ttp://anond.hatelabo.jp/20150610104616
において、痴漢被害について増田で報告した人がいたのだけれど
・はてブやトラバでいろいろと無理解・理解拒否を示すコメントをもらったり
・否定的ではないけれど驚きや違和感を示すコメントがあったり
・分かる人は分かる人で、わからない人や戸惑ってる人を攻撃したり
となんかいろいろな反応が見える。
みんなそれぞれに前提があるのだろうけれど、
私は、実際こういう被害や辛い思いを他人に伝えること、わかってもらうことは
かなり難しいと思う。
分かる人や同じ立場の人には一瞬で伝わるだろうけれど、
知らない人やわからない人との間にはどうしても壁が出来てしまいがち。
原因1?
つい相手の無理解を責めてしまったり、
そのつもりがなくても話を聞いた人が責められてしまったと感じてしまう
「お母さんが…泣いて寝込んで、部屋から出てこないの。
http://tyoshiki.hatenadiary.com/entry/2014/10/25/142356
今まで気づいてくれなかったって私が責めたから。
でも、違うの。
お母さんに泣いて欲しかったわけじゃないの。
お母さんに傷ついて欲しかったわけじゃなくて
ただ、辛かったねって 言ってほしかった だけ で
今まで 辛かったね って…」
話し手はある程度諦めるというか、最初はわからないものなんだって期待値を下げて
じっくり伝えていく姿勢にするしかない。
逆に、聞き手は知らなかった事自体は問題じゃなくて、
話を聞いてどう反応するかが大事だという意識の切り替えができるといいかな、と。
原因2?
・話し手が一度に多くを受け入れてもらおうとしすぎたり、
逆に聞きてが一度に理解・判断までしようとする
(はてブはさらに、聞き手がそれについての反応を100文字でアウトプットすることを
システムとして強要するのでまともな反応を期待するのはほとんど無理ゲー)
元増田としては、わからないならわからないでいいし、嫌いなら嫌いで良いのではないか。ただ、「自分が発していない意見を勝手に自分のものにされたくない」ということが言いたいのだと思われる。それを、相手側は良かれと思ってか、自分が不理解な人間だと思われるのがイヤなのかはしらないが、「むりやりわかろうとしてしまう結果、自分のものさしを相手に押し付けることになる」
http://possession.hatenablog.com/entry/2013/05/29/100701
話し手は、いきなり事実の受け入れ、さらに自分が望む反応を指定せずに自分が望む反応をしろ(=察しろ)という要求までしてしまうとまず間違いなくそれは満たされないと思う。
聞き手は、とにかく自分は今まで知らんかったんだから、自分より相手のほうが体験者だしよくわかってるって前提を踏まえて接することが必要なのかな、と。自分より相手優先。その上でおかしいと思ったところやわからないところを確認していく。
とにかくコミュニケーションが拙速すぎたらあかんよね、と。
他にもいろいろ原因あると思うけど
あと社会比較理論とか。
自分を他人と比べる心理: 社会比較理論 (Social Comparison Theory) - 興味津々心理学
マンガで分かる心療内科・精神科in渋谷 第62回「無人島の心理テスト」上方比較・下方比較 | 渋谷/心療内科/ゆうメンタルクリニック 渋谷駅0分 渋谷駅・精神科・東京・カウンセリング
そもそも増田で書くということはどういうことか、をちゃんと考える、という。
少なくともまともな反応は期待しにくいですよ、と。
んで、どうする?
まぁ当たり前ですけれど、
人ってそもそも他人のことわりとどうでもいい。
まして、この手の話はストレスになりやすい。
そういう話題については、
被害者はこちらなんだからわかる努力をするのはお前らだ、となってしまったり、
わからなきゃダメなやつだと思われちゃう、と思いつめたり同調圧力に引きずられると
たいていろくでもないバッドコミュニケーションになるのかな、と。
①話す相手を選び
②反発が生じやすいことを予め理解した上で
③焦らずじっくりいく
しかないんだろなと。
あまり拙速すぎたり、忍耐力がなさすぎると、「失敗体験」だけが積み重なって、間違った学習の結果、無力感にとらわれてしまったり、若いのにTwitterで凝り固まった被害者意識を吐露するだけの哀れな人間に成り果ててしまうのではないかと。
これは難しい話なんだ、失敗することがあっても自分が悪いとか相手が悪いとかそう言う話じゃないんだ、くらいは踏まえた上でじっくりやっていきたいところです