※まだ自分の中で生煮えな感じのフワッとした話なので流し読み程度の気持ちで読んでください。
こんな記事を書いておいておいおいって言われるかもしれないけど
ごめん、これ結構面白かった。
とくにこの部分がなるほどなーって思った。
ただこれが男性の普通かと言われると、
①男性があまり群れる生き物ではない上に、
②あまり女性関係のことを話しあう習性はないので、女性の意見よりも例外が多く発生しやすい。
「女性は群れる習性があるので、意見が平均や中央により集中しやすい」という特性
そうなんだ、と。
女性って群れるしめちゃくちゃ男性関係のことを語り合うのね……。
私は群れの中にいると消耗しやすいから群れを避けるし、女性関係のことなんか全く語らないのでほんとにこのあたりの違いは面白いなと思った。
- 作者: 尾崎衣良
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2015/06/12
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
その上で、細分化されてるせいかもしれないけどnoteに書かれていることと自分の間では感覚の違いがあるなとも思った。
私は全然男として「普通」ではなく出来損ないなので「普通の男」の感覚はわからない。なので、男性を代表するようなつもりは全くないけど、男性の中に含まれる1個人として意見を述べてみようかなと。
ちなみに特に結論とかはないです。
「バランス感覚」が合わないとめんどくさい(コミュニケーションコストが高い)なと感じる
男性の求める普通2 挨拶やお礼がちゃんとできる
男性の求める普通3 常識があり、周囲のことに気が使える
男性の求める普通5 頭の良さと一般的な教養めんどくさい女1~5
このあたりについては、ちょっと感覚が違う。私の中ではこれ全部2に統合される。
「常識がないなこの人」とか「頭悪いなこの人」って思うときはつきつめると2の話だったりする。noteに書かれているいろんなことの中で一番大事なものはこの2だと思う。
2についても「感謝」そのものが大事なのではないと思っている。私にとって大事なのは「バランス」だ。
私はなんで感謝とか礼が必要かというと「人間関係の均衡」を忘れないためにあると思ってる。「いつもありがとう」などの言葉は、両者の関係が、お互いの努力によって成り立っているということを忘れないために必要で、このことをどちらかが忘れて「当たり前」だと思ってしまえば簡単にバランスが崩れ、関係もダメになっていく。
もちろん全てにおいてバランスをとることなんて至難の業だ。だからせめて言葉で補うのだ。少なくとも「私はあなたがしてくれたことをちゃんと受け取って、敬意を表します」と伝える。感謝や挨拶のない関係はきわめてもろい。感謝の気持ちが欠けている人は関係性を不安定にする。私は不安定さへの耐性が健常者より弱いので、ここは致命的に重要だ。
「常識」やら「頭の良さ・教養」なども、常にこの関係性を良好に保つためにある、と思っているので、関係性というものが、メンテナンスが必要なものである、ということさえ認識されているのであれば、あまり気にする必要はない。現時点でダメだとしてもそのうちよくなるだろうから。
なお、私はこのメンテナンスがめちゃくちゃ苦手なので、限られた人数としか付き合うことができない。大勢の人と良好な関係を維持できてる人はすごいなあと思う。
とにかく、「むかついていようが、やるべきことをやってくれてる相手には礼を欠かしてはいけない」ということができない人間はあんまり好きじゃない。
そして、よくわからんけどこの「感謝」とか「礼」を駆け引きのあいさつとかパワーゲームにつかう女性は時々見かける。ニュートラルな時は感謝や礼をするし、親しい人や好きな人には大げさなくらいやるのだが、むかついた時に感謝とか礼をしなくなる。むしろ他はともかく一番やるべき時にやらない。
いわゆる「スネる」というやつだが、これを「職場で」「私より年上の女性が」やっていたときがあり、ドン引きした。
こういう人は関係性が悪化したときどういうメンテナンスをしてるのだろう。関係性が良いときはいいが、悪くなった時いつも相手が折れるのを待つのだろうか。相手がおれなかったらどうするのだろう。
ただ、マンガとかだと「男が妻が作ってくれたご飯の時にありがとうと言わない」みたいな描写をよく見かけるから、男女の問題ではなく教育の問題かもしれない。私は親には恨みのほうが大きいけど、父親から「いついかなる時も相手が自分にかけてくれた手間には感謝や礼を欠かすべきではない」というの教えはすごく大事だと思ってる。
コミュニケーションに求めてるのは「心理的安全性」であって肯定とか共感とはちょっと違う
女性は当然ながら、分かってもらいたいし、通じ合いたいという欲求があるので、コミュニケーションの成立している状態=女性側の気持ちと男性側の気持ちがイコールにならないと満足できない。
別に男性は自分と相手の気持ちがイコールになることを望んではいなくて、
コミュニケーションの成立している状態=男性側の意見や行動に対して「正解だよ、それでいいよ」と言ってほしい
これについても、わかるといえばわかるけどちょっと違う。
別に正解だよって言ってもらう必要すらない。欲しいのは安心感だ。「自分と結論を共有することを求め、意見が違ってるというだけで否定してくる人ではない」という安心感だ。
「安心感を求める」という意味では男女の差はそんなにないと思ってる。よく男性は解決思考で女性は共感重視というがいまいちピンとこない。
女性でも論理的な人は多い。なんでもかんでも共感してみせれば喜ぶというわけじゃない。逆に男の私も共感してくれればうれしいと思う。
ただ、男女を問わず、なんでも共感を求める(批判なきコミュニケーション)を求める人は、コミュニケーションコストをケチりすぎである。
自分のコミュニケーションコストをケチって相手に押し付けるようなコミュニケーションはバランスが悪い。ある程度自分で負担すべきだし、相手にも相応の負担を要求すべきだろう。
結局ここでどっちかが「我慢してる」「ワリを食ってる」と感じる場合、他で埋め合わせしない限り絶対に関係性は不安定になる。
長期的に見ればコミュニケーション以上にウェイトが大きいものなんてそうそうないと思うわけで、そのつり合いをある程度とっておいたほうがいいと思うんだよね。
・書こうと思ったけど力尽きたのでまた今度にするネタ。
①男性が外見の話(特にエロ方面)をしたがるのは、男性のほうが女性よりも内面がもろいからかもしれないという話。(生物進化論的には否定されるかもだけど、男のほうが神経細くてナイーブなところあるよね的な話)
②「いわゆる共感」の耐え難い軽さと、私が本当にうれしいと思う「共感」の作法について(スレ違いだからまた別の時に)