の続き。
上の記事について「毛づくろい的コミュニケーションとそれ以外」「コミュとトーク」という補助線を用意してみたよ。
そうすると前の記事はサクッと整理できそうだ。
一行でいうと
「真面目なトークしてるときにコミュやるな。コミュやってるときに真面目なトークやるな」
ただこれだけの話である。
コミュしか出来ない人がトークを毛嫌いするのはダメだし、トークやってる時に毛づくろいコミュを求めるやつもダメです。
以前にYouTubeで真面目な話をしてる時でも毛づくろいコミュ的なコメントする人いたのでたしなめたことがありますが、その時にこの話ができればすんなり理解してもらえたかな・・・あの時はうまく説明できなくてごめんね。
我々は人間だから自分たちがサルであるかのような話はやめよう
このtogetterのまとめは、まるでサルの話だ。「毛づくろい的コミュニケーション」しか知らない女サルが、男サルに対してマウントを取ってるような話だ。
「うんうんそうだね。毛づくろい的なコミュニケーション(コミュ)も大切だし、情報伝達や問題解決のためのコミュニケーション(トーク)も大切だね。どっちの存在も大事だと認めたうえで、今はコミュとトークのどちらが求められているのを確認して最適なコミュニケーションを行えることが大事だよね」
「人間なのにコミュしかできないのはサル並と言われても仕方ないし、コミュが必要な時にトークしかできないならロボットでしか無い。大事なのはTPOを考えて切り替えができることだよね」
「その際は話を聞いてもらう側が、どちらを求めているのか相手に明示するべきだし、それを明示せずに相手が違う反応をしたらキレるのはダメだよね」
「人間はコミュもトークも必要なのだから、どっちも大切にしていきたいね。トークになると逃げる女が、コミュができない男を笑い者にするとか、コミュが苦手なコミュ障男が、トークになるとイキるのとかは違うよね」
「コミュが苦手でもトークができる人もいるし、トークが苦手だけどコミュはできる人もいるし、お互いの強みを尊重できるといいよね。自分の得意なテリトリーだけで他人を評価するのはやめようね」
「意味のない会話と意味のある会話,両方のハイブリッドこそが,現代の社会生活に絶えず要求されるコミュニケーション・スキルです.くだらないワイドショウと真剣な意思の疎通,両方大事.毛繕いをコミュニケーションに変えてきた人間は,そういう無意味と意味のハイブリッドを生きているんですね」
人間の会話の起源は、サルの毛づくろいだという説がある。(ロビン・ダンバー 1998 「ことばの起源―猿の毛づくろい、人のゴシップ」青土社)「おはよう、いい天気ですね。」「どう最近元気」などという会話は、情報の交換というよりも情緒的つながりの確認としての毛づくろい的会話である。スポーツや人のうわさ話なども、情報の伝達よりも、共通の話題による毛づくろい的機能のほうに重点がある。しかし、文字と文書によるコミュニケーションがおおきな役割をはたす現代社会は毛づくろい的会話だけではなりたたない。もう一方で、明確な事実と意見の伝達も不可欠である。
https://www2.itc.kansai-u.ac.jp/~ame/word/speech.html
言葉によるコミュニケーションでもっとも大切なのは、だれにたいして、何の目的でコミュニケーションしているかを明確にして、それにふさわしいスタイルでの会話をおこなうことである。毛づくろいすべきところで論述したり、情報をはっきりつたえるべきところでうーうー、わんわんいったら、コミュニケーションはなりたたない。TPOをふまえた会話ができないひとは、コミュニケーション能力のとぼしいひとである。
ちゃんとこの「コミュ力」と「トーク力」を分けて説明してくれてる本は読んでみると面白そうだ。
おまけ:中川家の寄席2024 「OLとOLの休憩時間」
・脈絡のない話題のリレーが延々と続くのがリアルに表現されてて、よ〜く観察してるなーって感心しました。ホント、こんな感じなんだよね 笑
・お互いの言いたいことだけ言って相手の言ってることはなんも響いてない感じすき
・話しがコロコロ変わるし、褒め合うし、女同士の会話こんな感じ