身で残念なことがあるのではないだろうか。」と。
虎が言うことには、「陰と陽の二つが万物が創造することについては、もともと親疎厚薄の隔たりなどなかったであろう。その出会う時代や、巡り合う運命などのようなものは、私はまた知るよしもない。ああ、顔回の不幸(=早死)、冉有の病気などを、かつて孔子は深く嘆いたのだった。」
人虎伝では、李徴が虎になったのは「不倫」「殺人」を行った=情欲を制御できず人の領域を越えてしまったことが原因
いい? 天音。鬼は連れていけない。分かる?言ったはずよ、天音! 鬼は連れていけない! もうこの人たちは(人としてとどまれる域を超えたから)人間の世界には戻れないのよ!(「グリザイアの果実」)
「もしも自分自身で悔やまれることを振り返って考えるならば、私もまた思い当たることがある。きっとそれに起因するに違いない。私は旧友に会ったのだから、何も隠すことはない。私にはずっと記憶していることがある。南陽の郊外で、かつて夫に先立たれたある女性と、ひそかに交際していた。その家族がひそかにこの事を知り、いつも私の邪魔をしようと思っていた。その女性は、こういうことが原因で、再び会うことができなくなった。私はそこで風に乗じて火を放ち、その一家数人を、全員焼き殺して立ち去った。このことが残念でならない。」と。
これは「山月記」でもある描写だが、原作では終始友人のことを気遣っている。
虎がまた言うことには、「使者としての仕事を終えて帰る日には、他の郡の道を選んで、二度とこの道を通ってはならない。私は今日は心がはっきりしていたが、いつか完全に(虎の心に)酔いしれれば、君がここを過ぎても、もう思い出せず、君を牙でかみ砕こうとし、最後には教養人の仲間で笑い者になるだろう。それを成し遂げて笑うだろう。
これは私の切実な願いだ。君が百歩余り先に進み、小山に登って見下ろしたならば、すべて見尽くせるだろう。そこで君に私の姿を見せようと思う。勇猛さを誇りたいのではなく、君に私を見てもらい、二度とここを通らないようにさせたいと思うからだ。そうすれば、私の旧友に対する待遇が厚かったことを理解するだろう。」と。
別れの言葉を長い間述べ合った。
傪はそこで丁寧に挨拶して馬に乗り、草むらの中を見回すと、悲しく泣く声が聞くに耐えられないぐらい悲しいものだった。傪もまた大いに嘆き、数里ほど進み、峰に登って先程までいた辺りを見たところ虎が林の中から躍り出て大きく吠え、険しい谷を皆震わせるようだった。
私がもし「人虎伝」について二次創作をするならならこの2点を描きたいなと思う
私なら「呉楚」において起きた心の変化であるとか、「南陽の郊外」における殺人の話を考える。
李徴は皇族の子孫である。プライドが高いのはある種やむを得ないところがあるだろう。隴西時代は、それが邪魔して人とうまく接することができなかったのだと思う。しかし、そのあと生活に困窮し「呉楚」において人に助けを求め、その地を去るころにはたくさんの贈り物を得るようになっている。
これは、原作の描写に従うなら「皇族の地位を利用した」と考えるのが正しいと思いますが、
李徴は「抜け目のないところを示し」ており、かつての赴任地である、つてがあり、名声もあったであろう江南地方を放浪し、騎馬を持ち、下僕を伴い、貧窮を隠して皇族のうちの名士であることを利用して、悠々たる風情を装い、高官や有力者を歴訪したに違いないと推測している。傲慢な性格でありながら、妻子のために1年もこのような彼にとって不本意と思われる行為を続け、目的を達成したことを、「或る意味で、李徴は立派だった」とも評している。
あえて「李徴の内面に変化があって、人に心を開けるようになった」というストーリーを妄想してみると面白いかもしれません。
そうやって、人生に前向きになったところで、唐突に呪いが降りかかってきたと考えると面白い。
「人虎伝」では結局呪いは解けずに終わりますが、現代風なら、なんらかのきっかけで呪いが解けるような筋道も考えられますね。
そして、呪いの源と考えられそうな「南陽での殺人」のエピソードですが、これが官吏時代より前なのか、官吏時代なのか、それとも呉楚時代の後に行ったものなのか、そして、その時彼が女性に対してどういう気持ちだったのか、などを合わせて考えるとストーリーが盛り上がりそうです。
参考までに地理的にはこうなっています。
殺人を犯した南陽(西端)
官吏時代を過ごしていた隴西(内陸)
虎になる直前にいた呉楚(東海岸)
虎となって発見された嶺南(福建省=右下)
山月記はなぜ原作をあのように改変したのだろうか?
中島敦 山月記の創作意図は?虎になった理由と原典『人虎伝』 | 笑いと文学的感性で起死回生を!@サイ象
『山月記』の李徴にとっての「虎」は《人間が飼い慣らすべき「自分の性情」=『尊大な羞恥心』》であったのですね。他方、『人虎伝』の方の「虎」はといえば、これもまた《人間が飼い慣らすべき「自分の性情」》ではあっても、芸術家の葛藤などとは関わりのない、《人間界の掟(倫理)を犯す野獣的傾向》といったもの。
なにかしら「李徴」のエピソードをそのまま再現するだけでは飽き足らずこのエピソードに思うところがあったのだと思います。
それによって現代でも多くの人に親しまれている「山月記」を生み出したわけだから。
その背景なんかを考えてみても面白いかもしれません。
ブロガー山月記(C90新刊『ここは悪いインターネットですね』収録) - orangestarの雑記
李徴の受け止め方が素晴らしいよね。虎になれるならそれってすごいことやん、と。個人的に山月記の袁傪ってむっちゃ意地悪いよねって思ってた私の学生時代の感覚をめっちゃ的確に表現してくれてたラストページ大好き。 ただいくらこういう話をしても、実際には下のような人間がいるわけで、勘違いしてこの道を目指す人は耐えないよね。ほんとラストのコマの地獄観素晴らしい。
*1:過去ログ検索してみたら私も使ったことあったからほんとに人のこと言えないけど