の続き。
- たぬかなさんが言ってることは真理だとは思う、たぬかなさんにとっては
- コミュニケーションは、「メリット>コスト」の状態=損益分岐点がプラスの状態に持っていけるかどうかで全く受け止め方が変わる
- コミュニケーションは、得意な人は期待値が非常に高いから言われなくても積極的にどんどんやる。一方で苦手な人は期待値が低いから、コストが高いと感じると面倒くさがりがち
- というわけで結論っぽいもの =コミュ障はどうにもならないが、コミュ弱者から抜け出すことは工夫すれば不可能ではない
- おまけ:さすがに新人歓迎会の場合はさすがに99%の割合で「参加しないよりは参加したほうがマシ」なケースが多いが、それでも私は会社飲み会に参加することを得とは思えないという話
- おまけ2:相手の意見が気に入らない時に愚痴をいうだけというはてブ民的なメンタルについて思うこと
たぬかなさんが言ってることは真理だとは思う、たぬかなさんにとっては
まぁ私はこういう考え方なかなかできないんだけれどね。
私はこの人が言ってることはが理解できないわけではない。
だから「だるいんで帰ります」とは言わない。ちゃんと参加はする。
でも、私はたぬかなさんがいうほど、この行為にアドバンテージがあると考えてない。
実際に参加してみるとこの人が言ってるほど楽にはならない。
どちらかというと参加して損したと感じることが多い。
なぜこれほどまでに違うのか。
ここで「コミュニケーションという行為に感じる期待値が人によって違う」という話がしたい
コミュニケーションは、「メリット>コスト」の状態=損益分岐点がプラスの状態に持っていけるかどうかで全く受け止め方が変わる
たぬかなさんが「参加するだけでこんなに得なのになんで参加しない?」とまでポジティブにとらえているのはたぬかなさんがコミュ力つよつよだから。
ここでいうコミュ力がつよつよというのは話術レベルがとかそういうことではない。参加シた結果、メリットが得られるということだ。
たぬかなさんはYouTube見れば分かる通り話がうまい。それ以上にとりあえず飲み会に参加したらプラスの何かをもぎ取って買えるぞという強い意志がある。
能力がある人が、意志を持って取り組めばそりゃプラスの成果を持ち帰れる。
プラスの成果を持ち帰れるなら、そりゃ言われなくても自ら進んで参加するだろう。
一方私が消極的なのはコミュ力よわよわだからだ。
とりあえず参加するだけだと、支払うコストのほうがデカくなりがちだしなにより私は「せっかく参加するのだからプラスのなにかをもぎ取ろう」というほどの意志を持たない。
そうやって消極的になるとマイナスの成果しか持ち帰れない。
マイナスの成果しか持ち帰れないことを何度か繰り返すと、そりゃあまり前向きになれないだろう。
ここにコミュニケーションに関するう一番大事なポイントがあると思う。
コミュニケーションは、得意な人は期待値が非常に高いから言われなくても積極的にどんどんやる。一方で苦手な人は期待値が低いから、コストが高いと感じると面倒くさがりがち
勉強でもなんでもそうだ。
正しいかどうかはともかく、人間は期待値がプラスのものだったら言われなくてもやる気が出る。
だから、コミュニケーションが「楽しい」と思える人間は、どんどんチャレンジして試行回数を増やしていくことができる。
その過程で、慣れてくるとすこしずつ技術もついて、ますます期待値がプラスになる。
恐怖感はますます薄れていって、どんどんプラスを積み重ねていく。
ひたすら正の循環が起きる。
極まってくると「コミュニケーションってこんなにお得なのに、どうしてみんなやらないの?」って感じになってくるかもしれない。
一方で、コミュ弱者というのは、コミュニケーションそのものの期待値がマイナス状態の人間だ。
コミュ弱者=コミュ障ではない。
コミュ障であっても周りの環境に恵まれれば、相性次第で期待値はプラスにできる。
コミュニケーション自体が苦手でも本人に他の人にはない強みがあったり、愛嬌があったりすれば期待値を高めることもできる。
むしろコミュケーション自体は巧みでも、周りと話題が合わなかったり性格が悪かったりして話せば話すほど嫌われたり避けられたりする人もいる。
とにかく、そうやってコミュニケーションそのものがしんどいとかマイナスだと思っているとコミュニケーションを避けるようになる。
そうすると、徐々に技術が退化していく。年を取ったりして魅力が落ちるとマイナスはどんどん大きくなる。
負の循環が起きる。
体重管理と一緒だ。
痩せたいと思ったら太る要素より減る要素強めないといけないように
コミュニケーションだって、うまくなりたかったらうまくなるまえにまず期待値プラスにしないといけない
というわけで結論っぽいもの =コミュ障はどうにもならないが、コミュ弱者から抜け出すことは工夫すれば不可能ではない
コミュニケーションはとにかく繰り返しなので、いちばん大事なのは技術云々じゃなく
まず「自分がコミュニケーションを行って損益分岐点がプラスになる条件を見つけること」なのだと思う。
私はコミュ障だ。
私はガチで他人が聞いたらドン引きされるほどの引き篭もり人間である。
基本的には普通に他人と話するのが怖い人見知りだし、他人とコミュニケーション取ることを面倒くさがって避けがちである。
そうやって人と会話してこなかったからコミュニケーション能力はめちゃくちゃ低い。
TVを見ないしファッションなどにも興味がないオタクなので、話題の幅も非常に狭く、ほとんどの人とはなにも話すことがない。
表面的にはまともそうな人間の皮を被って取り繕うことはできるが、一皮むけば自分から話を切り出すこともできないビビリである。
しかも、ある程度親しくなった人とも長続きしない。
発達障害やリセット癖も相まって「よく人のこころがわからぬ」とか「お前と話ししてると息苦しいよ」とか言われてきた。
そういうのを繰り返してきたから、もう単純にコミュニケーションはマイナスだと思いこんで、ますます他人とのコミュニケーションを避け続けてきた。
というわけで、私は間違いなくコミュ障ではある。
国語力は低くないと思っているが、そういうこととは関係がない。
他人をこわがったりめんどくさがって合わせようとしないという問題が深刻だ。
そのせいで、ほとんどの状況においてはコミュニケーション弱者でもある。
そんなコミュ障まっしぐらな私でも、「特定の条件を満たす限りにおいては」コミュ弱者から脱することができている。
地元を離れて東京に来た時、2年くらい誰とも会話することがなく孤独の中で絶望していたが2022年末くらいからはちゃんと人付き合いを復活させることができた。
去年は15回くらいオフ会に参加したし、毎日やりとりする友達みたいなのもちゃんとできた。
この間自分がコミュ障じゃなくなったわけではない。
情けないながら、ここ数年間で自分自身はあまり成長できてない。
「人と会って話をすると疲れてしまうから1週間に1回が限界」みたいなところは全く克服できていない。
ただ、損益分岐点がプラスになるような条件は意識できるようになってきたと思う。
最低限クリアしなければいけない条件を把握してかつ自分の取り柄みたいなものを気に入ってくれそうなクラスタにアタックしていった。
ちゃんとコミュニケーションをすることがプラスになると感じられる条件を満たしていればビビリの私でもそこまで怖がらなくてよいということがわかった。
まぁ、気を抜くとすぐやらかしちゃって駄目になるんだろうという恐怖はあるけれどいまのところはなんとかなってるかなと思う。