ポエム。
自分を大事にするなら、出来る限り自分に関することについては「自分でコントロールできるという感覚」を保持しておいた方がいい。
「こんなに頑張ってるのにあいつは認めてくれない」はかなり危ない。他人のせいにした瞬間に「自己統制感」が失われる。これは「無力感」につながり、「鬱」につながる。
とりあえず「自分のせい」って考えるクセをつけておいたほうがいい。ただこの時の「自分のせい」は「自責」感や「後悔」ではなく、あくまで「自己統制」感でなくてはいけない。
今出来ているかどうかは関係なく、「ここは自分の領分だ」と思える範囲は広くとっておく。
この「自分の領分」は意識しておかないとほんとにどんどん狭くなっていく。一度「他人の領分」になってしまうと、もうそのことについては自分で考えなくなる。他人任せになる。他人任せになったところは努力しなくなる。そうやって無能になって、ついでに鬱になる。
さんざんそういう苦しい状態味わってきたので、これから先は避けたい。
学校でテストの点ばかりに気にしてたり会社に就職したり、人との付き合いが多くなってくると「自己統制」感は著しく制限され、大ダメージを受けることになる。
自分のことはなんでも自分で決定できていたという感覚が失われる。
「物語シリーズ」でいうところの「人間強度が下がる」的なやつだ。
この感覚が失われると、自由も努力も自分のものでなくなってしまう。自由は与えられたものであるかのように感じるようになる。努力も「認めてもらう」ものであるかのように感じるようになる。
でもそれはまずい。それは絶対的に自分のものだ。能力がない時は一時的に預けるにしても、それは絶対に取り返さなくちゃいけない。
努力するときはね誰にも邪魔されず 自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ。 独りで静かで豊かで・・・じゃないけどそれは自分のものでありたい。
それ自体が自分にとって価値があるはずのものだ。他人に対してはその成果だけ見せびらかしてやればいい。
「努力をみとめてください」って言ってる時点でもう心が負けてる。他人に依存してる。その他者依存の度合いが過ぎるから「承認欲求(笑)」とか言われるようになる。
努力は認めてもらうもんじゃなく、自分でその価値を理解してニヤニヤしてればいい。そして、いつか成果を出して相手に認めさせてやるのだ。認めない奴は放っておけばいい。
努力は、義務感からやってはいけない。他人に言われたからやる、のではしんどすぎる。努力をするかしないかを決めるのは自分だ。自分がやりたいから努力するようにしたい。