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「モトカレマニア」 MGTOWハラミ会に何か一言物申したいならせめて該当の2話くらい読んでからにしようよ

はじめに。「セクハラと男ばかりの職場」というテーマについてはすでにこういう記事書きましたのでこちらを読んでください。

一方「臨死!江古田ちゃん」「モトカレマニア」はどっちもすごく面白いけれど、もともとこの話が主題ではないことを差し引いても、ハラミ会前後の部分はギャグテイストが強すぎてリアリティがなさすぎると思うし、真剣に論じる価値は感じません。せっかくのギャグ漫画をそういうふうに使うのはもったいないと思う。


というのを前提にして。「モトカレマニア」2話の描写が話題になってたのでちょっと言及。


「ハラミ会」はセクハラ回避の最適解ではない?「相手を人として尊重すればいい」「いやそれが難しい」などの声も - Togetter
そもそもこのハラミ会というキャッチコピーを考えたのも、このキモイ男たちを思いついて描いてるのも女性作家だぞ。

「臨死!江古田ちゃん」の瀧波ユカリさんに一体何を期待しとるんだ君たちは……。作品に出てくるのは男も女も変なんばっかりだぞ。ポリコレとかそういうんじゃなくて、むしろ女のほうに肉食獣(猛禽類)みたいなのたくさん出てくるマンガ描いてる作家さんだぞ。ちなみに私は「臨死!江古田ちゃん」めっちゃ好きなのでみんなも読もうね。今見たら全巻セットで1000円以下で買える。読むしか!(宣伝)

そういう文脈を考えずに、このマンガのコマだけ見てヒートアップしてる人はちょっと落ちついてほしい。

ギャグマンガと現実の区別くらいつけよう

この漫画で語られていることに関しては、
1、現実において、無言で女性から遠ざかる男はおってもハラミ会をわざわざ宣言するアホはおらん。内心でいいと思ったりTwitterで気軽にいいねすることはあっても、実際にハラミ会宣言するやつがいたらそいつだけ叩けばいいだけの話。


2、宣言さえしなければ、会社の経費使わず私費で行っている限り女性がすでにやっている女子会と同じ。ただの男子会でしかない。内心がどうかまで踏み込むなら、まさにその行為こそがセクハラである。


3、名前についてはセンセーショナルな名称をつけて煽ろうとした瀧波ユカリのクソダサセンスの問題であって、男性の問題ではない。内心を忖度して裁くという行為はギャグ漫画だから許されるのであって、リアルでやる人間はクソだしそういう社会学者的仕草をやりがちな人はもっと慎重になるべき。こういう適当なネーミングを無責任にするやつについては私は常に批判している。ギャグ漫画の用語を現実に持ち出す人はバカだと思う。


4、ないとは思うが男子会自体がセクハラだと主張するのなら女子会も問題ありになる。女子会はよくて男子会がだめという根拠として職場における男女比や権力勾配うんぬんを論じるなら、この話にフォーカスするのではなく、直接その話をすればいいだけ。


5、つまりハラミ会というものについて真面目に論じる価値を一切感じない。瀧波ユカリに踊らされすぎだぞみんな。


というのが私の意見です。


結局、このページしか読まずにあーだこうだいうからみんな憶測で違った前提に基づいて話すことになるわけです。無駄が大きすぎる。


該当の話は2話です。何か一言物申したいならせめて該当の2話くらい読んでからにしましょう

コミックDAYSで会員登録すれば2話は無料で見れます。

読めばすぐわかることを読まずにあーだこーだいうの無駄すぎませんか? 例えばこのコマだけ見て「酒抜きの歓迎会すればいいだけだろ」って言ってる人いますけど、この会社に関していえば酒抜きでも微妙だし、そうはいいつつも結局その後酒抜きの歓迎会は行ってます。こういうの、読めばすぐ分かる話ですよね。また、私はまだ読んでませんが、2巻にさらに続きがあるそうです。つまりこの1シーンだけ取り出してギャーギャー騒ぐことってほんとに無駄ってことになると思う。


シュナムルさんがラノベ表紙見て発狂してたときにも思ったけどさ。「表象」ってそんな薄っぺらいものなの?違うでしょ。ちゃんと中身読むくらいはしようよ。それをやらない人間って、賛成であろうが反対であろうが基本的にシュナムルさんの尻にくっついてる思考停止したアホと同じに見えるんですよ。 結局あのあと本屋にいって確認した人どれだけいたんですかね。

最低限の手間ひまかけ図にお気軽にポジションを取って、それにたいして全く責任を取らない。間違ったことを言っても反省や訂正をしない。そんな手抜きをずっと繰り返してたらそりゃアホになりますよ。当たり前でしょ。ましてや、自分が気持ち良いことを言ってくれる人ばっかりフォローして、その人の言うことであれば何も考えずにその尻馬に乗る、みたいな「信者しぐさ」をずっと続けてたら、そりゃもうあなた教祖様も信者様もお互いにすごいポジティブ・フィードバックしあって意味不明な方向に天元突破しちゃってもおかしくないじゃない。いちいちエコーチェンバーなんて言葉知らなくても想像つくでしょや。

とにかく、何か物を申すなら、ワンクッション手間を挟むってのは意識したほうがいいと思うんですよ。先に発言してもいいけど、その後でもいいから一応確認して見るとか。それも嫌なら、せめて「自分は何も手間かけずに他人の尻馬に乗ってるだけ」って自覚を持って、穏やかなものいいを心がけるとかさ。そのくらいはしようよ。あんまりこれ言い過ぎると、なんの専門家でもない自分なんて何も発言できなくなるけどさ。自分はこの問題についてここまではわかってるけど、ここから先はわからないっていうその境目みたいなのを意識するくらいはしてもいいじゃん。


ほんとに不思議なんだけど、なんでそんなに簡単に自分で考えるって手間を投げ捨てることができてしまうんですか?なんでそんなに簡単に自分を棚に上げられちゃうわけ?自分で考えるの放棄したり、自分の存在を無として扱うのが平気って、それもう本当に「死んでないだけ」じゃないですか。
リアル社会だったら、自分の心を押し殺してでも周りに空気合わせないと行けないとかそのほうが楽って時もあると思うけど、、、ネットでしょ?ネットでなんでわざわざひたすら周りの空気に身を任せて同化しようとするの? トキなの? 病んでさえいなければラオウに勝てるの?教祖様とか自分と同じ主義の人が過激な物言いをしてるときに、よりによってそれに感化されて何も考えずにより過激な物を言いをするってなんなの?「カラオケ」と同じ感覚なの? そういうTL(ミュージック)が流れてきたら勝手にテンション上がっちゃうの? パブロフさんとこで生まれ育ったワンちゃんなの?それとも自分では考えてるつもりなの?ちゃんと考えてそれ?ありえないでしょ。
意見がどうこうとかじゃなくて、一枚の画像に煽られてるみんなが、実際にはその前後を見ないで話をしているという構図がもうすでに嫌です。見てない人の意見と、見てる人の意見が同等に扱われるってのが嫌。これについて、「いいからまず読もう」「せめてググれ」って人とか「いや、これは前後こういう流れだよ。それ前提に話しようよ」って説明する人がいないのがもうすでに気持ち悪い。


そんなだからシュナムルみたいなラノベ表紙一枚だけ見て大騒ぎする人が持ち上げられるんじゃないですか。そっちについて問題視しなかったくせに、BTSの件になったら急に中身を見ろとか言い出すのおかしいでしょ。


ってここで内容の説明せずに記事終わったほうがおもしろいと思うんだけど、まぁ一応書いておきます。


でも正直、下のgdgdとした説明読むより自分で読んだほうが早いと思います。

モトカレマニア2話

この作品、ホモ・ソーシャル丸出しのちっこい男所帯の不動産屋に、なんかモトカレのことばっかり追いかけてひたすら脳内で妄想してるかなり気持ち性癖の持ち主である主人公(♀)が入社するって話なんだよね。ちなみに、「雑魚を二回釣ってわかった」とか男性を魚にたとえるとかの描写はありと当たり前のようにあります。「臨死・江古田ちゃん」の作者だし、まぁ多少はね。

この作品のおっさんたちは「女性たちの厳しいセクハラ認定に萎縮してる男」ではなく「無神経にセクハラする人たち」だからその点注意ね

で、この不動産屋はもうどうにもならない。

ちなみに、社長はともかく社員は1話目から「おはちくびー」などといきなりセクハラやっったり下っ端社員にパワハラやってる。女性に関わるとかそういうレベルの問題ではない。実際にこんな人がいるのかどうかはわからないが、実際にいたとしたら、もう気が狂ってるたぐいのやつである。セクハラという概念は知っていてそれでもこういう発言をしてしまうみたいなので、もう教育とかしても手遅れかなにかだろう。そりゃもう女性とは隔離しておくしかない。 あくまで個人的な印象だが「瀧波ユカリさんマンガのためとはいえ男を気持ち悪く描きすぎじゃない?」って印象を持った。ぶっちゃけ、「このマンガに関しては男どもはガチでクズなので、ハラミ会という緊急処置はやむを得ない。一般人男性の話とは全然関係ないぞ」という話でしかない。


女性である主人公が入社したことによって今後対応していく必要はあるかもしれないけどそういう話は特に重要ではない。そういうリアリティの話をするのであれば、今まで女性社員いなかったし、女性の客と飲みに行く機会だってなかったはずなのに「ハラミ会」みたいなキャッチコピーがあるのは不自然だし、もしそれを思いついたとしてもわざわざ女性に対してそれをいうメリットは全く無い。なので、これは戯画でしかないんですよ。

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瀧波ユカリさんのマンガ自体は色々深い部分もあるけど、このシーンの描写に関しては本当に軽い気持ちで思いつきを描いてるんじゃないかと私は感じました。違ってたらごめんなさい

にも関わらず、実際にこういうことを女性に向かっていう男性陣を想定して物をいうのは無駄だと思います。無駄とわかってて言ってるならいいけど真剣に言ってるのならちょっとマンガを読むの向いてないと思う。(これは女性作家の作品だから、普段男性作家さんをボコボコに殴ってる人たちも作家さんや作品を攻撃しないから言及するのが楽ですわ……これ男性作家さんの作品だったらもっと発言に気を使わないとすぐに発狂するダブスタな人いるからなぁ……)


この会社はクソだ!そのとおり。こんな会社で女性を働かせるな!そのとおり。
だから、社長は主人公に入社をすすめないどころかむしろ断ってる。
ちゃんと社員の人間として駄目すぎる様子を主人公に見せた上でこう確認してる。

で、残念ながらね。うちは女の営業取ってないの。つまり男だと思って面接に呼んじゃった、と。
不動産の世界ってね、ヤローの世界だから。女子は大変。
押しの強さとかハッタリ必要だし。歩合制だから基本給はクソやすいし。

仮採用でいい?別に最初から本採用でもいいけど

普通の人だったらここで話終わりなんですよ。女の人、この会社に入社しないでしょ? さんざんやめといたほうがいいよって社長がいってるにも関わらず、入社しろうとしたこの主人公も、問題ありながら結局受け入れちゃう社長も、どっちもありえない。

作者である瀧波ユカリさんが、自分が描きたいもののために最初っからわざとありえないおかしな設定にしているわけです。これは現実的な問題として考える作品であることを投げ捨てる、と作者自らが宣言してるようなもんです。




んで、飲み会のシーンですが。当たり前だけど別に主人公はおっさんたちとの飲み会に参加したいわけではない。「飲み会か。今の若い世代は飲み会を嫌うと言われてますが。銭がかからないなら話は別なんでございますよ」。この程度です。

で、例のページの次のページでは、友達との飲みのシーン。

「でもいいじゃん。ハラミ会やっててくれたほうが。煩わしくなくてさ。」
「まぁね。私だって別におっさんと飲みたいわけじゃないけどさ。
 でもセクハラしちゃうから女はお断り」っていうのもセクハラじゃない?
「え?そーなの?」
「いや、職場ではね」
「うーん……まぁ問題の解決ってよりは逃避だよね」
「あと男だけで楽しそうなのがなんかずるい」
「え?そこ?」

これで話終わり。別に主人公は「タダで鳥つくねが食えると思ってたけどそれが食えなかったので残念」って程度の話です。ちなみに、その後結局簡易な歓迎会は実施されました。


そんなわけで「さすがの瀧波ユカリさんだなぁ。相変わらずキャラぶっ壊れてる人たちばっかりで面白いわ」って感じであって、大真面目に論じる価値が全く無いと思うんですよ

もともと瀧波ユカリさんの作品、感情描写の丁寧さと、舞台やキャラ設定の適当さのアンバランスぶりが良いんじゃないんですの?
感情面においては男女問題よりもむしろ女性の間におけるカースト意識にズバッと切り込んだり、男女構わずに暴言吐いたり乱暴に切り捨てまくったりその部分だけ見てれば爽快だけれど、そんなことしても幸せになれなくて自分の不遇さを思って泣くことになる、という部分もちゃんと描いてきたじゃないですか。 そういう感情の機微は丁寧に描く一方で、物語やキャラクターの設定とかは過度に戯画的というかリアリティをあえて投げ捨ててきたじゃないですか。論理的とか現実的な話をぶっちぎちったところに面白さを描いてる作家さんじゃないですか。どっちかというと絵のついた空想エッセイみたいなものだと思ってますけれど。

そういう現実的な描写ぶっちぎっちゃってる作家さんの作品に「感情移入」するのは好きにしたらいいけど、その作品中に出てきた男性に対してだけ急に真顔になって現実の話をするのはやめてほしいです。 それをいうならこの主人公の女性について批判したいことやまほどあるぞってなっちゃうんで。


そういうくっそつまらない読み方するんじゃなくて、このマンガは「情緒不安定すぎるこの主人公」が、モトカレ出現で揺さぶられまくってるけど江古田ちゃんとは違って妙にポジティブに振る舞うところが面白いので、そういうのが好きな人は読めばいいと思うよ。

あとこれは蛇足だけど。すごい個人的な話をすると、飲み会の席では女性によるハラスメントって結構多かったです。割合の話ならともかく、セクハラやアルハラは男性から女性に一方的に行われるものって思ってる人、イデオロギーに囚われ過ぎだと思う。


ハラミ会について真面目に考えるよりは、
こっちの記事のほうが、コミュニケーションコストの問題を考える上で有意義だと思う。

貨幣空間でも愛情を求めてくる人がいるので、そういう人とうまくやる必要は出てきちゃいますよね。
そういうのはもう割り切って優しく接してあげるしかないのかな…