昨日書いた記事の逆。
「リアルの力ってつええ!これに勝るものはない」と語っている作品。
この人の場合は、そう断言できるほどにある人物との間に強烈な関係や経験を現実の人と築くことができた、ということね。
いや、でもこのひとも「先生が生きていた時はその関係が築けず 死んでしばらくたった後にそういう関係を構築しなおしている」というのが正確なところだろうか。
あの日々のおかげで、しんどくてもなんか、描ける
辛い時も、悲しい時も、風邪ひいてても、熱があっても
ムカつくことが会っても、イライラしていても
自分のマンガが面白く無いって言われても 絵が下手だと言われても
アンケートが悪くても 単行本が売れなくても
地震があっても 東京が真っ暗になっても
いつも 描いているときは 私の頭の中で先生の声がする
私にはその声しか聞こえない。
四角い画面の中で誰かが私のマンガをクソだと言ってても
それはその画面の中だけのただの文字でしか無いからなんとも思わない
生身の人間の声に比べたら そんなもんはただのフォントだなー。そのくらい、先生のおかげで私は強くなれた。
正直、この作品に出てくる先生は大変魅力的だとは思うもののここまで東村アキコの支えになってることとはつながっているとは思わなかった。
東村アキコが先生に深く心酔しているのはわかるが、マンガだけ見るには死後に過度に美化された感じはする。 作者本人が序盤で描いているように相当な自己陶酔が含まれているのは間違いない。
それでも、ここまで思い入れを持てる人物を持てる、ということはやはりとてつもなく幸せなことだと思う。 1津前の記事で書いた「ライバル」と同じくらい「師弟」関係というのも魅力的だな、と感じた。
東村アキコはなぜここまで体験至上主義なのか
19話 "かきたいもの"なんかなくてもいい
「描きたいものなんてなくていいんや
ただ描けばいいんや。目の前にあるものを。
描きたいものなんか探しとるからダメになる。描けなく成る
オマエは余計なこと考えすぎじゃ」絵を描く人間はみんないつも自分の「描きたいもの」を探してる。
大学の友だちもそうだった。センパイもみんな
「描きたいものがないんだよねー」とよくいっていた。
絵を描く人間にいつもつきまとうこのセリフ。
ただ目の前にあるものをただ描く。
そんな簡単なことが、私たちにはできない。
この人はとにかくなんでも断言する。
この漫画でも
「モラトリアムなんて必要ない」
「ネットで悪口をいうやつなんてただのフォント」
「根性論や体育会系の肯定」
などいろいろ際どいことを確信持って語るストロングスタイルである。
この人ギャグ漫画家と思われがちだけど正直ギャグ漫画としてはあんまりおもしろいと思ってない。「ひまわり!」とか「主に泣いてます」の序盤とか超つまんねえとしか思わなかったです。
この人の作品で面白いのは、ギャグやポエムを交えながら展開される「際どい内容の断言の数々」「レッドゾーンにズバズバ切り込むハラハラ感」あたりだと思う。「ママはテンパリスト」にしても、思っててもなかなかいいにくいことをズバズバ言ってのけるその胆力が魅力的なのだと思う。
それもこれも、いろんなどん底を経験し、その際に支えになったものこそが大事であって、それと比べたら少々の厄介事や苦労など大したことないと些細な話でしかないと確信してるからでしょう。
本当に強い人だなあと思う。