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「ファイアパンチ」 教養なき正義が人を滅ぼす

ユダはなんでこんな世界で生きられるのか聞いたよね。それは、わたしに糧があるからだよ。それのためなら、一生だっていきてられるっていう糧が

チェンソーマンが面白いので前作であるファイアパンチも読んでみました。

超絶にメタメタしてる作品。

物語の主人公ならこうあるべき、みたいな不文律みたいなものを、映画好きのトガタというキャラクターを通じて語らせる。
その上で、主人公であるアグニはトガタから押し付けられるその「主人公かくあるべし」から外れた動きを取っていく。


この主人公のアグニは、常に身体を炎で焼かれ続けている。生きているだけで地獄の苦しみを味わい続けるが自然と死ぬこともできない。だから生きる理由・強い動機を必要とする。

すがるように自分が生きなければならない理由・これさえ達成すれば死んでもいいという理由を求め続ける。最初は妹が生きてくれと願ったそれだけを支えに生きていたが、それだけでは地獄のような苦しみに耐えられない。



だから痛みを忘れるためにいろんなことをする。復讐を目的にして敵を殺しまくってみたり、アガタの煽りに従って少年漫画の主人公みたいな修行シーンごっこをやってみたり、自分を慕ったり崇拝する人間のために神様ごっこをやってみたり、フラフラといきあたりばったりで行動して世界を混乱させていく。




読みながら「ゼノギアス」のグラーフだとか「チキタ★GUGU」のラー・ラム、デラルなどが頭をよぎった。生きることそのものが苦痛でしかないのに、苦しみに負けて死ぬことが許されない人間の姿は見ていてツライよね、、、



というわけで、5巻までがめちゃくちゃ面白い。ここまでがあまりに面白すぎるので6巻以降や作品そのものの終わり方に不満を感じてしまうのだけれど、それを差し引いても読む価値は高いと思う。

ファイアパンチ 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

ファイアパンチ 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)



主人公への執念ぶかい弄りと、サブキャラへの執着のなさのギャップがすごい。

確かに6巻以降の展開は残念感ある。
でも、アグニのアイデンティティをいじくりまして
薪から、兄から、主人公から、神から、家族から、そしてファイアパンチへと
決して1つの在り方に安住させないで徹底的に追い詰めるその容赦のなさは見ててゾクゾクした。

もうアグニでもない。
主人公でも
神様でもない。
俺が誰かはいつも他人が決めてきた。
なら、今の俺はファイアパンチだ。

やたらと壮大な世界観も、アグニを徹底的に苦しめるためだけに考えたのかと思うと
やはりこの作者さんはちょっと頭のねじが飛んでるなと思う。



主人公への異常なまでの執着に対して、サブキャラの扱いはかなり淡白。

絶対的な強者と思われていたスーリャとトガタですら物語の捨て駒。
滅茶苦茶一人一人のキャラを丁寧に描いているのに、物語のためなら平気で使い捨てる。
まるで、全く愛着を持ってなさそうなくらい雑な手つきで物語から退場させていく。
どういう感性をしていたらこんな作品が作れるんだろう。ほんとにすごい。




トガタはものすごくぶっとんでていいキャラだったな……

作者は物語の必要性があれば執着なくあっさりと手放してしまってるように見えるけれど
1キャラ1キャラがオリジナリティあってすごくいいよね。

その中でもトガタというキャラは複雑な味わいがあり
このキャラのためだけに何度となく作品を読み返したくなるくらいには気に入った。

アグニ、私はね。
いつか男になって、映画の主人公みたいに誰かを助けたかったんだ……

なんでこいつは生きなければいけない?
ドマを殺すことに成功したし、死んだら妹にも会える。
本人も死にたがってる。
そりゃ当然だ。
こんなに痛いし熱いし苦しい。
生きていてもつらいだけだ。
なのになんで、アグニは生きなければいけない?


そっか……

最初は単に頭がいかれたやつだと思ってたのに誰よりもアグニに影響を与える存在になった。



5巻におけるドマとの問答だけでもこの作品読んでよかったなと思う

キャラクターではなく問答も非常に面白かった。
この辺りは今のネットを考えるととても大事な話だと思う。

「アグニ、今の人々に足りないものは何だと思う。暖かい気候でも大量の食糧でも、神でもない。正しい教養だ。

人肉で食いつないでいるその村は、お前が死んだらどうなる?」

「…飢えて死ぬ」

「死なない。命は簡単に死なない。お前が死ねば、人肉を喰う文化だけが残るそうなれば、他の村を襲い、殺し、人肉を作るか、仲間内で共食いをするだろう。自分の信念に正しい教養がないから簡単に馬鹿になれる。そしてそれはもう人ではない。」

「教養がないから先のことを想像できない。想像ができないから間違った正義を振りかざしてしまう。
お前の、教養なき正義がベヘムドルグを滅ぼしたのだ」


「アグニ、お前を責めはしない。私は責める権利を持っていない。お前を燃やしたのは、正しい教養を持った私ではなく。間違った教養を持った私だからだ。

私が今まで見ていたのは、映画という娯楽のために作られた創作物だった。朝夜の二回礼拝していた神は、ただの人間の役者だった。私は、男の演技を信じ、人を燃やしていたのだ」

このあたりもSWAN SONGとかタクティクスオウガのランスロットタルタロスを思い出すよね。。


人は自分が何者かを自分で知ることはできない

アグニ……
自分が何者かを自分では知ることができません。
雪は他人から見られたときはじめて白いとわかり
触れられて初めて冷たくうっとうしいとわかります。

火は他人から見られたときはじめて赤いとわかり、
触れられて初めて暖かく危険だとわかります。アグニもみんなに見られ、触れられて、その時に自分が何者かを知るのです。

いくらアグニが自分のことを薪や豚や鶏だと思おうと、私たちからすればアグニは薪でも豚でもない。アグニを見ると元気をもらい、触れると優しさを感じます。自分が何者かは他人に評価され始めてわかるのです。

ファイアパンチ 7 (ジャンプコミックスDIGITAL)

ファイアパンチ 7 (ジャンプコミックスDIGITAL)


現時点ではチェンソーマンよりこっちの作品の方が好き。

チェンソーマンでは、誰も彼もが主人公を殺して心臓を奪おうとしてくるのに、ファイアパンチはその逆でみんなが主人公に生きろと呼びかけてくれるのも対照的で面白い。

当時から色々と話題になってたけど、改めてチェンソーマンと合わせて読むのおすすめです