メッセージは非常にわかりやすく面白い図だと思います。
心の強さを「量」で表現しようとしているということでしょう。
私は、この観点は絶対に持っていた方が良いと思う。
基礎体力が低いと、普段はうまいこと心のやりくりできている人でも、負担がドカッとかかってつぶれてしまう可能性があるのは間違いないと思うからです。普段明るい人でも、大きなイベントや身内の不幸などでガクッと崩れる人はたくさん見てきました。キャパシティの意識はあったほうが良いと思う。
「ブラック企業」「労働時間」などの話ではまず第一に量が問題になります。普通の人は一定以上のストレスには耐えられない。そして、普通の人なら耐えられる、と思うことでも耐えられない、という人もいるのは間違いないです。
こころの強さの「質側」についても目を向けてみよう
ただ、上の図ではだけで心の強弱を理解しようとするのは逆に危険だと感じました。
心に関しては、通常時は「質」の問題のほうが大きいと思うからです。上の図でも質的な話を意識はされているとは思うのですが、ちょっとしっくりきません。
ニャートさんはこの点ちゃんとわかっているとは思いますが、やはりどうしても量の違いを強調する形になっていると思います。
「量の問題」をメインに考えてしまうと「自分ではどうにもならない」と思ってしまったり「自分は普通の人より劣ってる」と感じてしまうかもしれないですよね。
「うつ病になってしまった」後は、自分を良くしようなどと考えることは逆に自殺行為になってしまうので無理ですが、うつ病になる前に、認知や物事の受け止め方を改善していくことはできるし、むしろ生き延びるために必須だと思います。
なので、「量」を意識することも大事ですが、それ以前に、まず「質」を意識したいところです。ニャートさんの記事はわかりやすいのですが、どことなく「こういう人はこういうものなんだ。しょうがないんだ」というあきらめみたいなのを感じてしまうところがあって、ちょっとハラハラしてしまいます。
とはいえ、私は「質」側を意識しすぎていたようで、上の図を見たとき「あっ、量のことも大事だった」と思い出せました。そういう意味で感謝したいです。
大学の時にうつ病になった自分が立ち直る際に意識した考え方
私も素人なので偉そうなことは言えませんが、自分は大学の時に適応障害→うつ病のコースをたどりました。
関西からなれない東京に出ていって、そこで自分がいかにコミュ障であるかを痛感し、人間関係がうまくいかなかったのが原因です。
大学なんて、どう過ごすかの自由度は高く、何かを強制されることも少ないです。今から考えたらほとんどプレッシャーがないようなものであり、それでも心の持ちようではうつになるんですよすごいでしょ(自虐)
なので、私は「量」の問題で考えるとしっくりこないんですね。
私はいろんな挫折を感じて心がネガティブ方向に偏っていたことや、自分のなかでこうあらねばならない、という部分を修正していくことで、だいぶ状態はましになりました。
今も昔もキャパシティは小さく、イレギュラーの連続や、大きすぎるプレッシャーなどにはすぐまいってしまいますが、大学の時より大きなプレッシャーについてはうまいこと付き合っていけていると思います。
なので「キャパシティが低くて私は駄目だ」と感じてしまう人も、うまいことそういう自分との付き合い方を考えていけば大丈夫だよ。あきらめなくていいよ、ということは言っておきたいです。
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人の心の強さは個人単位で考えるのが適切ではない状況も多い
ほかにもいろんな話がありますよね。
「ストレス」は「ストレッチャーでもある」という話だとか「やる気」の心理学だとか、「自己愛」の話だとか「承認欲求」の話だとか「貢献感覚」の話だとか。
ここら辺までくると「人の心の強さを、個人単位で考えるのは適切か?」という問題も出てきます。
アドラーなんかは、こころの問題はすべて人間関係が決める、くらいのことを言っています。人間関係が良好であり、支えが存在すれば、個人単位で心が弱い人でもすぐにつぶれたりはしない。
そういうところも意識して、少しでも自分の生存確率を高めていきたいですね。