頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

最近のこのブログのお気に入りは「アークナイツ」です
アークナイツ
kindleセールの紹介
新NISA解説ブログ
発達障害

何かを「やる」時は綺麗事を言え、なにかを「やらない」時は絶対に綺麗事をいうな・・・という話

この記事で紹介したことがある課長さんからいわれたことがある話。

www.tyoshiki.com

・なにかを「やる時に」には遠慮なく綺麗事を言え。いいたくないだろうけれどなんか言え。
・なにかを「やらない時に」には綺麗事を言いたくなるだろうけど絶対に言うな。

ハンターハンターの「誓約」と「制約」みたいな話?

「とにかくなんかやることになったら、その時に自分をなんらかの鎖で縛りなさい」

ということであれば、ハンターハンターの「誓約」と「制約」みたいなはなしになりそうだ。



確かに自分を縛る時に特に綺麗事は効果的だろう。

私は欲望に包まれた弱い人間であるし、常に心に「善」を抱き続けて行動できるような人間ではない。
だからこそ、根っこにある自分の「素志」を常に行動に結びつけるために
自分自身を外部から縛り付ける「鎖」が必要となるのである。
それが私の「綺麗事」を人に伝えるという行為のもつ大きな意味なのである。

なぜかというと、「普通の人にとっては」綺麗事をいうのはすごいリスクがあるからだ。

ただやりたいからやるだけの場合、ぶっちゃけ、たとえ思ったとおりに出来なくても周りはそんなに気にしない。

しかし、綺麗事を口にしたうえで実行すらしなかった人間は一発で信頼に値しないと言われてしまうことになる綺麗事を口にしても数日たったらすぐに忘れてしまえるような鳥頭&恥知らずな人だったらいくら綺麗事を口にしても意味はないかもしれないが、普通の感覚としては、綺麗事をくちにしてしまったらやらざるを得なくなるだろう。



課長が言いたかったのはそっちではない


しかし、課長が言いたかったのは「綺麗事をいえばやる気が出るよ」ではない。



やる時に綺麗事をいうのは必ずしもやらなくてよい。

でも綺麗事はやる時にこそいうものだという意識が無いと、やらない時に綺麗事を言ってしまうから気をつけろと。

綺麗事をやらない時に使うと、もう意地でも動かなくなる。呪いのようになる。だからそれだけは避けろということだった。




「やらない時に綺麗事を言うな」のほうが大事だったらしい。





言われてみると納得がいく。



何かをやる理由は1つでもあればいい。



しかしなにかをやらない理由は無数に考えつく。

その中でも綺麗事は無駄に説得力があるから使いたくなる。

しかも、やらないことは実行にほとんど労力が要らない。

つまり本当に口だけでいい。

しかも最初は「やらないだけ」のことに綺麗事を加えたことで褒められることだってある。

なにかに反対する時なんかもそうだ。

「反対するために◯◯する」というのであれば別だが

ただ反対するだけだったら口だけでいい。超楽ちんだ。

ただ反対する時に綺麗事を言うことを許してしまうとどうなるか・・・。




「なにもせずに綺麗事だけいう」ことが癖になってしまう。
「綺麗事をいいながら反対するだけ」が癖になってしまう。
そして、何もしてないのになんか偉そうな人間になってしまうのだ!
はてブ民みたいに!はてブ民みたいに!


「こういうやつは、めちゃくちゃ感じが悪いよな。お前はそうなるなよ。そうなったらおしまいだぞ」と言われた。







しかし、最初「はてブ民のことだ」とひとごとのように思ってたけど
エイヤで自分のブログを見返してみたら
自分もなにかを「やらない」時にきれいごとを言ってる割合が多かった。





ダメじゃん・・・/(^o^)\