【無敵の人(むてきのひと)】
社会から孤立し、信用や地位、財産など失うモノが何もなくなった人を指す俗語(ネットスラング)。
きづき×サトウ先生はもともと自意識を病んだイタイ人の内面を抉り出すような作品を描くのが得意な人という印象だったがその強みを生かして恋愛・歴史などのテーマを経て、最近のアクション誌では社会派作品まで作品の幅を広げている。
この作品の前は母子家庭がテーマの「さよならハルメギド」や、最貧困女子をテーマにした「奈落の羊」の作品というのを描いていた。
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そんな先生方が次に選んだテーマが「無敵の人」だ。ストレートなタイトルなのは珍しいなと思ったらさすがひねくれものである。この作品は「無敵の人」が主役の作品ではなくて、むしろその逆だった。

- 作者: きづきあきら,サトウナンキ
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2019/08/08
- メディア: コミック
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「異端審問官」として「無敵の人」狩りをおこなう話
まず冒頭からして、シロクマ先生の記事「俺らが生きづらい社会はあいつらが生きやすい社会」を思い出すような語りである。
あなたの平等は私の不平等。
あなたの喜びは私の怒り。
あなたの愛は私の嫌悪。
あなたの幸せは私の不幸。
そして、あなたの絶望は私の……
そして、次のシーンでは「AR・VRを駆使して会話を楽しむ女子高生」の姿が描かれる。「あれ?無敵の人は?」と一見拍子抜けした後に、タイミングをずらしてそいつは登場する。ひきこもりで、部屋にガソリン携行缶を備え、家族を脅迫して暴君のようにふるまう最低最悪な「無敵の人」である。
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「無敵の人」というと、ロスジェネやいじめの文脈から一方的な犠牲者のように言われがちだが、この作品の無敵の人は、家庭の中で暴君と振る舞い平気で家族に暴力をふるう加害者である。
(ちなみにこの男は本当に最悪で、家族に暴力をふるって全能感を満たしている間にさらに意識が暴走し、ガソリンをもって学校を襲撃する計画を立てていた。まさかきづき先生、この時点で京アニ放火事件が起きるなんて思ってもいなかっただろうけれど)
そんな「無敵の人」を兄に持ってしまった女子高生の主人公は、「家族の平穏を守るために」親から兄の犠牲になることを強いられていた。無敵の人も社会や家庭による被害者かもしれないが、その無敵の人より弱い人間が家族にいたら、その人間が最大の被害者になってしまう。
悩み?ないよ。他人に話せる悩みなんて。
本当の悩みは、知られるくらいなら死んだほうがましなんだ。
私が悪いの?弱くて、自分を守れない。誰にも守ってもらえないから淘汰されるの?
そうやって生きることに絶望しながら、VR空間に逃げ込んで心を閉ざしていたところ、突如しらないアバターが表れて「あなたの悩みを取り除いてほしい?」と問いかけてくる。
これに「はい」と答えた結果、今まで自分を苦しめ続けてきた「無敵の人」はこの世から永遠に取り除かれることになる。
地獄少女かな?
しかし、ここで救われてよかったねーで済めばいいんですがそんなうまい話があるはずもない。彼女は命を救われた代償に、彼女はこの後「異端審問官」的な立ち位置で「無敵の人」をつきとめその犯罪を予防する活動をすることになります。
「この世で一番怖いのは、失うものが何も無い人―――」。女子高生・高瀬いのりは、引きこもりの兄から性的暴行を受けていた。ある日、謎の男・ニルが現れ、無差別殺人を企てていたいのりの兄を殺害する。絶望から解放されたいのりは、対価として彼女の兄のように危険水域に達した【無敵の人】を見つけ出して犯罪に走る前に殺害するという、法を無視した「治安維持活動」に手を貸すことになるが…!?
そう、これ「現代が局地的に魔女狩りの時代に逆行する」お話でもあるのです。
ということで。
この作品は「君のナイフ」「ギフト+」「恨み屋本舗」「善悪の屑」(迷惑な人間を人知れず殺す仕事人)みたいな悪趣味さと「幸色のワンルーム」(自分を救うために他人に罪を犯させる)という悪趣味さを合わせた、きわめて悪趣味な作品でもあります。これだけだったらあんまり読む価値はないと思う。さすがに「幸色のワンルーム」よりはるかにマンガとしてうまいけど、それでもARやVRの話がなかったらこの作品の続きは読もうと思わなかった。
「無敵の人」から社会を守るためにどこまで警察や国家に権限をゆだねるかという思考実験の作品
だけど、この作品は魔女狩りにおいて「国家がAIによって無敵の人の監視を行い人知れず排除している」「VR・ARがフル活用されるようになった近未来」という設定になっており、この部分がとても面白い。
映画のマイノリティレポートを観た人なら懐かしいと思うでしょう。あの頃は完全にSFでしたが、今では割と現実的な話として描かれるのだから怖い。
(1)国家による「無敵の人監視」がかなりえげつない
彼女を助けてくれた存在は、「幸色のワンルーム」のように乙女の願望でできた都合のいい男性ではない。国家に飼いならされた猟犬である。 そもそもぎりぎりのところで助けが入ったのは、もともとAIによって彼女の兄が監視されていたからである。国家は彼女を助けたわけではなく、ただ国家にとっての危険分子を排除しただけに過ぎない。
そして、もちろん国家の秘密を知る彼女は、その活動に協力する共犯となるか、それとも口封じのために消されるかの二択を迫られる。(二択とは言わないw)
「無敵の人」は確かに脅威である。それは京アニ放火事件が嫌というほど世間に知らしめてくれたし、そうでなくともこの作品や上の「子供を殺してくださいという親たち」のように家族を苦しめる存在になってしまってる可能性が結構ある。
※京アニ放火犯は無敵の人かどうかわからんだろみたいな話は承知しておりますが、最後まで読んでね。
(主語でかいけど)日本は誤った自己責任論が強いので、「無敵の人」はその家庭の問題とされがちだ。しかし、その家族だけ犠牲になっていれば、その家族は気の毒だけど我々は安泰なのではないか?という前提すら破綻しつつある。 今後は、家族が放火を起こすようなことになる前に家族が責任をもって刺し殺せという圧力につながるのだろうか。いや、そもそも家族がいない完全に孤立した存在だったら? 行政に対応させる?どの程度までの介入を許す?
どこにも解決策はない。そんな手詰まり感がこの作品では描かれている。

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(2)大量殺人を犯すような人間は、「無敵の人」というステレオタイプにハマらない。そのためAIやビッグデータによる予測・予防など困難であるしやるべきではない
結局主人公は、生きるために政府の関係者として働き始めます。
「無敵の人」候補と直に接して、この人は殺人を犯す人間かどうかを判断し、必要とあれば殺害するというのが彼女の任務です。
ここから先はミステリ的な感じで「無敵の人」を解体していく展開になります。「脳嚙ネウロ」が好きな人にはとても面白いでしょう。

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というか二人目の「無敵の人」はいきなりステロタイプの「無敵の人」のイメージを覆してきます。
このエピソードでは「AIの予測の失敗」と「犯人の裏切り」などが描かれ、①AIによる監視は、主人公の時はたまたまうまくいっただけで実際はそれほど役に立たず弊害が大きいこととや、②社会的な支援があれば無敵の人の行動をとどめることができるという安易な希望など全く役に立たないことが描かれます。
無敵の人の自己洗脳や破滅願望はそんな簡単にとどめられない。事前にそれがわかっていれば強制的に拘束するしかないが、AIの予測は間違う。人の心はそんなに単純ではない。ますます絶望的な気持ちになりますが、そのくらい「無敵の人」というのは難しい問題なんですよね……。
結局、AIの監視なんかより、じかに接している人が助けを求められる社会の空気を作る方がよっぽど大事だと思う。問題を家庭に閉じ込めようとしたり、孤独な人を自己責任だと見捨て続ける社会である限りは同じような問題はいくらでも出てくるのだと思う。
フィクションなのはわかってますがすごい怖いなと思いました。ぜひ読んでみてほしいと思います。