「葬送のフリーレン」ユーベルのコスプレがまるで実写版 「ジト目が完璧」と27万いいねの好評この画像に批判的な人を腐してる人、バーチューシグナリングしてるようにしか見えない。
2024/04/09 20:21
「バーチュー・シグナリング」という言葉はSNSをやるうえで必須教養の1つとして考えてもいいくらいだと思う。特に「トーンポリシング」とは必ず対置するようにしたい
・ブコメが新しい技術を受け入れられない老人の溜まり場だな。ダグラス・アダムスの法則の通りで草。あと去年のコミケで見たけど加工しなくても雰囲気は近い。加工しすぎは反対だがこれは許容内だろ。美人を舐め過ぎ。
・コスプレって見る側はキャラが三次元に降臨する感覚を求めているのに対して、やる側は二次元にダイブしてキャラになりきる感覚を求めているとこあって、そのへんで齟齬が生まれている気がする。
これほんまそう思う。
いい年したおっさんたちが、サンタクロースがパパだったと知ったばかりの子供みたいな幼稚な反応をしててドン引きした。
もしかしてこの人たち、雑誌のグラビアアイドルが一切加工されてないとか思ってるんだろうか。「重版出来」の4巻よめ。
「美徳シグナリング(=私道徳意識高い系ですよアピール、ポリコレ至上主義アピール)」をしたがる欲求には自覚的であった方が良い。
これは自己催眠みたいなもんだから一度ハマると自覚しにくいし、「コア・ビリーフ(偏った信念)」になってなにごとについてもキレちらかす厄介な人間になる
virtue signaling とは、自分は「virtue」(美徳)にあふれた道徳的に良い人間であるというアピールを、主にソーシャルメディアなどですることです。日本語では、「 美徳シグナリング 」などと呼ばれているようです。
平たく言うと、「良い人アピール」といった感じでしょうか。 ただし 単なる「良い人」というより、例えば環境問題や社会的な問題に関心が高いようにアピールするのが、「 美徳シグナリング 」です。
被害者シグナリングを示す頻度が高い人ほど、周囲を気にかけ周りを思いやっているという態度を表す「美徳シグナリング」を示す可能性が高く、さらにそういった人々は自分の道徳心の向上をあまり重要視しなかったことがわかりました。これはつまり、自分の苦しみを頻繁に周りにアピールする人は「いい人に見られる」ことばかりを気にかけ、「実際にいい人になる」ことにはあまり興味を示さない
全ての人が人生の中で不利益や害を被ることがありますが、多くの人は自分自身で、あるいは周囲の人々の助けを借りて乗り越えます。しかし一部の人々は第三者からの同情や救済を求める立場に魅力を感じ、少しずつ被害を利用していきます。
訴えが真実かどうかを判断する材料を持ち合わせていない第三者に向けることは、間違いなく戦略的で不道徳なものであるとクラーク氏は述べています。
はてブやってたらいくらでも心当たりありますよね。
「その場その場ではいい人にみられたがるような発言をしているが、本人の自分の道徳心はまったく向上しないどころかどんどん悪化していく」
「自分をよく見せることには興味があるけれど、自分自身が良い人間になることにはまったく興味がない」
「それどころか、自分はクズだという自覚は人一倍あるのか、よけいに取り繕おうとし、他人を引きずり下ろすところばかりに全力を費す」
みたいな人の割合がやたらおおいですもんね。
邪悪な人たちは、一般的な意味での苦痛からの逃避者、つまり怠惰な人間というわけではない。それどころか彼らは、ご立派な体面や世間体を獲得し維持するためには人並み以上に努力し、奮闘する傾向がある。
https://www.tyoshiki.com/entry/2017/10/22/150909
彼らに耐えることのできない特殊な苦痛とはただひとつ、自分自身の良心の苦痛、自分自身の罪の深さや不完全性を認識することの苦痛である。
こうすることによって自分は何一つ変わらないまま「被害者意識」を温存しつづけることができると思ってるんでしょうが、「自分がいいひとぶりたい」という浅ましい欲望のために他人を利用するのはダメだと思う。
本来は「ダグラス・アダムスの法則」についても紹介したかったが、すでに記事の文量が多くなってしまったのでこの記事では「美徳シグナリング」の話だけにする。