頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「なんで?」と問うことがパワハラになるのはどういう状況か。「権力の誇示」だけでなく「答えが1つだけだと思っていてそれを押し付けようとしている場合」にも気をつけたい

軽い気持ちで書き始めたらクソ長くなったので読みたい人だけ読んで・・・。


https://www.youtube.com/watch?v=7vmAwd5oJZM
「なんで後ろに下がりなら当身を出すという発想になったんですか?=このキャラはクソ!ゲーム作った開発者でてこいや!」となるように、基本的に「なんで?」というのは「◯◯はクソ!」に翻訳できるよ!(豆知識)




togetter.com

このまとめ

1:問題があった時に責める態度かどうか
2:そもそも「なんで?」という質問のやりかたはアリかナシか
3:部下との心の壁や部下の警戒感を解くにはどうすればいいのか

と3つの問題が混じっているのでまずちゃんと切り分けたほうがいいと思う。


こういう複数の問題が混じってるやつって
いきなり一気に解決しようとしてもだいたいどこかにウェイトが偏った意見になる。
実際、反応はみんなバラバラだ。
反応の仕方で「そうか、お前はそこを気にする人間なんだね」ってのがバレてしまうのも怖い。

https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im11271994

私が興味があるのは2番め。


「なんで?」と問うことがNGになるのはどういう状況か

これについて考えるべき論点はこちらの記事に整理されている

president.jp

「なんで?」の答えが1つしかないと思って質問するのはNG。「なんで?」というオープンクエスチョンをする場合、自分が求めている答え以外の答えを許容しなければいけない

「ドライバーが赤信号で自動車を止めるのはなぜか」という問いに対し、それぞれの立場でどのような回答が与えられるか

(1)近接要因:「特定の視覚的刺激が受容され、中枢神経系で処理され、特定の反応を引き起こす(ギアをシフトし、ブレーキをかける)」から。
(2)究極要因:「赤信号で止まらないドライバーは事故を起こしやすく、少なくとも警官に捕まりやすい」から。
(3)発達要因:「ドライバーは本やテレビや指導員からこの規則を習った」から。
(4)系統進化要因:「交差点で交通を止めるのに赤信号が多くの国で使われるようになった」から。

どの行動にも「なぜ」に対する説明の方法は複数通りあり、どれも適切である。言い換えれば、説明の地平を事前に確認しておかなければ答えようがないし、回答を一意に定めることは原理的に不可能である

実際の研究活動を見ていると、さまざまな回答を与えうることは明らかである。
・「個人的に興味がわいたから」(私的動機)
・「たまたま適切な調査対象に出会えたから」(環境要因)
・「研究を通じて社会貢献できるから」(対外的有用性)
・「研究室の指導教員の分野だったから」(研究チームの来歴)
・「本を読んでいたら知識が蓄積されたから」(個人の来歴)など


「なぜその研究をするのか」に対する説明の仕方は何通りも存在する。
いずれも「なぜ」に対する適切な回答であり、唯一の回答を選定することはできず、相互に独立した説明の方法となっている。

このような状況において、もし単一の原理での説明を唯一解と指定する認識の姿勢があったならば、それは、特定の世界観と説明の流儀を一方的に選定し、他者に強要している事態に他ならない。

このように「なんで?」という問いをする場合、立場によって答えが変わるし、様々な答えがありうつことを許容しなければいけない。

つまり、あらかじめ自分の中で答えが決まっているのに「なんで?」と質問するのは不適切なんですね。

みんなそれが分かっているのに、入社する前の面談のときから「相手が求めている好ましい答え」以外は答えてはいけないと調教され、いつのまにかそれが当然だと教え込まれているからです。

我々が「なんで?」を嫌うのは、そういう「自分の意志に反して決まった答えを押し付けられている」上に「自分の意志とは違うのに、自分の意志でそう答えたという形を取らされる」という二重のおしつけの積み重ねに対して鬱憤が溜まっているからでしょうね

そう考えると、「なんで?」という問が機能するためには、「事前に用意した答えはない」「どんな答えでも否定しない」ということを示す必要があるのがわかりますね。


基本的に「なんで?」と問うことは権力の誇示につながりやすいので、それに自覚的になっておきたい

「なんで?」と執拗に問い、自身の思考様式に合わない他者を「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と罵倒することは
自分が求める説明の地平に服従することを相手に求め、自らの知的優位性と権力を誇示することである。さらに、その傲慢な姿に自ら気付いていないということでもある。

本人には何ら悪意がないこともしばしばである。しかし、自分が設定した説明の地平を、そうと気付かないままに相手に押し付け、さらにはそのように知的な権力を振るっているという自画像にも気付いていないことが多い。

権力というのは、現実における地位の問題だけではなく、「知的な権力」という概念も存在するという話は気をつけておきたい。

もちろん実際に知識の差や思考力の差は歴然として存在しているので、賢い側が卑屈になれとかそういう話ではない。

いつまでも「マンスプレイニングが~」っていってる人はバカだと思っています。

www.tyoshiki.com

ただ、自分の方が知的で、答えも分かってて、その答えを教えてやる、くらいに思ってる人は「なんで?」という問いかけをする資格はないってことですね。

「説明と理解の決定権」を独占しようとしている場合にも「なんで?」を使ってはいけないことに気をつけよう

チコちゃんによって否定されていたのは、「回答者における知識・情報の不足」のみではない。

回答者側がそなえているであろう複数の説明の地平、思考様式、世界観それら自体が否定されていた。
私たちは、想定されうる思考様式の複数性を否認されることに対して、強い虚しさと不愉快さを覚えるのである。

「なぜ」という問いを連発し、すべての事象を特定の説明の地平に還元することを要求し、それ以外をすべて誤答とする「説明と理解の決定権の独占の姿勢」こそを問うている。

要するに何を言っても自分の解釈で結論を出せると思ってる人はNGです。

いわゆる「ダブスタ」「他人に厳しく自分に甘い」と批判されている態度をさらに突き詰めたものです。
自分が嫌いな党派に対してはひたすら厳しい論理を適用するのに対して、その論理を自分には適用しない。
都合の悪いことは全部自己解釈で問題ないことにしてしまう。



じゃあこれらを踏まえて私はどうしてるかという話

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