頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「はれた日は学校を休んで」

Amazon.co.jp: 日本のことは、マンガとゲームで学びました。: ベンジャミン ボアズ, 青柳 ちか: 本

にて絶賛されていたので、今日注文しました。後で読んで感想書くつもり。

「いろんな不幸事が続き、自分の感情も生きる意味も見いだせずにいた僕が」

「日本語がわからないから絵を読んでるだけなのに」

「この人は僕のことをわかってくれている」

「悲しかった。僕にも悲しいという感情があったのだということを久々に思い出させてくれた」

こういうのすごくいいなと思う。

みんな、生きていたら絶対に思うことがあるはず。でも、自分の感情と向き合うことや、ましてそれを受け止めて表現するのはとても体力がいるし、技術もいる。また、疲れきってる時や自分に自信がない時って、その感情を信じることができない。抑えこんで殺してしまう。そうやってるうちに、自分でも自分が何を考えているのかよくわからなくなってしまう。そうやって、心が死んでしまったり、あるいは、押さえ込んだ反動で他者に対して過剰に攻撃的になってしまったりする。


そういう時に「この人は自分のことをわかってくれている」という存在があればどれだけ心強いか。肯定するでも否定するでもなく、閉じかけていた自分の感情や心がまた開きかけるきっかけがあればどれだけ生き返った気持ちになれるか。

Weep for me ボクノタメニナイテクレ - この夜が明けるまであと百万の祈り

自分が悩んでいる問題について自分では言えない言葉を言える人がどこかに存在するということ「そういう言葉」との出会いが私がインターネットに抱いている希望だ。生きてはいけるけれど、どうにもこうにも心苦しい。その理由や、自分の位置を、他人の言葉を読むことで確認したいと思ってる。
自分にとって大切な事を、他にも感じている人がいるかもしれないと、その可能性を信じられるだけでも嬉しいことだ。自分のなかだけの小さな真実でも、それがたとえ勘違いでも、それでも人とつながりうると信じる事が許される。

インターネットにおける自由とは何だったのか - この夜が明けるまであと百万の祈り

……もちろん、きっかけ以上のもの、依存の対象まで求めちゃうとそれは「宗教」になってしまうし、依存を目的に「宗教」に入るのは危険だと私は思ってる。それでも、本当にしんどい状態にあるとき、こうした希望は絶対に必要だとずっと思ってる。




だから、私はこの考え方が本当に好きだ。

「インターネットとリアルの境界線」がなくなるとき - 3ヶ月だけください

子供時代の孤独は苦しかった。誰かと一緒に泣きわめいて、もう嫌だ、と叫びたかった。今となってはあのときどうすればよかったのか、どうして欲しかったのか、よく分からない。考えても意味があるようにも思えない。けれど、わたしは少女時代のわたしのような子が悩み、インターネットに触れて、何らかの救いや回答を求めたとき、さまざまな検索クエリでたどり着けるよう、何度も同じことを書こうと思う。
同じことを、違う言い方で、少しでも誰かの救いになるような言葉を、できるだけたくさん書き残して、インターネットにアップロードしておこうと思う。


私は、まだここまで自分のことが自分の中で整理ついてないので自分に閉じたようなことばかり書いてる。
(そうしないと、どうしても、他者にたいして攻撃的になってしまうので)
でも、目的としては同じ所にあると思ってます。



ここから後の部分は作品を読んだ後に書きます。本当は読んでから書くべきなんだけど、上の部分については今日のうちに書いておきたかったのでこういう形になりました。