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石川優実さんを通して「兵士のマインドセット」「斥候のマインドセット」の違いを学びたい

どんどん泥沼化していってますね……
(上の記事は信頼性がないのではという指摘がありますが、少なくとも記事で書かれてる内容について、インタビュー以外は事実であると判断しています。)

この件について「石川さんはなぜ謝れないのだろうか?」と疑問に思った人が少なからずいると思います。



これについて3年前に書いた記事

をベースにしてもう一度「謝れない人はどういうマインドセットなのか」を確認したいと思います。

2つのマインドセットの違い 「兵士のマインドセット」「斥候のマインドセット」


①兵士のマインドセット(謝ったら死んじゃう病)の人には、前兆として「動機付けられた推論」がある

意識していない動機や願望や恐怖が 情報の解釈に影響を及ぼす — という現象です。ある情報や考えに対して 私たちは味方のように感じ、それを勝たせたい 守りたいと思います。

別の情報や考えに対しては 敵のように感じ 叩き潰したいと思います。だから私はこの動機付けられた推論を 「兵士のマインドセット」と呼んでいます。私たちの判断は 無意識のうちに どちらに勝って欲しいかに 強く影響されているんです。これは至る所で 見られるもので 私たちの様々な考えが そうやって形作られています。


健康 人間関係 誰に投票するか、何が公正で 何が倫理的か。
この「動機付けられた推論」 ないしは「兵士のマインドセット」が怖いのは、それが無意識だということです。自分では客観的で 公平だと思いながら 無実の人の人生を 台無しにしかねないのです

こういう状態になってるとき、ってもうすっかり心の中で「勝ち負けの勝負」になっているんですね。だから、相手のあらさがしをするし、自分の心の中で勝利を得るために、たとえ信用を失うようなことでも平気でする。


もう自分が何を言っているのかわからなくなって「全く論理的におかしなことをロジックだ、論拠だと言い張る」ようになります。とにかく自分が正しくて、相手が間違っている、という結論になるなら、手段を選ばなくなる。こうなったらもうおしまいですね。

彼はこの発見を 上官に報告しましたが、落胆したことには 彼らは無関心か 手の込んだ説明を するばかりでした。「それはドレフュスの筆跡を真似た別のスパイが現れてスパイ活動を引き継いだ というだけで ドレフュスが有罪なことに 変わりはない」

あまりこの「兵士のマインドセット」という言葉を言葉を他人に向けて使ってほしくないですが、言い争いになってるときなどに、自分はどうだろう、相手はどうだろう、って考えてみると、少し冷静になれるかもしれません。そして、兵士のマインドセットになっている人からはいったん距離を取ったほうがいいです。

【閑話休題】「ワンイシュー」で戦う人や「敵か味方の二言論」の人はたいてい兵士のマインドセットに陥る

一昔前なら小泉劇場やアベノミクスの可否だけを問う人、最近は山本太郎・N国党・石川さん・グレタさんなどなど先鋭化しています。RPA談義をしてる時のフミコフミオさんもそんな感じでしたね。

「ワンイシュー」で戦ってる人は、たいていの場合その1点を除いて人々にとっては価値がありません。本人もそれを理解しているからそのワンイシューについてはわずかな瑕疵や批判も許さないという考えになりがちです。自分の思想を受け入れるか受け入れないかの二択で迫ってくる。


こういう人たちは、その「ワンイシュー」が評価されていることと比べて自分自身がそれに追いついてません。だからすぐにボロが出ますし、本人はそれがわかってるからたいていの場合批判をシャットアウトして内側にこもってしまいます。

もっとひどいのになると「運動を私物化」しようとしたり、「自分の株価が高い間に売り抜け」をしようとします。運動を進めないでひたすら知名度を換金しようとする人とするんですね。株式市場では「創業者が将来性を煽りながら自分で株を売ってる会社には近寄るな」という格言がありますが、そんな感じです。

もちろん話題提起すること自体には価値があります。しかしそれ以外に価値はないしむしろ運動の妨げになります。ある程度運動が大きくなったら役割分担が必要でしょう。話題提起者は運動のアイコンとして好感度を上げる運動に徹してもらい、実務は実務能力のある人やブレーンに任せるべきです。しかし日本だとなかなかこのバトンタッチが上手くいかず、話題提起した人に「人格面」「知識面」「運動面」すべてを押し付けるという無理ゲー状態になってしまい、どの運動もgdgdになってつぶれてしまう印象があります。

kutooはその悪い面がモロに出てしまっているように思います。知識的にも人格的にも問題がある石川さんが孤軍奮闘する始末で、周りにいる人間は彼女の知名度を利用とする悪いオトナしかおらんなという印象になってしまったので現状では絶対に応援できません。


「サイコパス3」5話ではとある運動について

「理念が正しくても運営がダメなら意味はない」

とバッサリ切り捨てるシーンがあるのでぜひ見てほしいです。


「斥候のマインドセット」(オープンマインド)の存在を意識したい

さて兵士のマインドセットが時によくないということはわかったけれど、じゃあどういう風なマインドセットに切り替えたらいいのかとして提示されているのが「斥候のマインドセット」です。

「どちらのアイデアを勝たせよう というのではなく 本当の姿を可能な限り 正確に素直に見ようとする — それが都合が良く快適で きれいなものではなかったとしても」

好奇心が強く 新しいことを知る喜びや パズルを解きたいという欲求が 勝っている傾向があります 何か予想に反するものに直面すると 興味を惹かれるのです

自分の思いこみが正しいのか 試すのは良いことであり 考えを変えることを 弱さとは思っていません。そして何より斥候は 自分がしっかりしています 自分の人間としての価値を 何か特定の事柄で正しいか間違っているかと 結びつけて考えません。

一言でいうとオープンマインドというやつです。 

自分が知らないものや、自分と違う考え方の人に対して、寛容というか、積極的に興味を持つということです。

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自分たちの判断力を 本当に良くしたいと思うなら 最も必要になるのは 論理やレトリックや 確率や経済などの知識では ない。それはそれで貴重なもので あるにしても そういった原理を使いこなせるために最も大切なのが 斥候のマインドセットなんです。

自分の感じ方を 変える必要があります。 自分の間違いに気付いたとき 恥ずかしく思うのでなく 誇りに思うすべを 学ぶ必要があります。 自分の考えと相反する情報に出会ったとき 防御的になるのでなく それを面白いと思うすべを 学ぶ必要があります。

大事なのは「頭の良さ」ではなく、好奇心を持った話題について語るようにすること

「兵士のマインドセット」「斥候のマインドセット」のどちらかが常に正解というわけではない。それぞれ適した状況で使うべきなのかなと思っています。

それに、どんな人でも「兵士のマインドセット」一本やりということはないということも確信しています。誰だって、自分が興味あるもの、好きなものについては自然と「斥候のマインドセット」になれるはずです。

気に入らない一面だけを見て、それで人を決めつけるのではなく、できるだけ好ましいと思える面を見て付き合えるといいよね。

この性質は基本的には 頭の良さや知識の多さとは 関係しないということです。実際 IQとは さほど相関していません どう感じるかが問題なんです。

たえず私が立ち戻ってくる サン=テグジュペリの言葉があります。 あの『星の王子さま』を書いた人です。

「船を造りたいなら 木を集め 手分けして仕事するよう 部下に命じるのではなく 広大で果てしない海への憧れの気持ちを 引き出してやることだ」

と、いうわけで。

ネットをやってる人はこの2つのマインドセットを意識して、「斥候のマインドセット」を持つように心がけてみると、何か変わってくるかもしれないよ、というお話でした。



「謝る」のは負けではない。切断されたコミュニケーションを修復する作業である

石川さんは現時点で「敵に囲まれてそれを倒さなければ先がない戦士」というマインドセットになっているような気がする。

なので周りの人がサポートして彼女を少し休ませてあげてほしい。

そもそも「謝る」ということを「負け」だと思っていそうなところが非常にあやうい。そういう人はどんどん認知が歪んでいく。そうならないように一度誰かが風よけになってあげなければ潰れてしまいそうな気がする。

最大のリスクは、本人の認知の歪みを引き起こすことだ。これが意外と見過ごされやすい。問題に取り合わずその時は「やりすごし」たつもりになっていても、結局ほかならぬ本人が一番気にする。すっきりできず、後になって自ら蒸し返して、それを成功体験のように語ったり恨み節を語りだすようになる。今までこの例外を見たことがない。「謝らなかった」ことを自己正当化するため、どんどん認知がゆがんでいき、結局いつかもっと大きな問題にぶち当たって大けがをする。「謝らないで突っ走る」というのは「謝罪せずには許されない」案件にぶち当たっていつか事故死するまでのチキンレースみたいなものになってしまう。

ここで周りの人が彼女を持ち上げたり甘やかしたり、知名度を利用しようとすると完全に彼女は認知のゆがみがマックスになって取り返しがつかないことになってしまいそうで怖い。


そうじゃなくて、「謝る」というのは現状の問題を解決するための手段の一つに過ぎないのだって考えてほしい。


間違った点を受け止めて直していける人は問題解決能力が高いとして信頼を得る。明らかに問題があるのにそれを正そうとしないで突っぱねる人は問題解決力が低いイデオロギー至上主義者として信頼を失う。


ここ数年、安倍首相をはじめとして国のトップがいろんな問題を謝らずにやり過ごしてる姿をテレビを通して見せつけており、非常に教育的に問題があるなと思うけど、あれは独裁者に近い権力を持つ人にしか許されないムーブである。参考にしないようにしよう。



結論として、兵士のマインドセット状態の人は一旦休息が必要だし、休む必要があるのに休めないなら何かがおかしいと思わないといけない。なんかおかしいから助けてほしいとヘルプを求められるようにしたい。