頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

最近のこのブログのお気に入りは「アークナイツ」です
アークナイツ
kindleセールの紹介
新NISA解説ブログ
発達障害

安易に「なぜAはBなのか」って形で問いかけをしてくるのほんとやめて欲しい

なぜなぜ分析は、危険だ : タイム・コンサルタントの日誌から
1年前の記事の記事なのですが「なぜなぜ分析」が話題になっていますね。

なぜなぜは人ではなくプロセスに帰着しないといけないのは基礎中の基礎中の基礎中の基礎

恐怖の「なぜなぜ分析」IT編 - novtan別館

障害が起きるってことはなにか問題があることを疑うべきだし、改善すべき点は改善すべき。でも、所詮は費用対効果の世界で我々は仕事をしているわけですから、その分岐点を超えてしまうような改善って実質的に意味が無いわけですよ。特に「誰の責任か」を追求するような分析には全く意味が無いと現場としては思います。でもね、上の上の上の方の人が求めている報告って「で、結局誰が悪いの?」だったりするからたちが悪いんです


「なぜなぜ分析」にかぎらず、私は私は「なぜ?」「なんで?」という言葉を安易に他人に向けて使うこと自体が嫌いでありこの言葉は取り扱い注意であると普段から思っており、基本的にはよほど親しくなるか、あるいは逆によほど嫌いな人相手でないかぎり、あまり「なぜなぜ」いいません。自分ならともかく安易に他人に投げつけたり、まして確認したことでもないのに「なぜAはBなのか」を押し付けるとか何考えてんだこのやろうって思う。


まぁそう言いながら、私も結構やっちゃってるわけで。嫌だと思うのに自分もやってるのって結構気持ち悪い。

とにかく「他人を理解しようとする」って行為自体があんまりすきじゃない。理解できると思ってる=自分のスキーム内で理解できる範疇に押し込めるに繋がりやすいから。理想は受容なのだけれど、それが出来ないから、壁を作るというか、自分のコントロール下に置こうとする行為に感じてしまう。 「理解する」という行為自体が、かなり慎重にしないといけないと思う。 これを無条件でいいことだと思ってる人ってすごく気持ち悪い。

私自身は、理解するって行為について「他者とはなんでもは分かり合えないよ。受容できるところまで」という前提で、他人との間にトラブルにならないよう線引する行為くらいに思っている。そのため「なんでもかんでも分かり合える→わかりあえなきゃいけない→私が納得できる答えを出せ→私が受けいられる人間になれ」前提の人とは咬み合わないしかなり怖い。そういう前提で発される「なぜ」は極めて直線的だし窮屈だし攻撃的だしもうやってらんない。


で、「なぜAはBなのか」というタイトルの記事を連発する人の記事を読むと…



という感じでいろいろ思うところがあるので、このあたりについて一度ちゃんと考えておきたい。

①「なぜ」という言葉を発する事自体暴力的であり危険をはらむものであり安易に使うべきじゃないことでありまして大上段から振りかざすなど論外である。使い方の作法や礼儀をちゃんと理解しないなら使ってほしくない。

②「なぜ」は誰かのせいにするためじゃなくて、プロセスや構造を考えるためにあるものだーみたいな基本を確認したい。

③多くの人が「なぜなぜ」を「犯人探し」に使っちゃうのは「なぜ」なのか? どういうシステムが動いているのか?あたりを考えたい

といった話をいつかちゃんとしたいなと思いますが、自分自身勉強不足なので今日はそういう目標設定だけ。




はてなでも「なぜなぜ分析」は人気あるっぽい?

運用技術者に感じる「アバウトな言葉の排除」「工夫の考案」への鈍感さ | 日経 xTECH(クロステック)

高い効果を得るための「なぜなぜ分析」現場の工夫 | 日経 xTECH(クロステック)

緊急連載!毎回1分 「なぜなぜ分析」ワンポイントレッスン | 日経 xTECH(クロステック)




部下の行動が1ミリも改善しない「なぞなぞ形式・部下指導」!?(中原淳) - 個人 - Yahoo!ニュース

かつてミーハンという会話分析の研究者が、教育指導場面に「IRE連鎖」といったような会話のパターンが繰り返されることを見いだしました。IRE連鎖とは、「Initiation(発問)-Reply(返答)-Evaluation(評価)という教育指導場面で繰り返される会話のパターンです。

この上司の問いかけは、「具体的に行動の改善のポイント」を、部下に考えてもらう機会にはなっていない。「行動の改善」について1歩踏み込んだ会話は、何もなされていないから。

こうした「なぞなぞ形式フィードバック」の「効果性」は、おそらく低いと思います。なぜなら、「答えのあてっこ」は「わかってんなら、最初から言えよ!」という反感を部下の頭に生み、自責思考にはつながらないからであろうから。

すなわち、部下の頭には、
・感情としては「反感」
・認知としては「思考停止」
が生まれてしまう

ほんまこれな。 マウンティングのために「なぜ?」って問いかけをされることが多すぎて、私はもう坊主憎けりゃ袈裟まで憎い状態になってますよ。。。