何を言いたいのかわからないまま書いたので何を言いたいのか分からない記事になりました。
多分だけど、これ「お前が言うな」って言われそうな事を書いてると思う。
「以降この者を人間扱いせず」
最近、変わってる人の扱いについて、「コミュニケーションを諦めるべき」みたいな声をよく聞く。
もともとはてなでは、他にも「童貞力」だの「こじらせ」だのいろんなかたちで自分や相手にレッテルを張って、切断処理を行いつつ、自分から相手に対する攻撃行為を正当化し、相手の攻撃を無力化するみたいな、すげえやかましいやりとり(マウンティング)が頻繁に行われていたけれど、最近はなんかマウンティングと呼ぶには一線を越えちゃった感じの、絶対的な断絶みたいなのを感じる反応がちらほら。
たとえば
ある人に対しては「発達障害だからバカなことを言っててもしかたない」とか「病人だからそっとしておけ」という感じ。別の人に対して「脳的に抽象的な話が出来ないんだから放置するしか無い」という感じの声が上がるようになってきてる。
以前はこういう感じで「~脳の恐怖(by logicmaster)」みたいな感じの言葉を人に投げかけるのは、はてな的にはNGだと思ってたんだけどなァ。いつから流れ変わったんだろうか。
こういうのもあった。検索しにくいよう少し改変しとく。
これで通じるような相手ならもう理解してる。
「お前はバカなんだからもう黙れ」ぐらい直球で言ったとしてもあの手合はポジティブ解釈してスルーするだろうよ。
(ここまで話が通じない奴となると)コンテンツ扱いしたところで心が傷まないわけだけれど
もう、「同じ人として思うな」のレベルで切断処理が実行されている気がする。
なんというかそれは、「以降この者を人間扱いせず」というニュアンスで「近衛宣言」を彷彿とさせるし、これを善意で言ってる人がいるとすると、「どうせ暇人や無法者がそいつの相手をするから、俺達は直接手を下さず、キレイなポジションを取りたい」て感じの話とも受け取れる。もしそうなら「美しい国と無法者の華麗なデュエット」を思い出す。
そうやって切り捨てたり、他の人間に委ねるってだけでいいんかな、と。
かといって、この人達について、「まともな」コミュニケーションを望むことが困難だと思うし、自分がそのコストを払い続けるのはムリだなとも思うわけで、どないせえと。
(……というか、「まともな会話」とか「まともな人」って、自分の感覚に準拠しすぎてマジックワードすぎてダメだな)
「話が通じない人」「会話をするつもりがない人」「(自分から見て)まともじゃない奴」をどのように扱えばよいのか
確かに、自分が好きなことを言うだけ言って、相手や周囲からの反応を拒否するという態度が露骨だったりする場合、あるいは、そもそも会話が成り立たない、という場合、その人はどう扱われることになるのだろう。
「あいつはもうだめだ。放っておけ。相手するな。スルー推奨。反応したら負け」になるか
「迷惑をかけない限り、好きにすればいい」になるのか。
「あいつは会話できないできないやつだ。コンテンツ扱いしても問題はない。
むしろコンテンツ扱いして、いじってやることでこの村での立ち位置を与えてやろう」
となるのか。「迷惑をかけない限り好きにすればいい」などという言い分が差別的である、なんてことは道徳的にはよくわかっている。じゃあ、そういう人は、どうすればいいと考えているのか。
他人で、距離をとれるならそれでもいいけれど、身内だったりして離れられない場合、どうすればいいのか。例えば、自分の子が発達障害や知能障害などで「まともじゃない」場合にどうすればよいのか。
①「手に負えないから、自分の手元から話して専門家に任せる」べきなのか。
②「専門家の手助けを借りながらも、なんとか家族として暮らしていく」べきなのか。
専門家の手を借りられない人は、
③家庭の中で「世の中に迷惑をかけないように」躾けるのか。
④家庭の中で「世の中で生きていけるように」訓練・教育をするのか。
決まった答えはなくて、簡単な問題では無いと思う。かなり難しい話だ。基本的に本人がどういう風に社会で生きていきたいかと、さらに社会が受け入れるラインを合わせて考えた後、それに対して、親がどこまでしてあげられるかを考えて模索することになるのだと思うが、それが、完璧に出来なかったからといって、親の落ち度を責めることは難しそうだ。
ここで特にオチなく突然の記事終了。
参考① 近衛宣言
トラウトマン工作に基づいた和平案提示に対し、蒋介石率いる国民政府が応じないことを原因として、交渉打ち切りの声明を発表した。近衛は声明の中で「国民政府を対手とせず」と述べ、同時に川越茂駐華大使に帰国命令を発した。これに対し国民政府側も許世英駐日大使の本国召還を決定した(1月20日に帰国)。これにより両国間の外交関係は断絶、日本政府は国民政府との話し合いを自ら放棄し、戦争終結の手がかりを失うことになった
近衛は1938年(昭和13年)11月3日に再度声明を発表した(東亜新秩序建設に関する声明)。近衛は「国民政府といえども新秩序の建設に来たり参ずるにおいては、あえてこれを拒否するものに非ず」と述べ、前回の「国民政府を対手とせず」の発言を修正した。
近衛は、1938年(昭和13年)12月22日に対中国和平における3つの方針(善隣友好、共同防共、経済提携)を示した。
汪は撤兵の約束を反故にされたことに衝撃を受けたものの、この声明が日本との和平への道を開いたものと受け止め、滞在先のハノイから重慶の国民政府に向けて和平解決を要請する電報を送ったが、国民政府側はこの提案に反対し、汪から全ての職務と党籍を剥奪した。
第三次近衛声明の2週間後、内閣総辞職し、対中交渉は平沼内閣に受け継がれた。
「和平工作」を阻んだもの
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12558777
帝国政府は南京攻略後なほ支那国民政府の反省に最後の機会を与ふるため今日におよべり、然るに国民政府は帝国の真意を解せず慢りに抗戦を策し内民人塗炭の苦みを察せず外東亜全局の和平を顧るところなし、 仍て帝国政府は自後国民政府を相手とせず帝国と真に提携するに足る新興支那政権の成立を期待し是と両国国交を調整し更生新支那の建設に協力せんとす
参考② 美しい国と無法者の華麗なデュエット
ttp://d.hatena.ne.jp/toled/20070726/1185459828