過去記事リターンズ。
Amazon.co.jp: きけ小人物よ! (1970年) (著作集〈3〉): W.ライヒ, 片桐 ユズル: 本
この作品の著者であるライヒさんは、精神分析から飛び出していって最後には疑似科学系(オルゴン理論)の世界に行っちゃった人です。その人生も学説もすべてがむちゃくちゃです。それでも、なんだかあまりにもぶっ飛びすぎていて、ここまでやられるとひたすらに愉快な気持ちになれます。よく考えたらこの頃から私は「こういうもの(一部の人に伝わるといいなー)」が好きだったのかも知れません。
(Wikipediaより)
13歳のとき母親が家庭教師と寝ているところをライヒが父親に密告し母親が自殺。17歳の時に父親が自殺同然の死に方をする。法学部に入学するが、その後ウィーン大学医学部に入学しなおした。学生時代から精神分析について学び、敬愛する同じユダヤ系のジークムント・フロイトから指導を受けた。フロイト派の精神分析家として活動し、自身の研究を植物神経療法として発展させたが、ライヒ自身はフロイトから嫌われていて、そのため深刻なノイローゼ状態になったこともある。初期フロイトの路線を強調した上で精神分析に政治的な視点をもたらし、精神分析とマルクス主義を結びつけようと試みた。セックス・ポル(性政治学研究所)を主宰し、プロレタリアートの性的欲求不満が政治的萎縮を引き起こすと主張。社会による性的抑圧からの解放を目指したが、その極端な思想や行動は唯物論的な共産党から「非マルクス主義的ゴミ溜め」と批判され除名される
1933年に、集団心理学の見地からナチスに代表されるファシズムを性的抑圧によるノイローゼ患者のサディスティックな表現と分析した『ファシズムの大衆心理』を上梓。これはライヒ自身がユダヤ系ということもあり、ナチス・ドイツ政権から危険視され、翌1934年にはデンマークを経由してノルウェーに亡命。オスロ大学で性科学を研究
「きけ 小人物よ!」は「涼宮ハルヒの憂鬱」的な悩みに対する返答みたいなところがあると思います。
「小学生の、六年生の時。家族みんなで野球を観に行ったのよ球場まで。あたしは野球なんか興味なかったけど、着いて驚いた。見渡す限り人だらけなのよ。野球場 の向こうにいる米粒みたいな人間がびっしり蠢いているの。日本の人間が残らずこの空間に集まっているんじゃないかと思った。「試合が終わって駅まで行く道にも人が溢れていたわ。それを見て私は愕然としたの。こんなにいっぱいの人間がいるように見えて、実はこんなの日本全体で言えばほんの一部にすぎないんだって。私はまた愕然とした。私なんてあの球場にいた人ごみの中の、たった一人でしかなくて、あれだけたくさんに思えた球場の人たちも、実は一掴みでしかないんだってね。それまで私は、自分がどこか特別な人間のように思ってた。家族といるのも楽しかったし、何よりも自分のクラスは世界のどこよりも面白い人間が集まってると思ってたのよ。でも、そうじゃないんだってその時気づいた。私が世界で一番楽しいと思ってるクラスの出来事も、こんなの日本のどの学校でもありふれたものでしかないんだ。日本全国の全ての人間から見たら、普通の出来事でしかない。そう気付いた時、私は急に私の周りの世界が色褪せたみたいに感じた。途端に何もかもがつまらなくなった。そして、世の中にこれだけの人がいたら、その中には普通じゃない面白い人生を送っているひとがいるんだ。そうに違いないと思ったの。それが私じゃないのは何故?小学校を卒業するまで、私はずっとそんなことを考えていた。考えていたら思いついたの。面白いことはまっていてもやってこないんだって。
「papa told me」22巻なんかだと、涼宮ハルヒがいうところの狭い世界ですら己の特別さを感じられない人の悩みが紹介されていて、私の悩みはそういうものであったと思います。「家族」や「狭いコミュニティ」での間のこととはいえ、そこで己の特別さや自己肯定を感じられていたハルヒと私の間には壁があると感じます。しかしライヒからしたらどっちも同じことです。どっちも「小人物」な訳です。
そして、ライヒは「そんな悩みは本来存在しない。蹴飛ばしてしまえ!」と訴えかけるわけです。
あなたは偉大なのだ、おじいさんとしてあなたが孫を膝の上にだきあげてとおいむかしのことを語るときに、あなたがふたしかな未来を孫の信頼する子どもっぽい好奇心のまなこに見るときに。あなたは偉大なのだ、母親としてあなたが生まれたばかりの赤ん坊を眠らせるとき、また、目に涙を浮かべて、心からその子の未来の幸福を願うとき、また年月の一時間ごとに、あなたがこの未来をかれのなかにきずくとき。問題になるのはたったひとつのことだけだ。自分の命をじょうずに幸福に生きるということ。あなたの心の声にしたがいなさい、たとえそれが気のちいさい人たちの道からはずれることであっても。かたくなったり、にがにがしくおもったりしてはいけない。生きることがときにはあなたを苦しめるとしても。
このあたり、どんな自己啓発本でも書いてる話です。「第8の習慣」とかでも内容としては同じ事書いてます。でも、語り口調がものすごく熱いんですね。読んでると、なんだか心がホットになってきます。
当時憂鬱気味だった私は、なにやらこの本を読んでやたらめったら感動したらしく、やたら絶賛しまくったあげくさすがに人にお見せできないよな決意表明などをしていました。なんだこれなんだこれ。 完全に黒歴史ですが、気分が落ち込んでるときはこういう爽快な本を時々読んで、えいや!と気分を奮い立たせるのもいいのかもしれないなーと久々に過去記事読み返して思ったりしました。
参考
ライヒ『きけ 小人物よ!』 - 書評 - SYUGO.COM
ライヒ『キリストの殺害』 - 書評 - SYUGO.COM