Sendai City Symphony Orchestra
ブラームスは当時こんな言葉でひはんされたことが在るんだって。
でもこの作品で、「ブラームス」として生きようとする主人公は、
決して無能力でもメランコリーでもない。
かつての才能はもう失われてしまったし、メランコリーになる時もあるけれど、
彼は一人ではなく、一緒に生きていくパートナーが(途中からは娘も)いるから。
そんなわけで、この物語では、結構親との死に別れがあったり、
人生レベルの挫折があったり、
その他にも細々とつらいことが結構あるのだけれど、
それでも作品内での空気は穏やかでまったりしたものであり、
劇的なものはあまりないけれど、みんな日々楽しそうに生きている。
そして、その生活には音楽が溢れてる。
すごくいい雰囲気の作品だと思いました。
読んでてすごくまったりしました。
音楽もののマンガってなにかとギラギラしてるものが多いけど
別にそういうものばかりでなくてもいいよねーと。
この作品の主人公は
もともとショパンコンクールを目指すような天才だった。
周りからもてはやされ、女性にもモテまくりだった。
それが、交通事故によって右腕がつかいものにならなくなり
周りからは人が去っていった。
一度は自分から全てが失われてしまったかのように思えた。
SBRのジョニィ・ジョースターみたいなやつだ。
別に、かばったわけじゃなかった。
俺は圧倒されて何もいえなかったんだ。
頭が混乱した。今まで何も考えず弾いていたピアノも沈黙した。
じゃあ、ここからどうやって彼は生きる糧を見出したか。
別にSBRのような命がけのレースに参加したわけじゃない。
のだめカンタービレの主人公みたいに天才を見つけて刺激され、
また改めて音楽の最前線に戻ったわけじゃない。
ただ、今までショパンを弾いて生きようとしていたのに対して
代わりの生き方を見つけた。そしてそれを受け入れた。
今まで万人のためにショパンを弾いていたのに対して、
一人の女の子のためにブラームスを弾くようになった。
ともかくそうやって、死ぬこと無く生き延びた。
最初は全てなくなったように思ったけど、
生きてたら、いろいろと大事なものが出来て、積み重なってきた。
そして、いつのまにやらそういう生活を楽しめるようになってきた。
昔のようにキラキラ輝いていて
誰もが注目するような生き方ではないかもしれないけれど
彼は今の生活を楽しみながら生きている。
佐藤くん、昨日ショパンのピアノコンツェルトを弾いていたんだ
それがもうミスだらけで、
譜も全然覚えてなくてでたらめだし
17の時の彼はあんなにヘボい腕じゃなかったなー
でも、17の彼には決して弾けない
とても素晴らしいショパンだったよ。
彼にとって拍手は雨音と同じ。スポットライトも月の光。
彼は世界にも月にも行く気はないの。
でも彼にはいつも月光がさしていて、誰より気ままにピアノを弾いている。
それが彼の魅力なのね。
いじいじしてるのも情熱がうすーいのも陰気でうざいのも性分だからねー。
だけど、多少メランコリックな方がピアノ弾きとしてはうけるんでないの?
梅子かわいよ梅子
と、主人公の話ばかりしてるけれど、この作品は
主人公と結婚した幼なじみの女の子、若奥様の梅子がかわいいのです。
この作品、基本的に「恋愛」を描く作品じゃないので、
やたらと女の子を可愛く描こうとしたり
むりやりときめきを演出したりとかしない。
蔵之介とはずっと当たり前に一緒にいたじゃない。
だからこう、胸が高鳴るなんつーことは全く一切ありえなかったわけよ。
だけど、先日そんな感じなことがあって、
ああいうのをときめきっていうのかなー、ね?どう思う?
でも、だからこそ取り繕った感じがなくあけすけな感じで接している。
恋愛に体力持って行かれすぎてテンパってる女の子も可愛いけれど
余裕もって、素で接してくれるのっていいよねーと。
マンガの演出も上手で、
普段はすごいくだけた簡略化した表情で描かれてるんだけれど
節目節目で、あるいはイベントが有る時なんかの時に
時々すごく女の子してる絵で描かれる。
普段気心しれた感じで一緒にいる大事な人が
時々女の子だなーって感じさせられる瞬間がたまらんです。
年に2・3回、
いつもの町がやたらとキラキラそこを照らしたがるその理由は
すぐ油断して忘れる私に
その町の全部が、この電柱でさえもが、
実はかけがえがないものだってことを思い出させるためで。
そしてこんなことを思う私はすごく幸せだなーと。
軽快なマーチの中、心底思った。
この漫画は、構成として必ずしも上手だとは思わないんだけれど、
いろいろ失ったりつらいことがあっても
みんなまったりと人生楽しもうとしてるその姿がとっても魅力的で好きです。
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