話の構成はかなり微妙だと思いますが、メッセージはとても重要です。
話の構成が微妙というのはもちろん前半の部分です。正直自分がリアルタイムでその場にいたら不満だったと思うし実際にそう書いている人もいる。
スピーチの半分まできて、上野氏は最初の一文以外、ネガティブなメッセージしか送っていない。これでは聴衆と信頼関係を結べないのではないか。
しかも、語り口は早口で、淡々とした、と言えば聞こえが良いが、「原稿朗読モード」で訴えかけてくる力も感じられなかった。
文章で読んでいたとしても、この前段部分についてスルーし、結論が良いからといって手放しでスピーチ全体を「素晴らしい」とほめたたえる人の神経やセンスは私には全く理解できません。楠本まきさんの件でも書きましたが、みなさん本当にちゃんと自分で文章読んで自分で判断してますか?スピーチとして見たらむしろ微妙だと思いますよ。
ただ一方で、後半に素晴らしいメッセージが込められている、という意見はその通りだと思う。だから後半部分を読んでほしいなと思う。漠然と名文だとか素晴らしいといってる人が多いけど後半の内容について具体的に言及している人が非常に少ないのが残念なので、後半部分について2点ほど言及しておきます。
大学はなんのための場所なのか =「多様性」に触れ「メタ知識」を身に着けるため
知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。
女性学を始めてみたら、世の中は解かれていない謎だらけでした。どうして男は仕事で女は家事、って決まっているの?主婦ってなあに、何する人?ナプキンやタンポンがなかった時代には、月経用品は何を使っていたの?日本の歴史に同性愛者はいたの?...誰も調べたことがなかったから、先行研究というものがありません。ですから何をやってもその分野のパイオニア、第1人者になれたのです。今日東京大学では、主婦の研究でも、少女マンガの研究でもセクシュアリティの研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。そして私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。
学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。
学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。
※ここの部分は文句言う人がいるので削除しました。
インセンティブ・デバイドを知覚すること
がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。
この部分絶賛されてるけど、受け止め方がバラバラだと思います。
正直言うと、この問題って事実だしとても大切なことではあるけれど祝辞の場において「お前の努力の成果じゃなく環境のおかげだ」的な言い方をされるのはちょっと抵抗あるんだよね(もちろん上野さんは東大生の努力そのものは全く否定していませんが)。少なくともメッセージの伝え方については「わざと」だとしてもあまり好きではありません。
祝ってくれよ#東大入学式2019
— つむ (@tumu66) 2019年4月12日
一方で彼女が語っているメッセージはとても大事です。この「環境によって努力しても報われると思える人と思えない人がいる」という話は「インセンティブデバイド」と言います。ネットでよく見る表面的な労働生産性の話より、このインセンティブデバイドの方がはるかに根源的な問題であり、「東大生だけではなく」すべての人たちが意識すべき話だと私は思っています。 この「インセンティブデバイド」と「メリトクラシー信奉」が社会に与える害は、十年以上前から言われているにもかかわらず、十分に認識されているとは言えないように思います。
上野さんの話は決してエリートだけに要求するノブリス・オブリージュの話というわけではない。
「~(の努力が)できない人」「頑張ってるけど~できない人」にどう接するかという普遍的な考え方です。
これを素晴らしいというコメントを残すというのは、そういう視点を持つことだと思います。
「なんかよくわからんけどいいこと言ってる」とか人によっては「東大生の(特に男性)にガツンと言ってくれた!」くらいの感覚で賞賛してる人もいるんじゃないでしょうか。
さすがに「東大生はこういうことを入学式で言ってもらえてよかったね」とか「アホにはこの話のすばらしさはまったく理解できはしない」みたいなコメントにスターが大量に集まっているのはドン引きです。
そうではなく、こういう人たちに目を向けましょうってことが、上野さんが言いたいことなのだと思います。
「努力することができる」集団と、「努力する能力を早い時期に損なわれた」集団が日本社会には解離的に存在しており、その隔たりは、日々拡がっている。階層上位の人々は、「強者連合」的な相互扶助・相互支援のネットワークを享受しているが、階層下位の人々は分断され、孤立化し、社会的流動性を失っている。
東大生向けの話だと自分と切り離して「素晴らしい」などと賞賛するだけして感動ポルノ的に消費してしまうのはもったいないと思います。本当に上野さんの言葉を本当に素晴らしいと思われたなら、自分の身の回りにあるインセンティブデバイドを見つけそれに対して、どのように働きかければよいのか考えてみてはいかがでしょうか。
例えば、職場内が競争状態になっていたりすると、パフォーマンスが低めの人に対して「こいつは足を引っ張っている」という感覚を持っていませんか?「でもそれって構造的な問題なんだ」って言う風に考えるといらいらが減ったりするかもしれませんし、「過剰に競争的な雰囲気は良くないな」と考えられたりするかもしれません。これは東大生でなくてもできるはずです。
「最近の子どもは学力が下がった」ということを不満げに言い立て、「できる」子どもに報償を与え、「できない」子どもに罰を与える「人参と鞭」戦略をさらに強化せよという声ばかりが高まっている。だが、教育史が教えるのは、「人参と鞭」戦略は必ず失敗するということである。同学齢集団内部での相対的な優劣を競わせれば、子どもたちの集団全体としての学力は必ず下がる。
何かの話を聞いたり、マンガを読んだりして素晴らしいと思っても、自分がそれを受けて何らかのアウトプットをしないとたぶんすぐ忘れて消えてしまいます。受け売りでもいいし、ブログを書くみたいなちっぽけなことでもいいから何かアウトプットしてみるといいかもです。
『私の中には たくさんの先人の言葉が 受け取ってきた宝物があるので それをきみらにパスするために 受け売りをするために教師になったんですよ』
この件に関して、「星の王子様」をベースとしたこちらの物語をお勧めします。
tyoshiki.hatenadiary.com
追記
「平成最後の東京大学入学式祝辞」に素晴らしいとコメントした人は「メタ知識」と「インセンティブデバイド」という言葉について考えてもらいたい - この夜が明けるまであと百万の祈りメタ知識はそういう認識であってほしいよねって感じだし、彼女は意欲格差も含めて持ってほしい視点を述べてることに賛同が集まってるんじゃないの?このブログみたいに言いたいことをはっきり書かないのは卑怯。
2019/04/13 17:25
なんかよくわからん批判コメントを頂いてしまった。「言いたいことをはっきり書かないのは卑怯」って言われても……その、なんだ? はっきりわかるように書いたつもりですしタイトルにも堂々と示しているつもりなのですが……。
私こういうゴミみたいなコメント書く人が心底嫌いなので、せっかくだからちょっと強めに殴り返しておきますね。