- 作者:やまさき 拓味
- 発売日: 2017/05/26
- メディア: Kindle版
この巻は1巻まるまる使ってアメリカのケンタッキー州の各牧場を訪れてアメリカの名馬たちを見る取材回になっている。
そして、一番最後にブリーダーズカップを観戦している。
これは競馬ファンからしたらうらやましくて仕方ないやつやろうなあ……。
ケンタッキー州のクレイボーンファームへ行き、ミスタープロスペクターの墓を訪問
クレイボーンファームの面積は東京ドーム264個分。その広い土地で600頭を飼育。
ケンタッキー州は「ブルーグラス・ステート」と呼ばれ良質の芝が映えるらしい。
キングマンボ、シーキングザゴールドをはじめ名馬たちの親として君臨。
30歳で死んだ最後の年も47頭に種付けを行っていた。
同じくクレイボーンファームでシーキングザゴールド・DANZIG・マジェスティックライトを見る
当時はこれらの馬が存命していた。
・シーキングザゴールド(シーキングザパールの父)
・DANZIG(ビコーペガサス・ヤマニンパラダイスの父)
・DEVIL'S BAG(タイキシャトルの父)
・マジェスティックライト(ニシノフラワーの父)
ウォールマックファームに移動しNUREYEV(ヌレイエフ)に出会う
ヌレイエフは種牡馬時代に大事故を起こしたことがある。1987年5月、放牧先で牧柵を蹴ってしまい右後肢を粉砕骨折する大事故を起こした。普通なら安楽死処分になりかねない重大なケガであったが、当時の最先端医療を駆使して奇跡的に回復し、手術から7か月後には牧場に戻って翌年から種牡馬復帰を果たした。
当時のアメリカと日本の間における医療技術の差を見せつけるエピソード。
産駒として、日本では安田記念を勝利したブラックホークくらいしか知られていないが
この馬から凱旋門賞馬パントレセレブルなどが生まれており、世界レベルでは大種牡馬として知られている。
スリーチムニーズファームに移動し、シアトルスルーに出会う
アメリカにおける無敗の三冠馬といえばこの馬らしい。
種牡馬としても優秀だった。
日本で走った産駒としては「タイキブリザード」「ダンツシアトル」「マチカネキンノホシ」などがいる。
特にタイキブリザードは当時は最強の血統と言われていた。
レーンズエンド・ファームにてエルコンドルパサーの父・キングマンボと出会う
エリザベス女王の友人が牧場主。そのほかにもエービーインディ、サマースコールなどが繋養。
キングマンボは言わずと知れたの親。
・エルコンドルパサー
・キングカメハメハ
エルコンドルパサーは早くに亡くなってしまったが、キングカメハメハは国内で種牡馬として大活躍した。
ゲインズボロー・ファームにてラムタラの母・スノーブライドの遺影を見る
ゴドルフィンのマクトゥーム殿下直営の牧場。設備としては最強の施設。
いろんな競馬マンガでも必ず出てくるオイルマネーの強大さを思い知らされる設備だった。
ケンタッキー・ホースパークを訪れてシガーと出会う。
「1990年代アメリカ最強馬」の評価がつけられている馬。
4歳時から6歳時にかけて、北アメリカ連勝記録のタイ記録となる16連勝を記録した。5歳時に記録した年間無敗の10戦10勝は、マンノウォーが1920年に記録した11戦11勝に次ぐ当時第2位の記録であった。賞金面では、5歳時に年間4,819,800ドルの賞金を獲得してサンデーサイレンスの持つ北アメリカの年間獲得賞金記録を更新し、6歳時に前年の自身の記録を更新する年間4,910,000ドルの賞金を獲得した
引退後は種牡馬入りした。種牡馬入りの際は日本からも3000万ドルでの購入のオファーがあったとされるが、結局はクールモアにて2500万ドル(当時のレートで約30億円)のシンジケートが組まれた。だが無精子症(精子の形状に異常があり、どの精子も全く動かなかったという)であることが判明し、治療もむなしくついに1頭の産駒も残さず種牡馬を引退した。その後は1999年からケンタッキー・ホース・パークで功労馬として余生を送る。
最後にブリーダーズカップ観戦
1日でG1レースを8回連続で行うというとんでもないイベント。
わざわざイベントのためにファントムを飛ばすド派手な演出がある。
この年は、デットーリが騎乗するデイラミが優勝。(デイラミはJCにも来たが撃沈した)
最後に各馬の写真を。