カルバニア物語10巻より。
中世の、しかも貴族の話だから別に今の話ではないのだけれど。
タンタロット公爵の一人娘エキューは父のあとを次いで公爵になることを強く望んでいた。しかし周りの親族は彼女の能力を認めつつも彼女が家をつぐことには強く反対する。
普段付き合いの浅い年寄りの親族たちの頭の固さはある程度覚悟していたが、商業での取引があり関係の強い子爵「タキオ」までもが、彼女の希望を否定し彼女が他家に嫁入りすることを望んでいるのを知って、エキューはキレる。
「何しに来た!?いったいなぜここに!」
「なにって、決まってるじゃないですか。あなたの恋人にご挨拶に伺ったまでですよ。うちのはねっかえりをよろしくお願い致しますってね」
「大きなお世話だ、でしゃばったことするな!」
「そうはいかない。」
「大切なあなたをもらってくださる家を拝見しておきたかったしね」
「私は犬の子じゃないから、もらってくれる所、なんて無いよ。どうしてわかってくれないんだ……タキオ。アヒルのハゲといい、林業のハゲといい、おまえといい。一体私の何が気に食わないんだ!?私はちゃんと先のことを考えている。お前たちと同じように。いろんな産業のことや私達の未来のことも。なのに、どうしていつも私を仲間外れに。ひとり遠くへ追いやろうとするんだ。たかが○○○○が一本はえて無いくらいで。一体、私の何が気に食わない!?」
これに対するタキオの反応は、エキューには予想外のものだった。
「エキュー。気に食わないことなど、一つもない。本当のことを言おう、いつも君には感服している。君は公正で、勇気があって、努力家で、そりゃあ大した女だ。君こそはきっとタンタロット公爵がお作りになった最高傑作だろう。」
「じゃあ……なんで」
「だからこそ、いい人生を歩んでほしいんだ。確 実 な 良い人生を。君には、愛する男に手をひかれて、安全な、美しい道を歩いて欲しい。意外に思うだろうけど、私も、他のハゲ(親戚)たちだって、君の幸せを心から願っている。だから、カルバニア初の女公爵だなんて、誰も経験したことのない冷たい風のふく荒れ地みたいな場所に君を立たせたくないんだ。
君の美しい顔が苦痛にゆがむのを見たくない。私は君を気に入っている。だから私はこうしてここにいるんだ」
このタキオという男性は、政治においても経済においても非常に聡明な人物だし、エキューのこともよく知っていて彼女の望みも知っている。それでもこういうことを言うのだ。
女性にはそんな重荷を背負うのは無理だから、それを否定して上げるのが彼女のためだと。そんなことを考えないように教育してあげるのがエキューのためだと。そう考えるわけだ。
「こういう考え方をしてしまうのは、バカだからでも、その人を軽んじているからとも限らない」というところが重要だ。バカならば無視しても良いし、能力を証明すれば良い。その人を軽んじているのが理由であれば、その人との関係を持つことで改善できるかもしれない。
しかしそういうわけにはいかないのだ。
フェミの人たちは、すぐに批判者を愚か者扱いし、啓蒙しようとするが、それでは何の解決もできないということをまず理解して欲しい。
「一見、女性思いに見える発言をしていたり」「実際本人が自分のことを女性の味方だと思っている」人たちの間にこそ、もっとも厄介な存在がいるのだ。女性を理解していると信じ、女性のためを思うからこそ女性の権利を抑圧するのが正しいと思っている人たちがゴロゴロいるのだ。
こういう考えの人達をどのように動かすのか、逆にこの人達目線で言えば、どういう経緯で考え方を変えていったのか、そのあたりが読めるのが「カルバニア物語」の最初のクライマックスである10巻だ。
カルバニア物語(10) (Charaコミックス)[Kindle版] | ||||
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ぜひ読んでみてほしい。 私ははじめて読んだ時、この後の展開にすごくドキドキしたのを覚えています。
そう考えると、私のジェンダー観は「papa told me」とこの漫画にかなり強い影響を受けているかもしんない。
余談
つい先日は、某有名なはてなブロガーの人がこういうことを書いていてちょっと引いた。まぁ常日頃からこういう発言してる人なのでもう読者はだれも驚かないようだが(笑)
https://web.archive.org/web/20170401145508/http://www.tm2501.com/entry/2017/04/01/222435
女の人が男を訴えれば捕まえられるのに、男が女を訴えて捕まえる方法がない。それは男女平等どころか、女性有利な社会だから、恋愛なんて非常にリスキーな行為。そもそも、社会的に男を殺せる女性達は男の3倍論理的で頭の良い生き物じゃないと与えられている権利を運用することなんかできないから、教育した方がいい!だから、世の中は間違ってる。ましてやフェミニストなんてものは2016年の今言ってるやつは、もう無条件にバカにしていい!言論の自由とかそういう問題以前にバカ過ぎてお話にならないから、再教育すべきだ!
しかし、多分、彼もこれを「女性のため」に言っているつもりなのだろう。
本人はこれを論理的だと思っている。批判されても「物言いが過激だから叩かれる」としか理解できないだろうし、批判するやつはバカだ、程度にしか理解できないだろう。なんどミソジニーと言われても本人はずっとそれを否定していることでわかるように、自分の言ってる内容が間違っているとは考えもしない。長谷川豊的思考というのはこういうものだ。
彼の中では、社会は女性に有利な社会なのだ。女性は男性にない「特権」を持っている。そうでありながら、女性が男性と同じ権利を要求したりするのは越権行為だと考えているし(彼ではなく男性中心の社会が)それを許さないかったり反発して苦労するからそんなことは望むべきではない、というわけだ。彼にとっては女性が男性と同じことを望むこと自体、不公正なのである。 「教育すべきだ」という発言には自分が公正であるという強い自信が伺える。
長谷川豊にしてもこのブロガー氏にしても「被害者意識」と「歪んだ社会公正意識」という要素が合体して強固な思考を作り上げてしまっているため、もはやこの考え方を疑うことすら出来なくなっているだろう。いちいち説明はしないが「安倍首相」や「日本会議」の人たちがああいう考え方をするに至ったのもそういう思考から来ていると私は思っている。このブロガー氏は他人から見たらミソジニーしか見えない発言を繰り返しているが、本人は本気で自分は女性の味方だと思っている。長谷川豊にしたところで、発言が過激であったこと意外反省など全くしていないだろう。安倍首相や日本会議の人たちにしたところで「子どもたちのタメを思ってよりよい教育を」と思っているのになぜ反対されているのか理解できない、という人たちがたくさんいるだろう。
フェミやリベラルの「啓蒙」しぐさが気に入らない人たちは大勢いると思う。私もはてサの態度はくっそ嫌いだ。とはいえ、彼ら彼女らがなぜああいう態度になるかというと、普段からこういう形で「啓蒙」「教育」「抑圧」を受けているからなのだ。
で、上の「女性が有利」という発言をしているブロガーさんに関してもこういう発言をするのは、普段から被害者意識を強く持っているからだ。同情の余地がないわけではない。クソだけどね。
それぞれ事情はあるだろうが、まぁそれぞれの人達が自分たちがいる立場以外の人達について理解や想像を働かせられない限りは何一つ変わらないことは間違いない。