・「正しい」人々が「関係ねー」「しょーがねー」「めんどくせー」と呟く一方で、正しくない人々が「それでも生きるんだ」と輝くから「関係ねー」の人々も屍から生き返り瑞々しくスクリーンを飛び回るんだよ。
・かつて「あの子の手を離してしまった僕」への鎮魂歌なんだよ!それはもう『君の名は』でやったでしょって言うかもしれないけれど、「手を離してしまった」須賀という人間が出てきて戦うってことが重要なんだよ!
そうなのだ。
おそらくおっさんとして一番コスパが良い「天気の子」の鑑賞姿勢はこれだろうと思う。
若い子は、ヒナとホダカの関係に感情移入して気持ちを高め、根拠のない「大丈夫」を信じてもいいんだ。いや、お前が大切な人にとっての「大丈夫」になるんだ、と。そして、おっさんは須賀のように悟ったようなことを言ってないで、お前らも若者の詰めの垢を煎じて飲んで自分が思った通りに素直に動いてみろや、と。そんな感じで見ると、一番この作品をエンジョイできる、はずだ。
おやすみシェヘラザード27話における「感情論」と「知らんがな」の対比において「感情論」を全面勝利させた世界線だ。
いいじゃないか。エンタメなんだから、エモいことが正義だ。
新海誠はフィクションの世界というのを最大限利用して、序盤に現実の企業のロゴがバンバン出まくった、やたらとリアリティ高い東京という社会を描いたうえで、それを主人公たちの手でぶっ壊すという積み木崩しの快楽を提供してくれた。それに「協力者」という形ではあるが夏美や須賀というキャラクターを通じて間接的に参加する余地を与えてくれた。しかも壊すことの罪悪感をあまり感じさせないようにして、純粋に快楽をむさぼれる形で。厳しい世界を描いてるのかと思ったらお砂糖全部のせケーキみたいな甘々なお話だった。
その上で、主人公たちはそのあとちゃんと責任を背負う決断をしてすこしビター味を残しているけれど、それは恋の代償だ。そこは見なかったことにしてもいい。おっさんたちは「もともと世界がくるってたからね。仕方ないね」で知らんぷりを決めればいい。むしろ狂った世界を利用してYOU成り上がっちゃいなよって塩梅だった。これからはわがままな奴が微笑む時代なんだーとジャギ様もニッコリ。
*1
・・・って感じで楽しむのがたぶん最もコスパが良かった。
全てはこの真言に成就する。心配すんな。大丈夫だ。
まあ、その「社会の辺縁」とか「逸脱」の表現のために「君の名は」に引き続きいちいち反社や破壊行為みたいな単純な方法に頼ってるところは安直に感じたけど、そうは言うても韓国ドラマとかならより直接的に血と暴力の表現多用してるし、こんなもんでいいのかもしれない。
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それはわかる。確かに須賀は過去の新海作品の数多の主人公の一人という見方をするのが良かったのかもしれない。だけど、こういう話として受け止めるためには、私にとっては須賀くんの描き方が物足りなかったんだよね……。
<※ここから先は老害美少女ゲーオタの美少女ゲー語り注意>
おっさんのために用意されたキャラというならもうちょっと須賀くんを何とかしてほしかった
人間歳取るとさあ。大事なものの順番を、入れ替えられなくなるんだよな。
このセリフ自体は素晴らしかったので、これをもっと有効に使ってほしかった。
須賀くんは、この作品の中で一番情報が多い。主人公やヒナ以上に情報が多い。序盤の印象だと身元もはっきりしない主人公を助けてくれる、それでいて自由そうに生きてる楽しそうな大人のイメージだ。
でも実際には彼は主人公のロールモデルになりえない。むしろ「否定すべき大人」のイメージなのである。そのあたり「グラン・トリノ」とは全然違う。
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須賀くんはCLANNAD アフターストーリーで、愛する妻の死によってダメになった岡崎にイメージがかぶる。岡崎ほど極端ではないが、逆に言えば中途半端だ。夏美という自分を慕ってくれている従妹の存在によって日々を保っているが、根っこのところでは投げやりになっている。娘も自分のことを慕ってくれているが、妻の親には強く出られない。ホダカくんと会うまでは娘のことをあきらめつつあったんではないかと思う。いろんなことがどうでもよくなってたんだと思う。
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ホダカくんを拾ったのも、過去の自分に似た子供を保護することで何かの変化を期待したところがあったのだろうか。実際に、そのあと妻の実家に引き取られていた娘の親権を取り戻そうと努力している様子が描かれている。彼は彼なりのやり方で変わろうとしていた。それはわかる。疑似家族的な展開を通して須賀くん自身も立ち直ろうとしていたというあたり、家族計画の高屋敷寛を思い出す。
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しかし、結局彼は作品の途中でたばこを吸うし、ホダカの保護を途中で投げ出す。夏美の好意にも気づいていたが、それにも取り合わず、肝心なところでそれも切り捨てる。ヒナを追いかけようとするホダカを引きとどめようとする。 能力がありそうなところも見えるが、そのせいでなおさらダメな大人として描かれてる。
警察は戯画的な存在として登場しているのみであり、あれは概念であって「人」として描かれていない。(どうでもいいけど、CARNIVALにおいても警官は間抜けな存在として描かれていたな……。)この作品にメインとして登場する大人は須賀くんくらいしかいないのに、その須賀くんがいい加減でちゃらんぽらん。それでいて体制に従順というわけで、若い視聴者からしたら「大人はダメだ」って思わせる存在になっている。
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このせいで、私はホダカくんやヒナに違和感を感じっぱなしだったという話は前にしたけど、かといって須賀君にも感情移入できなかった。
この作品において唯一出てくる「大人」の役割を背負っていた須賀君は、ホダカと対立し踏破されるべき存在だったはずなのだけど、踏み台にもなりきれなかったような印象だ。
役割はわかる。親殺しじゃなくて「ダメな大人が、若者に感化されて自分も変わる」「大人は若者の邪魔をしないで彼らがやることを応援してついでにそれに乗っかっちゃえ」って形をスムーズにやるためだったんだろう。上の記事のように、「ダメな大人だった須賀くんがいろんなしがらみをかなぐり捨ててエイヤで行動する」というシーンにカタルシスを感じる、という演出を狙ってたんだろう。でもなんとなく中途半端に見えた。
んで、いろんなタガが外れて一念発起した須賀君はエピローグにおいて社員数人を抱える企業経営者になってるわけだけれど。。。須賀くんと娘さんの関係ってどうなってたっけ。そっちの方が大事じゃないの?
須賀くんは、ホダカにとって選択を躊躇させる存在にはなりえなかった
結局のところ「天気の子」の最大の不満は、ホダカが「ヒナか世界か」を選ぶ時に、全く葛藤がないところなのだ。
正直言って、須賀くんはあまりにもストーリーに都合がよすぎる情けない大人として描かれすぎていたし、ホダカくんは話の中で比較すべきものを手に入れなかった。
須賀くんにはなんだかんだ社会の辺縁部で生きてきた人間として、もっとたくましいところやずるがしこいところ、そういうのを見せてほしかった。
ホダカくんやヒナたちが何も持たないというのはいい。「世界」なんて大きなものは知ったこっちゃないというのもいい。でも、一緒に過ごしてきた須賀くんの生活をめちゃくちゃにしていいのかとか、そういう「作品内で積み重ねてきたものが、二人の関係性以外にほとんどない」ってどういうことなんだよ、と。
note.mu
私はこの記事に全然賛成しない。
天気の子が「選択」の物語というのであればその選択には血のにじむような葛藤が必要だったはずだ。だからこそ選択に意味が生じ、カタルシスが生まれるはずだった。でも、この作品にはそれを全く感じなかった。「天気の子」は東京に住む多くの人々の人生を巻き込む選択だったはずなのに、そこにまるで重みを感じなかったのだ。そのくらい選択を悩ませる要素をきれいさっぱり取り除いてしまっている。「そんなもん選択するまでもない。答えは決まっている。世界なんてどうでもいい」という話だったじゃないか。 ヒナはともかくとして、ホダカは選択は一切してないと思う。これはラストのシーンに限らない。ホダカは最初から最後まで選択なんてしてなかった。これは「篝」によって決定された選択肢をすべて自動で選択する物語だったと思うゾ。
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あくまでも個人的な好みなんだけど
個人的な好みとしては、もっと社会がきっちりしてるところを見せてほしかった。
大人や社会が間違ってるのであれば、そんなものを変えたり壊したりすることにそれほどの迷いも悩みも存在しないだろう。
現実にありえない超常パワーで世界を壊すか彼女を選ぶか「選択」をする物語なのだから、選択に意味がなければ物語の重みも弱い。
そもそも、社会的な圧力がないなら、別にヒナは自分の命を懸ける必要なんかなかった。人柱ですって夏美に言われただけで「それしか道はない」って思いこむのあまりにも単調過ぎる。「銀色」を見習ってほしい。
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ホダカに「晴れてほしい?」って聞いただけで決断するのもひどい。し、その前に政府関係者に「晴れ女」として認知されてたりとか、ネットで晴れを祈る人の声をたくさん浴びてた描写とかを全く利用しないのも脚本的にどないやねん。なんでこんなに「社会」というものを描くことを拒否するんだ新海誠は。おかげでヒナが何を考えてたのかよくわかんない。(ホダカ視点から見てヒナが全然理解できないというのはこの作品の特徴で、だからこそラストシーンが輝くんだけれど)
そうじゃなくて、私は、社会や大人の「正しさ」「大枠としては間違ってない部分」こそが二人をすりつぶそうとするところを見せてほしかった。
それが「神さまがうそをつく」であり、「廻るピングドラム」であり、「つめたいオゾン」だった。
・・・・・・いっそのこと、何もかも全ての境界が壊れてなくなってしまえばいいのに。そしてこのあまりにも公平な現実世界を、少し歪めて欲しい。(『つめたいオゾン』)
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「たとえ世界が正しくても、自分たちのためにそれをほんの少しでいいから壊したい」という祈りを見たかった。
その些細な願いのために、自分にとって大切な何かをささげる、という物語を見たかった。
そんな作品として、私が最も好きな作品が「レ・ミゼラブル」なのだけれど、これについてはまた今週末にでも紹介したいと思う。
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いろいろ不満はあるけれど、それでも最後の10分は本当に素晴らしかった。
ラストシーンがすべてを救ってくれている物語だと思う。
瀬戸口廉也と新海誠
天気の子の感想記事ではこれが一番好きかもしんない。
ようやく、ああ、『君の名は。』で示したディスコミュニケーションの向こう、ダイアローグの出口に立って、さらに進もうとしているんだなと伝わってきた。雨の降り続く東京で、最後に選択し、反射する言葉。
「僕たちは、大丈夫だ」
新海誠作品でこんな力強く、祈りを捧げる少女に向かってもう手を離さない、共に生きていく宣言する少年が出てくるとは、10年前の自分に言っても信じないだろう。 まだしばらくの間、噛み締めていようと思う。
でも、なんだかこの記事を読んで寂しい気持ちにも感じられた。私は瀬戸口廉也さんが好きなので、大丈夫になってしまうことはそれはそれで大きな喪失だと感じてしまうのだ。
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私が須賀に求めていたのはこのように敗北と喪失を自らのものとして受け取ろうとする意志を持つ人間だったけど、そういう明確な立場を持つ人間ではなかった。ただ喪失の時から時を止めていただけだった。再び動き出す時を待っていただけだった。子供と違う何かを見せてくれる大人ではなかった。
つまり今まで書いてきたこと全部放り出すようだけど、「結局新海誠世界に大人はひとりも登場しなかった」ということになる。新海誠世界には若者と、大人ぶってるやつしかない。あれほど建物を通して東京を描こうとしたのに、中身は大人のいない社会にしてしまったのは何なんだ。
新海誠さんは以前から「大丈夫ではないこと」「ついに女性側を理解することなく、己の中の思い出の女性こそが最も美しかった」という形で永遠に時を止めてしまい、それをやせ我慢というか変な耽美意識で耐え忍ぶというドMな感覚が気持ち悪いってひとが多かったと思う。
そのぶん、私は新海誠という作家は「勝つこと」や「大丈夫」にあまり価値を置かない作者だと思っていたしそこが好きだった。それが今回このありさまだ。おそらく「君の名は」というワンクッションを置いて、今作で完全に変わってしまったのだと思っている。それがいいことかどうかは私の判断するところではない。ラストシーンを美しいと感じられたのだから、意外と私は次の新作も楽しめるような気がする。
*1:たぶんこういう考えはキンコン西野の近畿大学講義とかメタップス佐藤的なものとすごい親和性高いと思うけど、エンタメの世界に限ってやるなら構わない。キンコン西野のやってることがグロいのは、エンタメだからこそ許されるノリをビジネスでやってるからだ。あれは吐き気を催す邪悪を感じるグロさだ。だが、新海誠はフィクションの世界であることを自覚してその枠内でやってるのだからいいんじゃないでしょうか