tumblur的な使い方
・父親の場合、同僚や上司と衝突した日に帰宅すると、いつもより子どもの相手をしなかった。ほとんどの場合、自室にこもってしまった。
・母親の場合は仕事でストレスを感じた日は帰宅してから子どもの相手をいつもよりよりよくすることがわかった。いつもより楽しく子どもの世話をしていた。
ストレスを感じたとき、男性は子育てから遠ざかり、女性は子育てに向かうのである。ということは、産後クライシスで、夫婦間の緊張が高まると、男性はますます子育てから遠ざかり、女性はますます子育てに向かうという作用が働く「女性は人に頼る方法でストレスに対処する傾向が男性より強い」と主張している。これらをおおざっぱにつなげて考えると、、、「産後クライシスのストレスで、女性はますます子育てに向かい、かつ、まわりの人に頼ろうとする。そのとき、夫は、逃走する」という構図だ。
昔はそれで良かった。子育ては夫婦というより、大家族や地域で行っていたから、妻のストレスは解消されやすかった。でも核家族において、女性が頼れるのは夫しかいない。 しかし、産後クライシスの中で、男性が子育てに向かうということは、子育てから逃走したくなる本能に逆らう強い意志をもたなければならない。・・・ということを、決して男性の肩をもつわけではなく、まずは予備知識として知っておいてほしい。
家族システム論的にとらえれば、産後クライシスというような現象は、夫の無神経というような局所的な不都合から生じるものではなく、実はもっと構造的な問題であるといえる。「気付かない夫が悪い」というようなレベルの話に矮小化してしまえば、ますます家族の機能不全が増える。
http://blog.glam.jp/.s/toshimasaota/2013/11/post-27ed-1.html
「産後クライシスは、どうやら、育児や家事をがんばったり、敏感に妻を思いやったりしていれば回避できるものでもない」実は、産後クライシスをこじらせてしまう父親に共通しているのは、妻を「母親」としか見られなくなっていることなのだ。「育児や家事を、やってもやっても認めてもらえない」と嘆く夫は、「母親としての妻を、父親としてサポートする」という意識になってしまっていることが多いのだ。父親としての役割に意識を向けすぎなのだ。まじめすぎるのだ。大切なのは、夫婦が夫婦であることを「当たり前」だと思わず、お互いに、男女として、また1人の人間として、愛し敬い続ける意識を持つことだ。
実際、男女差のみならず、各人ごとに「ストレス対処」の方式って結構違うよね。
ここ相互に理解してないと、夫婦に限らず、組織ってうまく回らんのじゃないかとおもうところある。
私は基本的に自己完結タイプだと思う
私は子供の頃からストレス感じると、引きこもって延々とそのストレスについて
自分の考えをノートに書きなぐり、自分なりに整理して納得することが一番の対処法だった。
親を見ていて、他人にそのストレスをぶつけたり愚痴をいうのは、めっちゃ醜い行為だと感じていたから
それは絶対にやリたくないと思ってた。
イラッとしてる人がいたら、その人をそっとしておこう、自分で対処してもらおう、と思って離れてた。
自分の基準からすれば、そういう行為が誠実だと思ってた。
昔から
「何か悩みごとがあるなら話して。話せば楽になるよ」
→「話せないことがあるの?それってなにかやましいことなんでしょう」
→「話してくれないならもうあんたなんて知らない」
のコンボについて辟易してた。
「悩み事があるからこそそっとしておいて欲しい。他人に話すなんてみっともない」とずっと思ってたし
あと以前の青二才の人みたいに思ったことを何でもかんでも加工せず垂れ流しにする人種が
死ぬほど不誠実だと感じてきました。(最近ブログでは気を使えるようになってきたと思ってます)
途中からこれがめんどくさくなって、
悩んでる様子を外に見せるのもやめようと意識するようになった。
そういえば、あまり他人に悩み打ち明けたりはしないからか、
前職場の女性から「よしきさんあんまり悩み事とかなさそうでいいですね」とか言われたことある。
違うから。
ストレスは人一倍感じやすいし怒りやすいから。(多分上のように考えてるのもひとつの原因)
他人に見せる勇気がないだけだから。 要は勇気がないだけだから。
自分では誠実だと思っていても、タイプの違う人から見たら、自分の態度はものすごく不誠実なのかも
しかし、上記のように、タイプが違って
「人に頼る方法でストレスに対処する」ことが基本になっている人からしたら
私の態度が一番不誠実に映っていた可能性は高いと思う。
その人は、誠意を持って、こちらのストレスを軽減させようとしてくれてたのかもしれないのに
タイプの違いの説明もせずに、それを頭ごなしに否定すれば、私の態度は
「お前なんかじゃ俺の力になれないよ」「お前にだけは絶対に教えてやんねー!くそして寝ろ!」
みたいなメッセージとして受け取られていたかもしれない。
悩み事を通じて人と親しくなる人も結構いるというので、そこを一切示さないとなると
「あの人何考えてんのかわからん不気味」とか思われてたのかもしれない。
何より問題なのが、相手が悩み事を感じた時に、
相手が「構って欲しい」タイプだったとしたら、私の態度は完全に「放置」である。
「私はあなたに何の価値も感じていません」「ざまあ。NDK?NDK?」
というメッセージを受け取られていた可能性がある。
まぁわかっていたところで、私は他人の悩みや愚痴に付き合うつもりなど全くないし、
自分の悩みを打ち明けるつもりは無いのだけれど。
だって、自分の悩みなんて、他人からみたらほんっとにどうでもいいことだとわかってるし、
そのどうでもいいことでも自分にとっては大事なので、
価値観が違う他人につたえて「どうでもいい」って言われたら余計ストレスたまるだけだし。
それでも、「私はこういう風に考えてるから、もしズレた応対していたらごめんなさい」
ということはうまいこと伝えられたら、
少しは対人関係におけるトラブルが減ってくれたりしないだろうか。
基本自己完結型だとしても、やっぱり側に人がいてくれるだけで嬉しい時もある
と、こじらせた事を書いた後でちょっとだけ素直になると、
何も言ってくれなくてもいいけど、
だれかそこに人がいてくれるというそれだけでもうれしい時はあります。
私が「基本的には自分一人で対処したいと思う」タイプであったとしても
やはり、人がいてくれるというのはありがたいと思うことも有ります。
つい最近、自分一人ではどーにも対処しようがないことがあって、
ネットもやめて一人ひきこもろうかな、と思ったこともあったのですが、
なんだかんだいって、今でもこうやってネット続けてるあたり、
自分でもよくわからないのですが、
やはりどこかしら他人の存在を求めてるところはあると思います。
自分が、どういう人を、どのように求めてるのか、は
このブログでは書かないけれど、自分なりにちゃんと理解しておきたいです。